駐機場を歩く文楽は、襟元をくいっと持ち上げてスーツの感触を確かめる。
肌と布地が一体になる実感を確かめつつ、ふと呟きを零した。
「そういえば人形に乗るのは久しぶりだな……」
「レヴィアさんの事件以来、操縦訓練の機会がありませんものね」
横に立つ仮装人形姿のフェレスが、文楽のつぶやきに言葉を添える。
あれから一ヶ月も経つが、未だ基地の復旧は完全に済んだとは言えない。
たった一体で八面六臂の大活躍をしてしまった〈リヴァイアサン〉は、郡河基地に駐在していた機甲人形をことごとく機能停止に陥れ、彼女の強烈な毒牙は軍事基地の機能を麻痺させるまでに至った。
今も基地内の数多くの人形が、復旧の最中である。それも機体的な問題によるものでなく、精神的な問題によってだ。
当然ながら全ての機甲人形は、レヴィアやフェレスと同じように、人形知能という自我と感情を有している。だが全てが彼女達のように、ゲーティアに抗える術を持っているわけではない。未だ病の床で、汚染からの回復を待っている最中だ。
「今回、操縦試験は実戦に近い模擬戦形式で行いたいと思う」
訓練や演習が行われることなく、閑散とした駐機場に居並ぶのは文楽とフェレス、そしてゼペットの三人だけ。彼らは〈アスモデウス〉の操縦試験を行うため集められていた。
ファイルに纏められた紙束をめくりつつ、片眼鏡をかけた壮年の男は言葉を続ける。
「火器に装填されているのは、染料が詰められた模擬弾となっている。機体を損傷させることなく着弾を判別できるので、大事の心配がなく整備士たちにも優しいというわけだ」
「しかし、染料で機体の装甲を汚せば、やはり余計な仕事が増えるのでは?」
「大丈夫だ。染料は水で簡単に落とせる安心設計だ」
「なるほど。ならば心配はなさそうだ」
文楽が心配するのも仕方がない。機体の清掃はとてつもなく骨が折れることは身を以て知っている。
彼の背後には、一体の機甲人形が屹立している。
第六の大罪、〝色欲〟の〈アスモデウス〉。
数々の操縦士達を沈めてきた曰くを持つ機体の姿は、獰猛という一言に集約されると文楽は感じた。
仮装人形が生やしているのと同じ、頭部には牡牛のような二本角。
格闘戦を意図しての物だろう、拳や膝といった打撃部位には、重厚かつ無骨な追加装甲で固く覆われている。
そして何と言っても目を見張るのは、機体の両肩に備え付けられた多機能推進器の異様な大きさだ。噴射機構だけで機体の胴体よりもひとまわりは太く見える。。
推進器と武装格納、二つの役割を担うはずの装備だが、全てが推進のために特化している。まるで機体の両肩に、巨大なロケットが二つ括り付けられているかのようだ。
機操人形がどこに収納されているのか、そもそも装備されているのか。一目には判断がつかない。
普通に飛ぶだけでも殺人的な加速力を生むだろうし、更にあれらが別々の方向を向き、機体旋回に活かされれば、どれほど凶悪なGを操縦士に浴びせるのだろうか。
想像するだけで、文楽は背中がぞくりと震えてしまう。
「〈アスモデウス〉の部分装甲にも、同じように染料を塗布してある。打撃を加えれば、装甲を当てた箇所にペイントが付着する」
「ああ、要領は分かった。早く始めよう」
「まあ、そう焦らないでほしい。そんなに早く終わらせたいのかね?」
「いいや、逆だ。早く始めたい。後方に来て、こんな好機にありつけると思わなかった」
「……君は、怖くはないのかね?」
「不思議と恐怖はない。死にたくないと、思っているはずなんだが」
文楽は飢えた獣のようにぎらぎらとした笑みを浮かべる。
一ヶ月も機体に乗ることができず、内なる獣を押さえ込んでいたのは彼も同じだ。溜まりに溜まった情動が溢れ出て、まるで玩具を与えられた子どものように浮ついていた。
「それと、いくら模擬戦とは言っても【機操人形】の使用は禁止だ。念の為、システムで施錠してある」
「なるほど、純粋な機体性能のみの勝負というわけか。望む所だ」
「機能を束縛されることを望むのかね、君は……」
「前線では全ての装備が、いつも万全に使えるとは限らない。それに、この方が格闘機の性質を充分体感できる。早く始めよう」
文楽は待ちきれない様子で、〈アスモデウス〉の機体へ向けて歩き始める。
さしものゼペット翁も、彼の理論を掌握できていないのか、どこか顔に苦笑いを浮かべている。操縦士と技術士では、同じ人形に携わるでも、見ている世界があまりに違う。
駐機場という機体の排熱に温められた一面のアスファルトは、文楽が生き場としてきた戦場に近い領域だ。
今にも機体の操縦席によじ登ろうとしていた文楽は、ふと思い出したように背後の二人へ振り返る。
「……だが、相手は誰がするんだ? フェレスでは正直、役不足だと思うが」
「あの、文楽さん。役不足というのは、役が不足しているという意味で、人を高く評価するときに使う言葉なんですよ?」
「ああ、そうなのか。では、力不足というべきだな」
「もしかしたら、褒めてくださってるんじゃないかと期待したんですけど、やっぱりそうですよね。はい、ひどいです」
フェレスの表情は悲しんでいるというより、どこか笑っているようにすら見える。もはや諦めの境地に達してしまったようだった。
〈メフィストフェレス〉の機体は格納庫に残したままだし、そもそも乗り込む操縦士の問題だってある。
一体、誰がこの〈アスモデウス〉の相手をするというのだろう。
そういえば、今朝からあいつの姿が見えないが、まさか――
『もちろん、このボクに決まっているじゃないか』
文楽の考えを見透かしていたかのように、上空から澄ました声が耳に届いた。
見上げると、上空を紫紺に彩られた一機の機甲人形が、推進器から炎を吹き散らしながら、ゆっくりと降り立つ。
第五の大罪〝嫉妬〟の〈リヴァイアサン〉。
英雄《蛇遣い》の愛機にして、郡河基地を壊滅の危機にまで追いやった死と再生の両面を持つ畏怖すべき機体だ。
「レヴィアが訓練の相手か。だが、一体誰が操縦士を……?」
文楽が首を傾げたと同時、機体の操縦席から這い出てきたのは、蒼白な顔でげっそりとやつれた桂城留理絵だった。
「うぅっ、レヴィアちゃん思った以上に激しい……吐きそう」
「留理絵、お前か……!?」
まるで脱皮したばかりの蛇のように、力なく身体を這いずらせながら、操縦席からずるりと滑り落ちる。
『おっと、留理絵。ボクの機体を汚物まみれにするのはやめてくれよ』
「だいじょうぶ。美少女はゲロとか吐かないから」
『そもそもゲロとか言うものじゃないよ。可愛い顔が台無しじゃないか』
「レヴィアちゃん、めっちゃ優しい……!!」
『いい子だ。元気になったみたいだね』
留理絵はしゃきっと確かな足取りで立ち上がると、目をキラキラさせて〈リヴァイアサン〉を見上げている。
「人形が人間を使いこなしている……」
そういえば《七つの大罪》の長姉も、同じく整備士の人間を使いこなしていた。優秀な人形知能は得てして人類の支配者になっていくのだろう。
突然の事態へ戸惑う文楽に、ゼペットが添えるように言葉をかけた。
「現在、正規の操縦士たちは偵察任務で出払っていてね。ちょうど修繕が終わった〈リヴァイアサン〉に今回は相手をしてもらおうと思う。操縦士には、訓練生でもっとも成績の優秀な、桂城君を選出させてもらった」
「なるほど、人格面も考慮に加えてほしかったな」
文楽はうんざりした表情を浮かべるが、内心では理に適った人選だとも納得していた。
彼女の射撃センスは、訓練生として目を見張るものがある。射撃戦特化型である〈リヴァイアサン〉の性能を充分引き出せるだろう。
これだけの操縦士が居るならば前回のようなハンデは存在しない。
顔に色つやを取り戻した留理絵は、文楽へ近づくと直角に頭を下げて言い放った。
「というわけで、レヴィアちゃんをください! 大切にします!!」
「すっ飛ばしすぎだ。どういうわけだ」
「まあまあ、今のは冗談よ。〈リヴァイアサン〉の認証具を貸してほしいんだけど、ダメかな?」
「……レヴィアは、それでいいのか?」
文楽は首にかけていた、指輪を通した首飾りを外しながら、〈リヴァイアサン〉の頭部を見つめて声を掛ける。
巨大な機甲人形の頭部が、こくりと縦に小さく振られた。
文楽はためらいながらも、首飾りから外した指輪型の認証具を留理絵へと手渡す。
「なんというか、大切にしてくれ」
「……文楽くん、もしかして渡すのイヤ?」
「そうじゃない。ただレヴィアがお前を気に入ってしまったら、どうしようかと考えてしまっただけだ」
「へーえええええ。文楽くんも、ヤキモチとか妬くんだー?」
「はたくぞ」
薄気味悪くなるほど満面の笑みを浮かべて、留理絵は舐めるような目つきで文楽を見つめる。なぜだか無性に腹が立ってくる。
この感情が嫉妬と呼ばれるものなのか、文楽には判別がつかない。ただ、レヴィアが自分に対して抱き続けてきた気持ちが、どんなものかやっと触れることができた。
視界の端に映る〈リヴァイアサン〉の顔貌が、微笑みを浮かべているよう文楽には見えてしまった。
「フェレス、お前にも認証具を一端返しておく」
「えっ、どうしてですか!?」
「考えが変わった。手に二つも三つも認証具をつけるのは、あまりいい気がしない。〈アスモデウス〉に乗っている間は、この認証具はお前が預かっておいてくれ」
「あの、でも……ちゃんと訓練が終わったら、また付けてくださいね」
「当たり前だ。そう心配そうな顔をするな」
文楽は指輪型の認証具を静かに外して手渡す。
フェレスは両手で包み込むように認証具を受け止めて、胸に抱くようにして握り締めた。