ゼペットが文楽に貸し渡した洋館『愛生邸(仮)』を二分するフェレスとレヴィアは、もはや開戦の理由など誰も知らない戦争を一時間も続けていた。
その戦争の末期、国防軍の一兵士愛生文楽は、二人の仮装人形を自室から締め出すという奇妙な仕事を行う羽目になる。
「やだ! ボクはマスターと一緒に寝る! 寝るっていったら寝るんだ!!」
「お黙りなさい、レヴィアさん! 散々話し合って決めたはずです。消灯時間以降、文楽さんの部屋には誰一人絶対に入ってはいけません!」
フェレスの頼もしい仕切りっぷりに、文楽はほっと安堵する。
この屋敷の切り盛りを彼女に託したのは正解だったようだ。
「レヴィアさんが忍び込んだりしないよう、私がこの部屋に残って一晩中警護させていただきます」
「何でお前だけ残るんだ! この屋敷を支配してマスターを独占するつもりだな。君が残るんだったらボクだって残る!」
「二人とも出てけ」
文楽の放った容赦無い一言により戦いは一応の終戦を見せた。
これ以上争いの火種が残らぬようにと、文楽は自室のドアノブを厳重にワイヤーで固定し、決して外側から開かないように固定までした。
「本来なら更にトラップを幾つか仕掛けておくところだが……まあ、さすがに扉をたたき壊してまで入ってくることはないだろう」
部屋の灯りを消して備え付けのベッドの上へ横になる。
ふと思い出すのは、倒壊したビル群がどこまでも広がる戦場の荒涼とした風景だ。
文明の亡骸となった廃墟の中。寝床の周りに厳重な罠を仕掛け、交代で見張りをしながら休みを取った。
いつ敵の機甲歩兵に襲われるか分からない。眠っている間に襲撃に遭い、眠ったまま二度と目覚めなかった仲間も居た。
この後方に来てから一ヶ月。夜に熟睡するという、人として当たり前の行為に、文楽もすっかりと馴染んでしまっていた。
ベッドへ横になって一時間も経った頃。
文楽は不意に起き上がり、扉の方へと視線を向ける。
厳重に縛り付けたはずのドアノブが呆気なく回転し、扉が開け放たれる。
「……獣除けの罠には少し緩かったようだ」
「おにーちゃん! 一緒に寝よー!!」
「とりあえず扉を壊すな。あと服を着ろ」
扉をぶっ壊して部屋に飛び込んできた人型の獣ことサラに対して、文楽は冷静に対処する。なぜか彼女は肌着だけしか身につけていない。上はスポーツブラだけ、下はショーツ一枚。最低限文化的な範囲しか布を身に纏っていない。
ふと廊下を見ると、まるで獣が足跡を残すように、脱ぎ散らかされたサラの服が点々と落ちている。どうも服を脱ぎながら扉の前まで来たらしい。
「だって、なんか邪魔だったんだもん」
「気持ちは分からんでもないが……」
そういう文楽も、上はタンクトップ一枚、下はトランクス一枚というずぼらな格好だ。
戦場暮らしの彼にとって、寝間着という文化には全く馴染みがない。
「お兄ちゃんだって下着だけなのに、なんでサラは着ないとだめなの?」
「ええと。風邪を引かないためだ」
「今日、すっごく暑いよ?」
「うーむ……ああ、そうだ。肌を隠していないと虫に刺される」
「お部屋の中に虫さんいないよ?」
「……じゃあどうして服を着る必要があるんだ?」
「聞いてるのはサラだよ?」
「そうだった」
完全に説得失敗である。
こういうとき、フェレスならば何とか上手く言いくるめてくれるだろう。
だが、文化的生活を今ひとつ理解出来ていない文楽には、社会通念や道義道徳といった暗黙の了解について自信を持って説明することができない。
「ねえねえ、下着も脱いでいい?」
「いや、最低限は身につけておくべきだ。例えば、軍人は軍服を着る。これは、軍人という集団にその人間が属していることを示すための証明だ」
「じゃあ、下着は何で着ないと駄目なの?」
「たぶん服を着るということは、人間であるという証明なんだろう」
「でも、サラは人形だよ?」
「確かに人形は人間ではない。だが、獣や動物でもない。裸で暮らすのは知性を持たない動物だと宣言しているようなものだ。お前、知性はあるか?」
「たぶんあると思う!」
「だったら下着は着ておいた方がいい。それで知性を持つと証明できる」
「なるほど、そっかあ。お兄ちゃんって頭いいね!!」
「いや、たぶん悪い。頭が良ければもっと上手く説明できている」
下着二枚分の知性しか持っていないのはお互い様である。
逆に言えば服を着込めば着込んだ分だけ、自分が文化的で知性的だと証明できるのだろうか。確かに階級の高い人間は、制服の装飾も布の量も多い。逆に自分のような下士官はろくに衣服の支給がされていなかった。
苦し紛れに織り上げた理論だが、布の量が文化的度合いを申告する指標だという解釈は、不思議と筋が通っているように思えた。
「納得したなら廊下の服を拾ってこい。あれはお前が知性を投げ捨てた証明だ」
「拾ったら一緒に寝てもいい?」
「ああ……いや、待て。それはおかしい」
「だって、一人で寝るのつまんないもん。もっとお話しよう」
「仕方ない。目が覚めてしまった。話し相手ぐらいならしてやる」
「やった!」
サラはぱっと花が咲くような笑顔を見せると、すぐに廊下の服を拾って文楽の部屋に舞い戻り、そのままベッドの上に転がり込んだ。
文楽は十秒ほど逡巡して、荷物の中から寝袋を取りだし床へと広げる。
「一緒のお布団で寝ないの?」
「説明は難しいが、おそらくこうする必要がある」
「そうなの? 〝ニンゲン〟って難しいね」
「ああ、難しい。なろうと思っても中々なれない」
文楽は心の底から溜息を吐きつつ、床に敷いた寝袋の中に潜り込む。ベッドに比べて背中の感触は固く冷たいが、戦場に居た頃を思い出して懐かしさがこみ上げた。
文楽には人として生まれ育った記憶がない。だから、故郷や思い出といった概念とも自分は無縁だと思い込んでいた。
だが、戦場に居た頃の記憶を辿っていると、あの頃に戻りたいという気持ちがこみ上げてくる。あの砂塵と血潮に塗れた戦場が、自分にとっての故郷なのだろう。
微睡みに落ちていく意識の淵で。ふとサラの声が耳に届く。
「お兄ちゃん、まだ起きてる?」
「……ああ」
「お兄ちゃんって、なんだかサラ達より機械みたい」
「そうだな――」
その後も、一言二言なにか言葉を交わしたような気がする。交わしていなかったような気もする。
すっかり睡魔に意識を支配されてしまった彼に、夢と現の判別は不可能だった。
§
「――人間。あなたはサラの身体に興味があるの?」
最初にその女の声を聞いたとき、文楽は自分がまだ夢の中に居るものだと思った。
なんだか体に妙な重さを感じる。金縛りというやつだろうか。
「そうだな――お前の機体には興味がある……」
「あなたも、他の人間と同じなのね」
「何の話だ……?」
文楽はふと、その声が夢ではなく現実であることに気が付いた。そして、声が自分のすぐ近くから聞こえていることにも。
眠りに沈んだ意識を急浮上させ、目やにで貼り付いた瞼をこじ開ける。
仰向けの状態で目を開く。
そこには、自分の体に馬乗りになっているサラの姿があった。どうりで体が妙に重たく感じるはずだ。
頭上に見えるサラは、二房に縛った特徴的な髪型を解いて、長い蜂蜜色の髪を後ろに流していた。それだけでなぜか、まるで別人のように大人びて見える。
「サラは人形知能よ、戦う為に生まれた存在なの」
「その通りだ。機甲人形は兵器だ。その操縦士も含めて……一体何の話をしている?」
「……あなたは、今までの操縦士とは、少し違うのね」
別人のように見えるのは髪型のせいではない。
幼く陽気な口調が、まるで錆びた機械のように色を失っている。〝あなた〟という呼び方も彼女らしくない。
何より、彼女は〝サラ〟という単語を、一人称ではなく三人称で用いている。
意識が眠りから覚めたことで、やっと違和感の正体をはっきりと掴むことができた。
今自分の体へ馬乗りになり、サラの顔と声で問いかけている彼女は、サラ自身ではない。何か別の人格が入り込んでいる。まるで、悪魔に取り憑かれたように――
「――お前は誰だ?」
意識が警戒と焦燥で満たされていくのをはっきりと自覚する。
自分がサラの操縦を任されるに至った経緯をすっかり忘れていた。
彼女は自分に乗った操縦士を次々と再起不能に陥らせている。それが何者の意思によるものなのか、確かめるためだ。
まさか本当に、ゲーティアの汚染によるものだったのか。
最悪の可能性が脳裏を過ぎる。
仮装人形の身体的性能は兵器と呼ぶには充分だ。実際彼女が、兵士達を殴り飛ばす光景をはっきり間近で見てしまっている。
しかも寝ている隙に馬乗りの姿勢を取られてしまっては、どうしようもない。このサラの身体を纏った何者かの正体が殺意なら、自分は為す術も無く殺されるしか道はない。
ゲーティアに汚染されている可能性のある人形に対し、警戒を怠った判断の甘さを噛みしめながら、次なる行動を待つ文楽は予想外の光景を目にする。
問いかけられたサラ――の姿をした何者かは、あっさり自分の体の上から退くと、部屋の窓に向かって一直線に歩き去って行く。
「待て、どこへ行く」
まるで獲物で遊ぶのに飽きた猫のような無関心っぷりだ。
肩透かしを食らった文楽は、呆気に取られながらも急いで身を起こし、少女の背中へ慌てて問いかける。
「私は――〝アスモデウス〟よ」
サラの姿をした何者かは、はっきりとした口調で言い切ると、窓を開いて身を乗り出す。
そしてまるで猫のように軽い身のこなしで、窓から外へと飛び出してしまう。
「おい、待て!!」
〈アスモデウス〉はサラの機体としての名前だ。確かに伝承の悪魔から取られた名前だが、悪魔そのものではない。
それとも本当に悪魔が実在して、彼女の体に乗り移っているとでもいうのだろうか。
「寝ぼけていた、わけではないよな……」
答えを問いただそうとするが、その姿は既に窓の外へ広がる雑木林の中に消え去ってしまった後だった。