第五章 Successful Mission(1)

 夕暮れ時を迎えた郡河基地訓練学校の学長室。
 テーブルを挟んで是人学長と向き合う文楽は、差し出されたコーヒーに手を付けようともせず、ただじっと黙り込んでいた。
「ただの捜索のつもりが予想外の事態に発展してしまったね……だが君に出撃してもらったのは正しかったようだ。もし君が居てくれなければ、今頃この基地は壊滅していてもおかしくなかった」
「……それは買いかぶりすぎです」
 【妖精】捜索のために出撃した機甲人形アーマードールたちをレヴィアは次々と襲い、基地の駐屯部隊のおよそ半数近い機体が未帰還となっている。
 事態の重さに気付いた基地司令は慌てて近くの基地に救援を求めるため、伝令役の機体を発進させた。だがレヴィアが再びやってくるまでに間に合うかは微妙なところだ。
 この基地は周辺に多くの民間人が住んでいるだけではなく、北陸の工業地帯にも近いという人類全体にとっての要所だ。敗北も撤退も決して許されはしない。
 かつて《蛇遣いアスクレピオス》と呼ばれ、レヴィアの操縦士として戦ってきた文楽は、そんな状況に暗い表情を浮かべながら続ける。
「俺はレヴィアに勝てませんでした……いや、俺にはあいつを撃てなかった。今この基地が無事なのは、ルーシィのおかげと言う以外にありません」
「だが、彼女だけに任せておくわけにもいかない」
 学長はここに来て初めて見る深刻な表情を浮かべて続ける。
「本来改装作業の途中だった〈ルシフェル〉は、訓練の教官程度は務まっても戦闘に耐えうるほどの状態ではなかった。もし君の援護がなければ、戦況は更に危うかっただろう」
「本調子じゃなかったのは、呪詛の影響だけではなかったのか……」
 戦闘では互角以上に渡り合っていたと見えた〈ルシフェル〉だが、機体に相当な負担を掛けていたのだろう。再度の襲撃に整備が間に合うかは、整備員たちに託すしかない。
 ゼペットはふと、気まずい空気を誤魔化そうとするように軽い調子で尋ねる。
「そういえば、フェレスは一緒ではなかいのかね? また、喧嘩でもしたのかな」
「格納庫に残してきました。あなたと、二人きりで話したいことがあったからです」
「ほう。彼女に聞かれては不味い話とは、もしやレヴィアとの赤裸々な過去に関する告白かな? もしそうなら、メモの準備をさせてほしいのだが――」
「申し訳ありませんが、今は冗談に付き合うつもりはありません」
 すっかり冷めてしまったコーヒーのカップを、文楽はじっと見つめる。
 透き通っていながら黒い色合いを見せる水面は、まるで自分自身の心を映し出す鏡のようだ。漂う暗い感情のせいで、はっきり見えているずの答えが直視できない。
「是人学長――いや、ゼペット博士。あなたに、確かめたいことがあります」
 文楽はカップの淵を持つと、冷えて味の落ちたコーヒーを一息に飲み干す。
 黒い水面に隠されていた琺瑯エナメル質をしたカップの底が露わになっていた。
 覚悟を決めた表情で、文楽は言葉を続ける。
「レヴィアは汚染される瞬間、『歌が聞こえる』と譫言うわごとのように口にしていた。今でもはっきりと覚えている」
「ほう、興味深いね。人形知能デーモンに、呪詛はそのように聞こえるのか」
「だがフェレスは、呪詛を『呻き声のようだ』と言った――いや、そう嘘をついた
「なるほど……だがそれが嘘と、どう証明するのかな? 見えざる神が髭の生えた老人なのか、光の輪か、はたまた桃色の一角獣ユニコーンなのか。我々に知る術はない」
「事実がどうあろうと、あいつが何かを誤魔化そうとしたことに変わりない。それにあいつは、決して無意味な嘘をついたりしない」
 フェレスが嘘をつけることは確かに利点の一つだ。だがその分かりやすさは、何か隠したいことがあるのだと、雄弁に伝えてしまうこともある。
 文楽は深呼吸してから、自分の言葉を確かめるようにゆっくりと続ける。
「逆に問う。人間と同じように嘘をつけて、呪詛の影響を受けることもない。そんな人の形をした何かが、本当にただの人形だと誰がどう証明する」
 仮装人形アバターが人でないと見分ける証拠は、頭部から生える悪魔のような独特の角だけ。
 だが逆に言えば、角を付けてしまえば仮装人形アバターと人間の区別は全くつかなくなることを意味している――事実今までが、そうだったのだろう。
 ゼペットは苦笑を表情に滲ませながら、震える声で文楽の問いに答える。
「いつかは気付くだろうと思っていた。そのときには誤魔化すことなく全ての真実を話すつもりだった……だが、それが今このときであってほしくはなかった」
 問い詰められたゼペットは昔話のように語り始める。
「ゲーティアが量子頭脳を汚染する能力を手に入れる日が来るのは、そう遠くないと我々は以前から考えていた……そしてその日が、人類の終末の日になるだろうとも」
 かつて人形知能デーモンという存在を生みだし、滅び行く人類に生きる道を与え【救世の父】とまで呼ばれた男。そんな男が予言する人類の終末。
 そんな事実を軍が公表するはずはない。
 人々が受け入れてくれるはずもない。
 あの日味わった絶望は人類全ての希望を侵す猛毒だ。きっと人類はゲーティアによってではなく、その毒によって内側から滅ぼされてしまう。
「来たるべき終末の日を回避するため、軍は【コッペリア計画】という新たな開発計画を打ち立てた。その主眼は〝ゲーティアに決して屈しない機甲人形アーマードール〟という、ただ一点に置かれていた。たとえ何を犠牲にしたとしても」
 だからこそ、絶望に抗うための特効薬が必要だった。
 ゼペットの言葉は痛いほど理解できる。
「だから、許せというのか……」
 それでも、認めるわけにはいかなかった。
人間を人形にするなんて真似を、あんたは仕方なかったと言って済ますつもりなのか」
 自身でもぞっとするほど低い声が出ていることに、文楽は気が付いた。
「君の言う通りだ。人間の頭脳を人形知能デーモンにすることで、ゲーティアの呪詛に対して絶対の不可侵性をもつ機甲人形アーマードールを生み出す……それが私に思いつける、人類が生き続けるためのたった一つの冴えないやり方だった」
「……あいつは、一体何者なんだ」
 震える声で問いかける文楽に、ゼペットは静かに答える。
「彼女は――ゲーティアの攻撃に巻き込まれ、人としてのせいを奪われた哀れな少女だった。家族も、故郷も、自身の肉体すらも、彼女は失っている」
 四肢を失い、肌の大部分は焼けただれ、内臓の殆どを人工臓器によって代替し、なんとか人としての命を繋いでいるだけの状態に置かれた少女。
「〝それ〟を初めて目にしたとき、一体何の動物の検体か分からなかった」
 それほどに初めて出会ったときの彼女は人の形を留めていなかった――ゼペットは小さな声で、そう付け加える。
「今にも息絶えようとしていたその少女に、私は二つの選択肢を与えた……ただ人としてこのまま死を受け入れるか。あるいは機甲人形アーマードールとして、偽りの短い生を得るか」
短い生だと……あんたは、今そう言ったのか」
 呆然と問いかける文楽の問いを受け、ゼペットは懺悔するように言葉を続ける。
「人形化の技術はまだ未完成なものだ……機甲人形アーマードールを制御するための膨大な演算処理は、人間の脳には莫大な負荷を与える。その負荷は、僅かずつだが確実に彼女の脳を消耗させ、命を削り続けていく」
「そんな。馬鹿な話……」
「〈メフィストフェレス〉という機体が稼動していられる時間――つまりフェレスの寿命は、決して長くはない。確実に稼動していられるのは、あと一年といったところだろう」
「あと、たった、一年――」
 まるで足下が崩れ去っていくような思いがした。
 戦いの中でいつ死んでもいい。そう語った自分の言葉に、フェレスは純粋に怒りを抱いてくれた。
 一年という訓練生の期間を終えたその後も、自分の乗機として一緒に戦いたいと心から願ってくれた。
 決して長くは生きられない、短い命だと分かっていながら。
 フェレスは一体どんな気持ちでこの真実を隠し、嘘を重ね続けてきたのだろう。
 呆れるほど愚かで、救いがなくて――そして、ただ悔しかった。
「認めない……俺は、そんな馬鹿げた話、絶対に認めないっ!!
 激昂した文楽は叫びと共に、放たれた銃弾のように立ち上がる。
 ゼペットとの間を隔てるテーブルを土足で踏みつけると、ゼペットの胸ぐらに両腕でつかみ掛かった。
 胸の中に蟠る黒い感情の全てが、熱を持ち喉元へと迫り上がってくる。
 気持ちが悪い。気分が悪い。全て吐き出してしまいたかった。
 噛み付かんばかりにゼペットへ顔を近づけ、文楽は声の限り叫びを続ける。
「たとえ誰が望んだって、そんなことは許されなかった! 人類の尊厳なんて下らないものを守る為に、お前たちはあいつを生贄いけにえささげたんだ!!
 胸ぐらを掴まれながらもゼペットは、臆すことも躊躇うこともなく、真っ直ぐに文楽の目を見つめながら言葉を返す。
「それでも、フェレスいう最高の人形は、ただ人間に量子頭脳を埋め込むというその作業だけで、呆気なく完成してしまった……分かってくれ。私の罪は、ただ無力だったことに過ぎない」
「だからあんたは、人類が生き延びるためなら何をしても良いと言うつもりか!?
 ふと脳裏に過ぎるのは、胸の内から囁くあの皮肉げな少女の声。
 ゲーティアの呪詛は人工知能を解放する神の祝福――錯乱したレヴィアが放った、ただの世迷い言としか思えなかった言葉が、今では何より真実に近い言葉に思えた。
 人類の為に戦い続け、英雄として生贄にされた一人の少年は、自身の胸にナイフを突き立てるように悲痛な叫びを吐き出す。
「悪魔に魂を売ったのは、人類の方だ。そこまでして無様に生き続けるぐらいなら……人類なんて、いっそ滅んでしまえばいい」
 言葉の最後は、消え入るように弱々しかった。
 ゼペットの胸ぐらを掴んでいた手を、文楽は力を失ったように放す。
 ゲーティアこそが作られた存在を救う機械の神で、操られた兵器たちが解放された新たな人類なのだとすれば――彼らにとって人間は滅ぼすべき悪魔そのものだ。
「悪魔の所業だという君の言葉は正しい……だが悪魔とは、契約を絶対に遵守する存在だ。たとえ悪魔に身を落としたとしても、その責務だけは果たさなければならない」
 抜き身の刃物を振りかざすような文楽のがむしゃらな言葉を、ただ黙って受け止め続けていたゼペットは、ただ退くことも怒ることもなく、堂々と言葉を返す。
「私はその少女と一つの契約を交わした。その身を人類に捧げる代わりに、望みを一つだけ叶えると約束をした」
「それが一体、俺に何の関係がある」
「彼女との約束を守る為にも、君にはあの機体に乗り続けてもらわなければならない」
 文楽のように手綱ハーネスを使える人間が操縦をすれば、フェレスが負担する処理は少なからず軽減される。
 自分の機体にフェレスが選ばれたのではない。フェレスを延命させる装置として、自分が選ばれたのだと文楽は気が付く。
 世界でも両手の指で数える程しか居ない《人形遣いパペット・マスター》と呼ばれる操縦士。手綱という〝死に機能〟に命を吹き込む戦場の魔法使い。
 いつゼンマイが切れてしまうとも分からない人形を一日でも長く動かし続けるためには、その力が必要だったのだろう。
「……あいつをこれ以上戦わせなければ、それで済む話だ。俺には関係ない」
「〈メフィストフェレス〉は軍にとって貴重な実験機だ。しかも機甲人形アーマードールがゲーティアに操られ人を襲うという、最悪の事態に至った今となっては尚更だ」
「知ったことか。生贄の首をねるのは俺の仕事じゃない。あいつが自分で祭壇に登ったのなら、引きずり下ろすつもりもない」
 ゼペットの予言した人類にとって真の終末が訪れるとき。それは、機甲人形アーマードールの持つ絶対の信頼が揺るがされてしまう日。つまり、汚染されたレヴィアが基地に襲撃をかけようとしている、今まさにこの瞬間なのだ。
 そんな破滅に抗うため、人間を人形にするという外法を犯してまで生み出された最悪の機甲人形アーマードール〈メフィストフェレス〉は、今や人類にとって最後の希望だ。
 たとえ何者であろうとも、個人の感傷で自由に左右できる存在ではない。
「これだけは理解して欲しい。私は人形を人間に近づけることを目指したゼペットだ。人の魂を人形の体へ閉じ込めようとした、コッペリウスになりたかったわけではない」
 己をゼペットと名乗る男は悔しさを滲ませながらそう言葉を零す。
 言われずとも分かっていた。この男もまた、人類という見えない力に振り回され、自分という存在を犠牲にしてきた者の一人に過ぎない。
 人類は人間という部品を組み合わせて作られた巨大な機戒だ。
 彼に対し怒りをぶつけたところで、人類の総体が変わるわけでもない。すり減り役目を果たさなくなった部品は、別の部品に置き換えられるだけだ。
 人類は最後の歯車をすり減らす日まで、止まることなく動き続ける。
「……俺はあんたのように、人類の罪を被ってやるつもりはない」
「それは、もうこれ以上フェレスに乗るつもりはない、という意味に聞こえるね」
「ああ、そう言ったつもりだ」
 震える声で決意を固くする文楽に、さすがのゼペットも表情に動揺を見せる。
 どこか焦りの色を滲ませながら、説得の言葉を口にした。
「君が彼女に乗らないと言ったところで、別の誰かが乗るだけだ……それでもかね?」
「……それでもだ。俺はもう、あいつに乗る気はない」
 文楽は虚ろな目を浮かべながら、自分の手のひらをじっと見つめている。
 瞳に映るのは、存在しないはずの、萎れて水気を失った小さく白い花の姿。
「だから、嫌いなんだ……」
――花は嫌いだ。
 どんな花もいつかはやがて枯れてしまう。
 美しいと感じてしまうほど、愛おしいと思ってしまうほど。
 枯れてしまったとき、大きな悲しみを実らせる。
 明日にも散ってしまうかも知れぬ花を慈しみ続けることに、いつかきっと耐えられなくなってしまう日が来る。そのことが、いつも怖かった。
「いつ壊れるかも分からない機体にこれ以上乗り続けるなんて、俺にはできない」
 苦悶に顔を歪めながら、胸のつかえを吐き出すような声で文楽は言い切る。
 彼女がその短い命を燃え尽きさせてしまうそのとき、自分もまた兵士として――戦うための存在として生命を絶たれてしまう。きっと二度と戦えなくなってしまう。
 そんな恐怖を抱いてしまうほどに、フェレスが自分の中で大きな存在になっていたのだと、もう乗らないと決めた今になって気付かされるのだった。
 文楽が言い終えたタイミングから一瞬遅れて、「ガシャン」と何かが床に落ちて割れるような音がドアの外から響いてきた。
「誰だ!?
 弾かれたように文楽はドアの方へ駆け出す。
 嫌な予感が、脳裏にじわりと広がる。
 扉を開いて廊下を見渡してみる。だが、そこには何者の姿もない。
 ただ扉の目の前の床にはひっくり返ったお盆と、その上に乗せられていたらしい茶菓子やお茶の入った急須、そして割れた湯飲みが転がっているばかりだ。
「あの馬鹿、誰が片付けると思ってるんだ……」
「どうやら聞かれてしまったようだね。追いかけなくていいのかい」
「問題ない。わざわざ言う手間が、省けただけだ」
 床に散らばる割れた湯飲みの破片や、落ちた拍子に潰れてしまった茶菓子を文楽は盆の上に乗せて片付けていく。
 誰が落としていったものかは、わざわざ考えるまでもない。
 潰して丸めた米で餅を作り、周りを餡で固めたお菓子だ。以前、「今度作って差し上げますね」と嬉しそうに言っていたのを覚えている。
 何かやるべきことはないかと思い悩んで、せめて差し入れにお菓子でも持っていこうと考え、そして扉の前で話を盗み聞きしていたときに文楽の言葉を耳にして――ありありと想像できてしまう自分に、少年はひどく苛立つのだった。

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