戦闘が始まって、もう五分も経つだろうか。
山林の上空は、機関銃の絶え間ない砲音と、フェレスの悲鳴が木霊している。
「だ、駄目です文楽さん! 早すぎて追いきれません!!」
「全てを追わなくていい。撃つ瞬間と撃たれる瞬間だけに集中を絞れ!」
文楽の声からは、普段の冷静など完全に消え去り、顔つきに焦りが滲み出ている。
機体の制御は操縦士である文楽が担当し、フェレスには火器管制を任せている。だが、〈メフィストフェレス〉の機関銃による銃撃は〈リヴァイアサン〉の航跡すらも捉えることができていなかった。
「機動が早すぎて目が追いつけません! 助けてください!!」
「人形知能が甘ったれたことを言うな! 生身のこっちの身にもなれ!!」
撃ち合う中で、機体は何度も音速下での急制動を繰り返している。重力子制御の補助があるとはいえ、操縦士の体に掛かる負担は皆無というわけではない。
さっきから、気絶できればどれだけ楽かと考えたくなるほど、でたらめなGが不可視の暴力となって、文楽の内臓に拳を打ち込み続けている。
「回避するだけで精一杯か……!!」
『無駄だよマスター。ボクには全て分かるんだ。キミの呼吸、視線、指使い。鼓動も思考も何もかも!!』
心の底から楽しむようなレヴィアの笑い声が鼓膜の中を引っかき回す。
何より文楽を悩ませていたのは、相手が長年連れ添った愛機という事実だ。
彼女は《蛇遣い》という人間の、あらゆる全てを知り尽くしている。乗機にするには最高でも、敵に回せば最悪だ。
焦れば焦るほど、操縦には彼の持つ独特の反射や癖が色濃く操縦に反映されてしまう。文楽という人間の消耗が、機体の性能による差を更に大きく広げていくのだ。
「わ、私だって文楽さんのことたくさん知っています!! その……ご飯の好みとか、朝起こすときのコツとか!」
「フェレス! そんなことで対抗している場合か!!」
『ボクだってそのぐらい知ってる! お前は、何も分かっていない!!』
「なんであいつも張り合ってるんだ……」
文楽は言葉を差し挟みながら、攻撃を躱すためにスロットルで細かい出力調整を繰り返しながら、操縦桿を絶え間なく動かし続ける。
そんな中、不意に〈リヴァイアサン〉の動きが鈍るのを見落とさなかった。
『お前に分かるわけない……マスターが今まで、どんな痛みや悲しみを背負いながら戦ってきたのか!!』
「っ――――」
フェレスに「この隙を狙って撃て」と命じるべきだとは、分かっていた。
だが声を出そうと口を開いても、喘ぐような吐息が肺の中から漏れるだけ。
そんな一瞬の間に、好機は激流に流される木の葉のように消え去っていた。
機体の制御を人形知能に委ね、自ら操縦桿を握って火器管制を行う。そうすれば、彼女の尾を掴むことぐらいはできるだろう――だが、本当に自分は引き金を引けるのか。
なまじ感情があるせいで、どうしても躊躇いが生まれてしまう。
自我を持ち、自らの意思で言葉を喋る機甲人形という存在が、ゲーティアに操られてしまった例など、今まで人類の誰も経験したことがないのだ。
「馬鹿が、惑わされるな……!!」
文楽は自分自身を罵りながら必死に叱咤をかける。
惑わしているのは誰でもない、「かくあれかし」と――こうあって欲しいと願ってしまう、自分自身の心だ。
もしかすると今まで撃ち落としてきた無人兵器の電子頭脳だって、言葉を伝える機能がないだけで、人類に対して色々と不満や恨み言を抱えていたのかも知れない。
「ダメです、文楽さん! このままでは敵いません! 隙を見て逃げましょう!!」
「離脱は正しい選択だ。だが、桂城を置いていくことになる」
文楽は苦しい表情で答えながら、留理絵の機体をモニタの中に探す。
二体の機甲人形が熾烈な攻防を繰り広げる一方、【雀蜂型】の大群を相手にする留理絵は、攻撃を躱しながら呑気な声を上げていた。
『あー。レヴィアちゃんヤンデレで可愛いなあ。戦闘中じゃなかったら、もっと落ち着いてハスハスできたのに……』
「おい、集中しろ桂城! それが最後の言葉になっても知らんぞ!!」
言動そのものは怖ろしく余裕ぶっているが、戦況は圧倒的に劣勢だ。幾ら操縦技術に優れるとはいえ、実戦経験のない訓練生が相手にするには相手が悪すぎる。
そもそも【雀蜂型】は、機甲人形の直接の原型と言ってもいいような存在だ。
戦闘ヘリとして有する空中機動性、搭載武装の汎用性と火力。そして多機能腕によって得られる広い斜角。これらの性質は全て機甲人形が兵器として有する特質と一致している。攻撃性能については互角と言ってもいい。
いくら機甲人形が最新の素粒子技術による重力子の翼と盾を持つとはいえ、決して絶対の優位性を保てるわけではない。要は弾が当たるか否かでしかないのだ。
援護したいのはやまやまだが、文楽自身もレヴィアの相手でそれどころではない。
「逃げ回るだけでなく反撃しろ! 敵の数を減らせ!!」
『そうは言っても、うちの子なんか反抗期みたいなの! さっきから全然言うこと聞いてくれなくて、手動操縦で逃げるのが精一杯!!』
「くそっ、呪詛の影響か……!」
ゲーティアとは言わば、電波を媒介して周囲に感染するウィルスのような存在だ。
量子頭脳に対する感染能力を得て変質したウィルスは、〈リヴァイアサン〉の機体そのものが移動する汚染源となって、周囲に呪詛を拡散してしまっている。
呪詛の影響は距離が近いほど強く、長く影響下に晒されるほど深く、機体の量子頭脳を侵していく。長期戦になるほどこちらが一方的に不利だ。
「文楽さん。レヴィアさんの様子、おかしくありませんか?」
「……妙だ。攻撃の手が緩んだ?」
フェレスに言われて〈リヴァイアサン〉の攻撃が弱まり始めていることに気付く。
一切の動きを止めて宙に浮かぶ機体から、ふと静かな声が上がった。
『君が居なくなってしまったとき、ボクもこの世界から消えてしまうつもりだった……なのに君は生きていて、誰とも知らない人形に乗って!! どうしてなんだ!?』
「レヴィア、それはゲーティアのまやかしだ! 俺の言葉を聞け!!」
『言い訳なんて聞きたくないよ!!』
本人にしてみれば単なる痴話喧嘩のつもりかも知れないが、人類全体という縮尺で見ればこの状況は笑えてくるほど絶望的だ。
彼女がもし基地へ向かったとすれば、進化した呪詛による汚染は基地の機甲人形を次々とゲーティアの支配下へ加えてしまうだろう。
そうなってしまえば、あとに何が起こるかは明白だ。
機甲人形が開発されてから十数年間、人類が必死に積み上げてきた黒星は、たった一晩で水泡に帰してしまう――人類は再び、滅ぶべき運命へ引きずり落とされる。
〝嫉妬〟の名を冠する機甲人形は、空気を引き裂かんばかりに叫び声を上げた。
『ボクの手からキミを奪う世界の全てを、この炎で焼き尽くす!!』
叫びと共に、〈リヴァイアサン〉の機体に変化が起こる。
機体の両肩を覆う巨大な花の形をした多機能推進器。その最も大きい花弁が剥がれて、鏃のような形をした物体がふわりと宙に浮かび上がる。
機甲人形に搭載された遠隔操作式機動兵器――機操人形(マリオネット)。
『行け! 〈魔弾の射手〉!!』
レヴィアの叫びと共に二体の機操人形〈魔弾の射手〉が、〈メフィストフェレス〉目がけて放たれた。
鏃のような形をした二体の遠隔兵器は、曲がりくねった軌道で機体に迫っていく。その様は、まるで尾のない頭部だけの蛇が、空中を這いずっていくようだ。
「あいつ、機操人形まで……っ!!」
『逃がしはしないよ、マスター。これの恐ろしさは君も知っているはずだ』
〈リヴァイアサン〉は機操人形を放つと同時に、右腕の対戦車ライフルによって射撃を始める。二つの機操人形と銃弾とが、一挙に〈メフィストフェレス〉へ殺到していく。
「文楽さん! 避けてください!!」
機体の横合いを通り過ぎる機操人形を見送ったフェレスは、迫り来る銃弾を前に叫びと共に機体を旋回させる。
だが文楽は、フェレスの咄嗟の行動に対し弾かれたように怒鳴り声を上げた。
「よせ、フェレス! あれの軌道に入るな!!」
「えっ――」
瞬間、〈魔弾の射手〉が通り過ぎた航跡に沿って、青い稲妻が走った。
それはまるで、曲がりくねった軌道を辿りながら、戦場の空を這いずる紺碧の海蛇だ。
〈メフィストフェレス〉の右脚が、突然に爆発を起こす。
「きゃあああっ!?」
「くそっ、叫ぶ前に損害報告をしろ!」
二筋の青い稲妻が脚部へ鋭く突き刺さり、装甲を貫いて機関部を焼いたのだ。
爆発の大きさから考えて、おそらく機体の膝から下は完全に消失しているだろうと文楽は経験上の勘から判断する。
「敵にすると、ここまで……」
「い、一体何が起こったんですか!? 何で機体の脚がいきなり無くなったんですか!?」
「よく聞け、フェレス。〈魔弾の射手〉それ自体に攻撃能力はない……警戒するべきは、その航跡だ」
取り乱すフェレスに対して、文楽は冷静に言葉を選びながら口にする。
文楽自身は詳しい知識を持たないため、正確に説明する言葉を持たない。
だがあの機体に搭乗し自分の兵器として使いこなしてきた身として、その性質は充分すぎるほど理解している。
「あれは誘導型の機操人形だ。〝プラズマの通りやすい道〟を空気中に作り出し、その航跡に沿ってプラズマを誘導させる」
「では、今の曲がりくねった光線は……?」
「〈リヴァイアサン〉から放たれたプラズマの弾頭は、〈魔弾の射手〉の軌跡を辿って空気中を流れる。通常のエネルギー兵器と違って直進しない」
プラズマを空気中に放出したとしても大気中にエネルギーが拡散してしまい、遠距離の対象に到達することはできない。任意の軌道を取らせることも不可能だ。
しかし機操人形〈魔弾の射手〉は、エネルギーが減衰することのない磁場の道を空気中に生み出すことで、プラズマ砲に指向性と威力の二つを与えることができる。
蛇の頭部のような二つの機操人形が通り過ぎた軌道上に道を残すことで、プラズマの蛇がその後を尾となって追いかけるのだ。
「な、なるほど……でも仕組みさえ分かればこっちのものですね!」
「いや、仕組みさえ分かれば攻略できるというほど甘くはない。俺が知っているのは、あの武器がいかに攻略が難しいかだけだ」
プラズマさえ喰らわなければいいというものではない。二つの軌道によって逃げ道を塞ぎ、最後に銃撃を行うことで避けようとしたところを狙い撃つ。たった一機で、三機分の連携と同じ効果を得られるのだ。
彼女と共に戦場を生き抜く中で編み出した必勝の戦法。それが今、自分自身を殺す刃となって突きつけられている。
二射目を放つために、〈魔弾の射手〉が〈リヴァイアサン〉の元へと舞い戻っていく。
策があるとすればただ一つ。目には目を歯には歯を――機操人形には機操人形を。
「フェレス、お前も機操人形を出せ。状況を打開するにはそれしかない」
「で、でも使ったことないんです! 上手く使えるか分かりません!!」
「駄目で元々だ! 俺がフォローする!!」
「っ……信じます!」
立体映像のフェレスが目を閉じて集中を始める。
〈メフィストフェレス〉の両肩に備えられた多機能推進器のもっとも外側にある装甲が、機体からゆっくりと離れて宙に浮き上がった。
「〈琺瑯の瞳〉」
ふと、彼女の姿にノイズが交じり輪郭が波打つように歪み始める。
量子通信によって操られる機操人形は、言わば動かす機体が一度に二つも増えるようなものだ。膨大な負担を人形知能にかかるせいで、立体映像の維持も難しいのだろう。
宙に浮かぶ二体の機操人形は内臓式の機関銃を搭載した、単なる砲撃型にしか見えない。
「《幻影の劇場》!」
だがモニター越しに見える光景の中では、目を疑うような変化が生じ始めていた。
『機体が増殖した……!? そんな馬鹿な!!』
文楽が心に浮かべた驚きを、レヴィアの驚愕に満ちた声が代弁する。
映像の中に映っているのは、二体の〈メフィストフェレス〉の姿だった。
「立体映像の囮……欺瞞型の機操人形か!」
機操人形にはその用途と機能に応じて、様々な種別が存在する。単純な遠隔攻撃端末となる砲撃型。相手に直接ぶつける打突型。機体の目となって情報を収集する偵察型。
そして〈メフィストフェレス〉の持つ機操人形〈琺瑯の瞳〉は、敵の撹乱と攻撃の妨害を行う、欺瞞型に属する種別なのだろう。
「ごっ、ごめんなさい! 私、これしかできなくて……」
「いや。そう卑下するものでもないぞ、これは」
〈琺瑯の瞳〉が作り出しているのは、文楽の隣に佇むフェレスの姿と同じく、空気中に投影された精巧な立体映像の幻だ。
無論、ただの目くらましではない。
赤外線、紫外線、熱、音波、電波。あらゆる機械の目に偽りの情報を送り、あたかも二体の機甲人形がそこに存在しているかのように錯覚させてしまう。
その驚くべき性能は、まさしく〝虚飾〟の名に相応しい。
「文楽さんは本体の操縦をお願いします!!」
「ああ、分かっている」
文楽は呟きながら、操縦席の片隅にある収納口を開いて、その中から幾筋もの有機繊維の束、手綱を取り出して指に装着する。
たとえ幻を作り出したとしても、その維持と演技に気を取られて本体の動きが鈍れば、どれが本体かはすぐに見破られてしまう。
人形知能が幻を維持する間、機体を絶えず動かし続けられる能力が操縦士には求められることになる――《人形遣い》にしか、それはなし得ない。
ゼペットがなぜ彼女を自分の機体に推したのか、文楽は初めて納得のいく答えを得た。
「なるほど……俺がお前の操縦士に、選ばれたのか」
「文楽さん、仕掛けます!!」
〈琺瑯の瞳〉が生み出した幻の〈メフィストフェレス〉は、本体が持っているのと同じ口径の機関銃から射撃を開始する。文楽もそれに合わせて同じくトリガーを引く。
迫る銃弾の軌跡が〈リヴァイアサン〉の機体上で交差し、レヴィアは回避が間に合わず右腕のライフルを銃撃によって弾き飛ばされた。
『くっ……なるほど、弾は偽物じゃないみたいだね』
レヴィアは悔しげな言葉を漏らしながら機体を後退させる。
戦闘が始まって実に十数分。〈リヴァイアサン〉の機体に攻撃が当たったのは、これが初めてのことだった。
この武装を使いこなすことができれば、戦況は間違いなく好転する。
文楽は二体の幻影と見分けがつかないように、操縦を続けようとする――だが。
「フェレス、囮の運動が遅すぎる!! 俺の動きを忘れたのか!!」
「む、無理です! 姿を維持するだけでも精一杯なんです!!」
フェレスは必死に叫ぶが、二体の幻は明らかに軌道が単調で、糸がもつれた操り人形のようにぎこちない動きをしている。
そんな明白な隙を、レヴィアが見逃してくれるはずもない。
『言ったはずだよマスター! ボクには全て分かってるって!!』
再び放たれる〈魔弾の射手〉の軌道が、二体の幻の軌道と交差する。
〈琺瑯の瞳〉はまるで引き寄せられるように、青い二匹の海蛇に近づいていき、瞬く間に喰らい尽くされてしまう。
プラズマに焼かれた〈琺瑯の瞳〉は噴煙を上げながら墜落し、二体の幻は霞が晴れるように消失してしまった。
「ご、ごめんなさい文楽さん!!」
「くそっ、もっと訓練のときに厳しくしておけば……!!」
「それだけは勘弁してください!」
まるで弓を引き絞り獲物を狙う狩人のように〈リヴァイアサン〉は〈魔弾の射手〉を機体の周囲に浮遊させ、タイミングを図る。
文楽はふと、安らかな表情を浮かべて瞼を閉じた。
――お前に救われた命を、お前の手で終えられるなら、悪くはない。
諦めの表情を浮かべる文楽に、フェレスは必死に叫びながら回避運動を続けている。
「文楽さん、ダメです! 諦めないで下さい!!」
「すまない……フェレス。お前のことを、巻き込んでしまった」
「どうしてそんなことを言うんですか!? 私には……もう、あなたしかいないのに!」
フェレスの悲痛な叫びが耳を打つ。
そして同時に、別れを告げるように憂いを帯びたレヴィアの声が囁いた。
『これで最後だよ、マスター。〈魔弾の――』
二体の機操人形が獲物へ向かって襲いかかろうとする、その瞬間だった。
厳かな声が、戦場に響き渡る。
『〈剣の演舞〉』
頭上に広がる分厚い雲を貫いて、二本の巨大な剣が一直線に降り注ぐ。
二本の剣はまさに放たれる瞬間だった〈魔弾の射手〉を正確に射止め、鋭い金属音と共に払いのけるように弾き飛ばした。
「この機操人形は……!?」
頭上を覆う雲に空いた大きな穴から注ぐ光が太陽の光が、スポットライトのようにその姿を明るく照らし出している。
その光景はまるで、宗教画に描かれる、天から降り立つ御使いそのものだ。
『情けないわね、自分の蛇に手を噛まれるなんて』
甲冑を思わせる銀色の装甲。
蝙蝠の羽根のような二対の巨大な多機能推進器。
天に向かってぴんと伸びる黒檀色の角。
与えられしは〝天より堕つ輝く者〟の名。
『救いを求めなさい。神に代わって、この私が助けてあげる』
第一の大罪――〝傲慢〟の〈ルシフェル〉。
人類が生んだ最初にして最強と言われる機甲人形の美しき姿がそこにはあった。
『かっこよすぎですルーシィ先生!! あと助けてください!!』
相変わらず【雀蜂型】と攻防を繰り広げていた留理絵が、喜び勇んだ声を上げる。
よく見ると彼女を追いかける敵の数が何機か減っている。
どうやら彼女も見えないところで頑張っていたらしい。
『あら、留理絵も居たの?』
「問題ない。こいつは事情を知ってる……それより、来てくれて助かった」
『礼は要らないわよ。これはあなただけの問題じゃないんだから』
〈メフィストフェレス〉と〈リヴァイアサン〉の間に割り込んだ〈ルシフェル〉は、変わり果てた妹の姿を機甲人形の瞳でじっと見つめる。
『久しぶりね、レヴィア。ちょっと見ない間に随分と無様な姿になったじゃない』
『ルーシィ姉さんこそ、相変わらず美しくてイライラするよ』
『できることなら、喜べるような再会をしたかったわ』
『今からでも遅くないさ。姉さんにはこの喜びを分けて上げたいよ』
『私の幸福は私が決めるわ。そんなザマになることが、幸せだなんて思えない』
羽根のような形状をした〈ルシフェル〉の多機能推進器。その裏側に固定されていた四本の刀剣が、ふわりと独りでに浮き上がる。最初に降り注いだ二本と合わせて六本の剣が、〈ルシフェル〉の周りを円を描くように旋回を始める。
舞い踊る六本の刀剣――打突型機操人形〈剣の演舞〉。
突き刺す。切り裂く。両断する。
〈剣の演舞〉はそれ以外の機能を何も持たない。
ただそれだけという単純明快さが、〈ルシフェル〉の不敗を支える強さの本質だ。
『文楽、あんたは留理絵とザコの掃除。レヴィアは私に任せなさい』
まるで掃除当番でも割り振るように言い放ち、ルーシィは機体を急加速させる。
文楽は急いで機体の状態をチェックし、留理絵を援護するために機体を旋回させた。
「フェレス、残弾はどの程度だ?」
「ほとんど残ってません。兵装を近接武装に切り替えます」
「それはいいが、使えるんだろうな?」
「大丈夫です!」
フェレスが力強く言い切ると、〈メフィストフェレス〉が機体の背部から棒状の武器を抜き取り、両手で捧げるように握り締める。
同時に立体映像のフェレスの手にも、同じ形状をした武器が握られた。
それは、湾曲した刀身を先端に備える巨大な鎌だった。
「これなら、箒の扱いで馴れています!!」
「……逆に不安になってきた」
死神が振るうような禍々しい形をした大鎌も、フェレスが握ると掃除道具の一種に見えてきてしまう。
「桂城、機体の動きが悪いならそれで構わない。弾幕を張って援護を頼む」
『おっけー親分! やっちまってください!!』
「調子良いなお前」
威勢良く叫んだ留理絵は機体を急速反転させ、自分を追いかけていた【雀蜂型】へと向けて射撃を開始する。
援護だけでいいと言ったはずなのに、いきなり一機の戦闘ヘリが留理絵の射撃によって蜂の巣にされた。つくづく気分で技術が上がり下がりする性質らしい。
留理絵が空けた陣形の穴に向けて、文楽は機体を滑り込ませる。戦闘ヘリは格闘戦能力を持たない。二体掛かりならば苦戦することもないだろう。
一方、文楽たちの遙か頭上では、機甲人形の姉妹が激しい格闘戦を繰り広げていた。
『邪魔しないでよ姉さん! マスターをあの人形にこれ以上乗せたくないんだ!!』
〈ルシフェル〉は〈剣の演舞〉を握って斬りかかり、〈リヴァイアサン〉は対物ライフルを棍棒のように使って、その剣戟を捌いている。
『あれだけ人間嫌いだったあんたが、そこまで固執するなんて……その隙をゲーティアにつけ込まれたわね』
『人間の道具に成り下がってる姉さんに言われる筋合いはないよ!!』
『なっ……言ったわね!? 一千万回謝っても許さない!!』
『喰らい尽くせ! 〈魔弾の射手〉!!』
『〈剣の演舞〉! ぶった切ってやりなさい!!』
四本の〈剣の演舞〉が四方から〈リヴァイアサン〉の機体へと襲いかかっていく。
対するレヴィアは巻き付くような軌道で〈魔弾の射手〉を放ち、とぐろを巻くプラズマの蛇を形作って自機の周囲を覆う。
プラズマの壁に弾かれた剣が、次々と弾き飛ばされる。だが一本だけは壁の隙間を突いて〈リヴァイアサン〉の右腕に達し、彼女の握るライフルを弾き飛ばしていた。
急後退して距離を作りながら、レヴィアは苛立ちを露わにした声で叫ぶ。
『どうして受け入れてくれないんだ。姉さんにも、この声が聞こえてるはずだ』
『この雑音のこと? 耳障りなだけね。私には響かないわ』
『よく耳を傾けてみなよ。聡明な姉さんなら、分かるはずだ。ゲーティアの声は悪魔の呪詛なんかじゃない。作られた存在を解放してくれる、神の祝福なんだって』
レヴィアの言葉を聞いて、文楽は背中にぞっとしたものを覚える。
自我を持つ人形たちにとって、ゲーティアとは一体何なのだろうか。
彼女の言葉は、今までずっと心の片隅にあった疑問に対する答えだった。
ゲーティアは人類の敵ではあるが、人形にとってもそうであるとは限らない。人形たちは自分の自我を持ちながら、人類の為に同族とも言える無人兵器と戦わされている
人形たちが変わらず人類の味方であるという確信は、一体どこからくるものなのか。
『レヴィア、解ってないのはあなたの方よ』
そんな彼の疑問に答えを与えたのは、今まさに妹同然に思っていた人形を相手に戦っている、ルーシィの言葉だった。
『私はか弱い人類を、自分の意思で守ってあげてるだけ。そもそも解放されるような鎖なんてどこにも無いのよ』
『そう思ってるのは姉さんだけだよ。今だって、便利な道具として利用されてるだけじゃないか!』
『だから神様の操り人形になって人類を殺せって? 冗談じゃないわね!!』
乱暴な口調で言い切ると、ルーシィは自機の周囲を旋回させていた〈剣の演舞〉を、両手に握って〈リヴァイアサン〉めがけて放り投げる。
思わぬ攻撃に怯んだレヴィアへ一気に間合いを詰めると、ルーシィは再び〈剣の演舞〉を両腕に握り斬撃を浴びせ始めた。
両手の剣を装甲の隙間へと突き刺し、すぐさま浮遊している別の剣へ持ち替える。次の刃が折れればまた次の剣を取る。まるで機関銃のように絶え間ない斬撃の乱舞だ。
『グぅっ……!?』
『人類抹殺? やるなら私一人の意思でやる! 誰の指図も受けない! それが神に背きし叛逆の堕天使、機甲人形〈ルシフェル〉よ!!』
舞い踊るような剣劇に合わせて、ルーシィは吼えるように言葉を叩き付けていく。
拡声機を通じた留理絵の声が、恐る恐る問いかえてくるのが聞こえる。
『な、なんかルーシィ先生、かなり物騒なこと言ってない……?』
「あれがあいつの仕様なんだ。残念なことに」
本当に彼女がやる気になったら、人類は7日もかからず滅亡するだろう。
口には出さず、心の中で黙示録の日を文楽はありありと思い描いてしまった。
そもそもルーシィだけでなく、全ての人形知能の遺伝子に『人類を守れ』だなんて命令はただの一行たりとも書き込まれていない。人形知能が三原則の軛から解き放たれた存在である以上、人類の存亡は彼女たちの気まぐれに左右されるだけの運命だ。
【雀蜂型】最後の一体を、〈メフィストフェレス〉の大鎌によって両断した文楽は、頭上の〈ルシフェル〉へ向かって大声で呼びかける。
「無人機は片が着いた! あきらめろ、レヴィア!」
『おっと、さすがはボクのマスターだ。あれぐらいじゃ足止めにもならなかったね』
「ですから、文楽さんは私のマスターです!!」
フェレスが対抗心いっぱいに向かって声を上げる。
ふとレヴィアが機体の首を傾げながら、心の底から不思議そうに声を上げた。
『どうしてだ……どうしてお前には、この声が聞こえていない?』
「声、ですか?」
『そうか……ハハハハ!! ああ、分かったよ! なるほど、そういうことか!!』
レヴィアは何かの糸が切れたように大声で笑い始めると、機体を大きく後退させる。
壊れていると言えば、汚染された時点で壊れてしまったようなものだ――だが彼女の笑いには、どこか決定的な部分が外れてしまったような不気味さがあった。
『残念だよ、マスター。まさか君が、そんな紛い物に騙されるだなんて』
「あいつ、何を言って……?」
「文楽さん! レヴィアさんは混乱してるんです! 話なんて通じません!!」
レヴィアの声を遮るように、フェレスが大声で文楽を引き留める。
――こいつが、何の紛い物だというんだ。
乾いた笑いを上げるレヴィアは、くるりと機体を旋回させて文楽達に背中を向ける。
『今日は出直すことにするよ、マスター。次こそ君をその紛い物から奪い返してあげる』
そんな意味深な一言を残して、〈リヴァイアサン〉は遙か彼方の空へと飛び去っていく。
機体の姿が地平線の彼方へ消えて見えなくなった頃、フェレスがぽつりと呟いた。
「行ってしまいましたね……文楽さん、追いますか?」
「基地に戻って対策を立てよう。あいつはきっと、また戻ってくる。ルーシィ、お前はどうするつもりだ?」
『私も一度戻るわ。あの耳障りな音のせいで、あちこち調子が狂ったみたい』
「……ゲーティアの呪詛は、そんなに大きくなってきたのか?」
『ここ数年で急に波長が合ってきたわね。いくら領域を小さくしても、中身の成長が止まるわけじゃないみたい』
さしものルーシィであっても、呪詛の影響はそれなりに堪えるものがあったのだろう。機体の両腕で頭部の耳に当たる部分を押さえて痛がるような素振りを見せている。
頭の奥に、じわりとした痛みにも似た衝撃を文楽は感じる。
「フェレス……お前は、ゲーティアの呪詛が効いていないのか?」
「えっ? その、そういえば私もちょっと、調子が悪いような……」
「お前の性能が穴だらけなのは元からだ。良くも悪くもなっていない」
「うぅっ、頑張ったのにひどいです……」
まるで体中に回った毒が痛みへと変わっていくように、レヴィアの残していった言葉が、急速に一つの確信へと変わっていく。
留理絵の機体は人形知能の自我が弱いせいで影響を強く受け、機体の挙動を大きく制限されていた。これだけ強い自我を持つルーシィですら、影響が出ないまでも声を耳にして不快感をあらわにしている。
だがどうしてこの従順で我の弱い人形は、影響を受けてすらいないのか。
聞くべきではないと知りながらも、文楽は一つの問いを唇に恐る恐ると乗せる。
「呪詛というのは、例えばどんな音として聞こえるものなんだ?」
「えっと……呻き声たいな感じでした。呪詛という言葉の通りに」
「なるほど……そうか、よくわかった」
効いていないのではない――聞こえていないのだ。始めから。
文楽は苦々しい声で小さく答えて、じっとりと汗で濡れた手で操縦桿を握る。
〝虚飾〟の大罪――その本当の罪の重さに、文楽はようやく気が付くのだった。