第二章 Woke From Dreaming(3)

「聞いたか桂城けいじょう? 転校生が来るって話」
 郡河こおりがわ基地訓練学校の騒がしい教室。
 桂城留理絵るりえは、今日何度目になるか分からない質問に内心でうんざりしながらも、作り笑顔で男子生徒の問いかけに応じた。
「ええ、聞いてるわ。珍しいわよね、外から人が来るなんて」
 聞くも何もあったものではない。教室中、どこもかしこも同じ話題で持ちきりだ。
 週末の休みを除いて、彼らが訓練生として授業を受けるのは一週間の内三日間。あとの三日間は普通学校に通う同い年の生徒達と一緒に、国語や数学といったありふれた授業を受ける。
 今日は基地内にある講義室で、軍人としての授業を受ける日。教室の中に居るのは皆、将来は操縦士として人類の命運を担う訓練生たちだ。
「桂城のオヤジって、軍の関係者だろ? 何か聞いてないのか?」
「ううん。父さんからは何も聞いてないわ」
 留理絵の座席は、同じ訓練学校に通う男子生徒達によって囲まれている。
 訓練生の中で女子生徒は彼女だけなのだ。むさ苦しい訓練学校の貴重な潤いとして男子生徒達からは特別扱いをされているのだ。
 十年前まで総力戦状態だった日本も、機甲人形アーマードールが開発されてからはかなり余裕が出てきている。女性の兵役志願者が少ないのは、そうした戦況の好転を示してもいた。
「なんか授業サボってた不良三人組を、一人で相手にして勝っちまったらしいぞ」
「マジかよ。俺はさっき、海の向こうからやってきた外国人って噂聞いた」
「ないない。日本以外の国なんてもう滅んでるに決まってんだろ」
 男子生徒達は、互いに根も葉もない噂話に興じている。
 留理絵の父親は軍の人間とはいえ、単に技術士として機甲人形アーマードールの整備の職に就いているだけ。特に情報が入ってくるはずもない――だが、一つ気になっている点はある。
 この基地に、新型の機甲人形アーマードールが運び込まれたという話を耳にしたことだ。しかも前線でも一部の機体にしか与えられていない、仮装人形アバターまで一緒に納品されたという。
 訓練機は訓練生一人につき一機充当されることになっている。訓練生が一人増えるとなれば、新たに一機運び込まれてくるのは自然な流れだ。
 だが、自分たちが使っている訓練機は、どれも旧型となった軍のお下がりばかり。工房都市で建造されたばかりの新型が、その転校生にいきなり訓練機として与えられるなどあり得るのだろうか。
 もし自分の想像が当たっているとすれば――それは、とても許しがたいことだ
 留理絵が考え込む間にも、男子生徒達は他愛のない噂話を続けている。
「転校生って男かな? 女かな?」
「やっぱ女だと嬉しいよな……ああ。別にお前に不満があるわけじゃないぜ、桂城」
 男子生徒の気障きざな笑いに、留理絵は内心どうでもいいと思いながらも愛想笑いを返す。
「いいわよ、気遣ってくれなくて。私だってかわいい女の子の方が嬉しいもの」
「ははは! だよな。こんな男共に囲まれてばっかりじゃ、桂城も女子のクラスメイトぐらい欲しいよな」
「ええ、ほんと。本音を隠すのって大変よね」
 留理絵はつまらなそうに冗談を言って、ふうと小さくため息をつく。
 その直後に、担任である青田教官が教室の扉を開いて姿を現した。
 生徒たちが着席したのを見計らって、青田教官は困ったような表情で口を開く。
「もう聞いているかとは思うが、今日は転校生が来ることになってる。いや、来ることになっていた
 教室の生徒達は互いに顔を見合わせて、ざわざわとどよめき始める。
 困り果てた様子の担任は生徒達の私語を注意することもなく言葉を続ける。
「予定ではもう到着しているはずなんだが、一向に姿を現さなくてな。一体、今頃どこに居るんだか――」
 担任が言いかけたとき、窓際に座っている生徒の数人がうわずった叫び声を上げた。
「うわっ、何だコイツ!?
「おい、どうしたんだ!」
「窓に! 窓に!!
 教室の生徒と担任が一斉に、声を上げた生徒の座る窓の方へ視線を向ける。
 そこには、窓枠をしっかりと掴む四本の指が窓の外から生えていた。
 その指の持ち主は、三階にある教室まで壁面を登ってきたのだろう。開いていた窓から教室の中に人影が飛び込み、猫のような身軽さで着地する。
 教室全体が不気味な沈黙に包まれる中、闖入者ちんにゅうしゃは生徒たちの視線を一身に受けながら、ゆっくりと頭を下げて言い放った。
「申し訳ありません、教官。到着が遅れました」
「遅すぎだ! いや、まずなんで窓から入ってきたんだお前は!?
「建物の場所はなんとか案内してもらって見つけたのですが、この教室に辿り着くための方法が分からなかったので、壁を登坂して最短距離での到達を選択しました」
「だからって窓から入ってくる奴が居るか! ここが何階だと思ってる!?
「三階……だったようですね。最初は五階だと思っていたのですが、登り切ったところで間違いに気付きました」
「……ああ、もういい。とりあえず自己紹介しろ。話はその後だ」
 なんかとんでもないのが来ちゃった。
 教室全体の意識が無言のまま一つになっていくのを留理絵は感じた。
 謎の転校生は教室の訓練生達を見回すと、丁寧に頭を下げてから口を開く。
「今日からこの訓練学校に転入することになりました、愛生あおい文楽ぶんらくです」
 留理絵は生徒の一人として、文楽という転校生の顔を改めて正面から見つめてみる。
 感情の見えない表情に、深い穴の底を見つめるように虚ろな瞳。
 体中に異様な雰囲気を纏った少年。
――まるで、お人形さんみたい。
 それが転校生に対して抱いた、留理絵の率直な印象だった。
「いやいや……何ばかなこと考えてんだ私」
 自身の馬鹿げた考えに、留理絵は思わず失笑してしまう。
 〝お人形さん〟だなんて、普通は小さな女の子を可愛く表現するための言葉だ。とてもじゃないが、同い年の――しかも男子に対して使うような表現ではない。
 だが不思議と、それ以外の適切な表現が思いつかなかった。
 名前を言うだけ言った文楽は、まるでゼンマイの切れた絡繰からくり人形のようにじっと立ち尽くしている。担任が助け船を出すように問いかけた。
「それだけか、愛生? 何か他にもっと無いのか。趣味とか特技とか」
「ええと、特技なら一応あります」
「ほう、何ができるんだ?」
「人形を操るのが得意です」
 教室の訓練生達が、呆れたような表情を一斉に変え、眼光を鋭くした。
 まだ機甲人形アーマードールに触り初めて間もないとは言え、彼らは国防軍の操縦士になるべく各地から集められ、厳しい審査を乗り越えた末に訓練生となったエリート達だ。
 そんな彼らの前で、「人形を使うのが得意」と言い放つなど並大抵のことではない。
 文楽は生徒達の表情の変化に気付いた様子もなく、手に携えていた鞄の中から小さなものを取り出す。
 目をこらして見ると、それは手足に糸の繋がれた粗末な木彫りの人形だった。
「コレガボクノ特技デス」
 文楽は指先に絡めた糸を操って、人形にお辞儀をさせながら甲高い声を上げる。一体あの仏頂面のどこから、こんな愉快な声が出るのだろうか。
 しかも表情に全く感情という感情が見えないせいでかなり不気味だ。口を全く動かさず声を出しているのは芸として器用だが、とても感心するような気分になれない。
 ふと生徒の一人、剣菱雅能が真面目な表情で文楽へ向かって声を掛けた。
「なあ、転校生。その人形に名前とかあるのか?」
「え、エット……ぴ、〝ぴお助〟トイイマス」
「変な名前だなあ。ていうか絶対今考えただろ」
 教室中の生徒達に見つめられながら、文楽は器用に指先を動かして人形を流麗に動かし続ける。まるで内部に機械が組み込まれているのではないかと思えるほど、人形の動きは精密で淀みがない。
「皆サン、コレカラヨロシクオネガイシマス」
 文楽は唇を一ミリも動かさずにそう言うと、人形に再び丁寧なお辞儀をさせる。
 生徒達は戸惑った表情を浮かべながら、口々に近くの生徒と言葉を交わし始めた。
「人形ってそっちのことかよ……驚いて損したな」
「ちょっと不気味だな。何考えてるのか分かんないっていうか」
「でも結構面白そうじゃね? 珍獣みたいな感じで……見てる分にはだけど」
 生徒達は口々に言い合いながら、奇妙な転校生をそれぞれの形で受け入れている。
 だがそんな喧噪けんそうの中、留理絵一人だけはゴクリと喉を鳴らして息を呑むばかりだ。
――どうして誰も気付かないのだろう。
 あの転校生はたった五本の指で、幾つもの部品と関節からなる〝人形ひとがた〟を自在に操って見せたのだ。
 淀みのない正確な指先の制御。複雑な動きを絶え間なく続ける処理能力。人形そのものの見た目があまりに質素なせいで気付かれにくいが、どちらも機甲人形アーマードールを操縦するための高い適性を有している証拠だ。
 気になる点は他にいくらでもある。彼は転校生でありながら、自分がどこから来たかも、今まで何をしてきたかも口にしようとはしなかった。
 そもそも、彼のような常識も知性も感じられない人間が、一体どうやって困難な訓練生の適性試験を通過できたのだろうか。
「愛生、わかった。もういい、その辺で」
「了解です」
 担任の言葉に短く答えると、文楽は右手の動きをぴたりと止める。
 それと同時に、カタカタと音を立てて踊っていた木彫りの人形が、魂が抜けてしまったようにくずおれた。
 生徒達は戸惑った表情を浮かべながら、まばらな拍手を文楽へ送り始める。
「愛生文楽か……ちょっと、気になるかな」
 彼がこの場に居るのは、何らかの不正によるものなのか。あるいは、自分には想像もつかない不可視の力が働いた結果なのだろうか。どちらにせよ、許しがたい相手であることには変わりが無い。
 他の生徒達と同じように小さく手を叩きながら、留理絵は熱っぽい視線を文楽へと送り続けるのだった。

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