第二章 Woke From Dreaming(1)

「――こうして己の身を犠牲に、東海地区一帯を人類の手に取り戻した《蛇遣いアスクレピオス》は、英霊の末席に名を残すこととなった」
 教科書を読み上げていた教官は、物々しい表情でそう言葉を締めくくる。
 ここは、北部国防軍郡河こおりがわ基地の敷地内に敷設された、将来機甲人形の操縦士となる軍人を育てるための訓練学校。
――今更、聞くまでもないような話ばかりだな。
 訓練学生の一人、愛生あおい文楽ぶんらくは退屈そうな顔つきで教科書の内容に目を落としている。ついでにまぶたもウトウトと落ちかけている。
 教科書に載せられている写真は、《蛇遣いアスクレピオス》の乗機である濃紺の機体〈リヴァイアサン〉を写したものだけ。
 その英雄がどんな姿をしていたのか、年齢も性別も、本名すら記録に残されていない。
「世間では『そもそもその存在自体、軍が作り上げた架空の偶像だったのではないか』なんて噂話もあるが、それについては断じて違う。俺がその生き証人だ」
 教官は教科書を閉じると、教室をゆっくり歩き回りながらしみじみと語り始める。
 太い筋肉質な脚の片方を、奇妙な角度を維持したまま引きずっている。まるで脚の形をした物体が、腰からぶら下がっているかのようだ。
「俺も怪我で退役する前は、地上部隊の一人として戦場に居た……今でもまるで、昨日のことのように思い出す。敵地の真っ只中で孤立した俺達を、危険もいとわず果敢に助け出してくれた〈リヴァイアサン〉の姿を」
 その男――青田教官は、動かなくなった右脚を擦りながら、しみじみと呟く。彼の片脚は戦争の後遺症によって、制御の効かないただの物質と化してしまっている。
 だが、彼はその傷を憂いてはいない。口調にはどこか誇らしさすら感じられる。
 話を聞いていた生徒達は、ふと顔を近づけ合って小声で密談を始めた。
「また教官殿の思い出話が始まったぞ」
「この話何度目だよ。もう聞き飽きたぜ」
 教室内の生徒達がうんざりした表情を浮かべるのとは反対に、それまで退屈そうに授業を聞いていた愛生文楽は、表情を変えて興味深そうに壇上の教官へ視線を向け始めた。
「瞬く間に敵を蹴散らした《蛇遣いアスクレピオス》は俺たちに向かって励ますように手を振ってくれた。あのときは本当に嬉しかった……大怪我を負った俺が生き延びれたのは、あの励ましがあったからこそだ。声を聞けなかったのは残念でならない」
 教官は東海州解放作戦で怪我を負ってしまったのを機に兵役を退き、後方にある訓練学校にやってきたのだという。操縦士としての経験はないものの、戦場を知る古参の兵士として若い訓練生達に様々な生きる術を伝えてくれる。思い出話が長いのがたまにきずだ。
「おっと、授業を続けるぞ。桂城けいじょう、この戦果の戦略的価値について説明してみろ」
 教官に指名されて、文楽の隣に座っていた女子生徒、桂城けいじょう留理絵るりえはゆっくりと立ち上がると、淀みのない口調で答え始めた。
「はい。まず地政学的に見て、テレビ塔を中心とした東海一帯の汚染領域は、関東と南アルプスによって隔てられているため、この土地の奪還が南部戦線の長期的安定に直結するという点」
 いかにも優等生らしい、明瞭な口調で留理絵はハキハキと言葉を続ける。
「次に、テレビ塔以東は工業地帯という土地柄から、兵器の自動化工場施設が多く、ゲーティアの生産能力を大きく損耗させることができたという兵站へいたん破壊の二点です」
「さすがは学年主席だな、座っていいぞ。ま、分かりやすく言えば〝敵が来なくなったこと〟と〝敵が増えなくなったこと〟の二つというわけだな」
 留理絵は大して得意げになる様子もなく、そつのない動作で席に戻る。
 合計二十人近いその他の男子生徒達は、羨望や好奇など、様々な感情が入り交じった目線で彼女にじっと視線を寄せていた。
「では次の問題だ。このテレビ塔を含め、《蛇遣いアスクレピオス》が生前に何本の電波塔を破壊したか……愛生あおい、答えられるか?」
 指名された愛生文楽ぶんらくは、ぎょっとした様子で目を丸くすると慌てて立ち上がる。
 悩み込んだ様子で顔をしかめ、右手の指を折って数を数えながら自信なさげに答えた。
「えっと……その。確か、十三本です」
「おいおい。いくらなんでもそりゃ多すぎだ。ちゃんと勉強してるのか?」
 教官の言葉に釣られて、教室のあちこちからクスクスと嘲笑が起こる。
 と、そんな中。一人の小柄な訓練生、剣菱けんびし雅能まさのがピンと背筋を伸ばして立ち上がった。
「お言葉ですが教官、その数で合っています」
 雅能は軍が発行している広報新聞を手に取り、教室の訓練生達全員に向かって示しながら言葉を続ける。
「《蛇遣いアスクレピオス》が破壊していた電波塔を『自分が破壊した』と虚偽の報告を行い、戦果を偽称していたと数人の操縦士が彼の死後に告白しています。紙面に書かれているのはその報告をまとめあげたもので、十三本が本来の数字だったというのが最新の見解です」
「なるほど、そういうことだったのか……」
 雅能の律儀な補足を聞いて、文楽は納得した表情で小さく呟く。
 自信なさげに答えた割に、数字が合わないことに納得がいっていなかったらしい。
「ふうむ……相変わらず勉強熱心だな、剣菱。補足ありがとう」
 教官は戸惑い気味の様子で応じると、雅能へ席につくよう促す。
 優秀すぎる生徒も、それはそれで困ると言いたげな表情だった。
 一方、それまで立ったままにされていた文楽が、申し訳なさそうに声を上げる。
「あの、教官。合っていたようなので、座ってもいいですか」
「おっとすまんな。まさかお前が、ちゃんと勉強しているなんて思わなかった」
 教官の心ない一言に、教室が再び生徒達の笑い声で満たされていく。
 程なくして授業の時間が終わると、文楽はまるで逃げ出すように教室を飛び出す。
 階段を降りて建物の外へ出たところで、不意に一人の少女が彼のことを呼び止めた。
「あ、文楽さん! 授業はもう終わったんですか?」
「そうだが……フェレス、こんなところで何をしている」
「はい。文楽さんの授業が終わるのを待っていました」
 フェレスと呼ばれた少女は、にこりと笑って文楽の問いに応じる。
 白黒の異国風な給仕服に身を包んだ、大人しそうな笑みを表情に浮かべる少女。
 ふわりとした長髪の隙間から、くるりと逆巻いた二本の角が顔を覗かせている。
「それは、何を持っているんだ?」
「これですか? 基地の近くを通りかかったおばあさんから頂いたんです」
 文楽は手渡された黒い球状の物体を、興味深そうにじっと見つめる。
「これは……食べ物なのか?」
「おはぎといって、お餅をあんで包んだお菓子なんですよ。どうぞ、文楽さん」
「俺がもらってもいいのか?」
「はい、もちろんです。私は文楽さんの人形ですから」
 にっこり微笑むフェレスの顔と、渡されたおはぎを交互に見つめる。
 文楽は両手でその黒い塊を半分に割ると、片方をフェレスの口の中に押し込んだ。
「むぐっ!?
「下手な嘘をつくな。欲しいなら欲しいと素直に言え」

 フェレスは恥ずかしそうに口元を押さえながらおはぎを咀嚼そしゃくして呑み込む。
 そして、輝くような笑顔を文楽に向けて言った。
「はい……あの、その、ありがとうございます!」
「礼を言われるようなことはしていない。しかし悪くないな、このおはぎというのは」
「お気に召したのでしたら、今度作って差し上げますね」
「……好きにしろ」
 憮然とした様子で呟きながら、文楽はフェレスを引き連れて宿舎へ歩き始める。
 少年の名は愛生文楽――かつての名を、人類の英雄《蛇遣いアスクレピオス》。
 死せる英雄と称えられているはずの男が、どうして訓練生として自身の英雄譚を聞かされる羽目になっているのか。
 その理由は、今から三ヶ月前まで遡る――

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