第四章 La Variete(4)

 〈リヴァイアサン〉の掌から飛び降り、基地へ向けて走っていたはずの文楽は、背後で繰り広げられる戦闘の光景に思わず足を止めていた。

 途中聞こえてきたのは、自分が迎えに行くはずだったフェレスの声だ。どうやら自分が基地へ辿り着く前に、向こうが先に来てしまったらしい。

 だが、途中ですれ違わなかったのが不思議だ。もしかしたら、自分が道を間違えてしまったのかもしれない。

「あいつ、俺抜きで戦うつもりか……?」

 今すぐ彼女に呼びかけて、乗り込むべきだと文楽は判断した。

 いくら実戦を潜り抜けてフェレスが成長しているとはいえ、操縦士無しで戦えるほどだとは思えない。僚機であるレヴィアに任せたいところだが、彼女は模擬戦用の装備だけで実弾を所持していない。

 武器のない〈リヴァイアサン〉に、操縦士のいない〈メフィストフェレス〉。二対一でありながら、形成が逆転したとは言い難い。

「っ……俺もここを早く離れないと危険だな」

 〈胡桃割り人形ナッツ・クラッカー〉による二度目の爆発が起こり、爆音が文楽の鼓膜を激しく叩く。飛び散った木々や土砂の破片が、つぶてとなって彼の身を襲う。

 〈メフィストフェレス〉に近づいて乗り込もうにも、こう何度も爆発が起きていては自分の身も危険だ。迂闊に近づくことすら許されない。

 両腕で顔を防御カバーしながら、立ち上る土煙の中に二機ふたりの姿を探す。

「レヴィアは無事か……フェレスの方は――」

 立ちこめる黄土色の靄の中に、紫紺の装甲をした〈リヴァイアサン〉の姿がぼんやりと浮き出てくる。だが、もう一体がいつまで経っても姿を現さない。

 目を凝らし土煙が晴れるのを待つ文楽は、ふと異常な光景に自分の目を疑った。

 白い装甲の機体メフィストフェレスはいつまで経っても姿が見えない。

 姿を見せた二体の機甲人形アーマードールは、どちらも青い装甲の機体リヴァイアサンだった。

「〈リヴァイアサン〉が二体……!?

 晴れかけた土煙を突き破り、二体の機甲人形アーマードールが上空へ躍り出る。

 一体は〈アスモデウス〉へと拳銃を向ける〈リヴァイアサン〉――そしてその反対側で拳銃を構えているのは、やはり全く同じ機体、〈リヴァイアサン〉だった。

 三年間も乗り続けてきた愛機の姿を、まさか自分が見間違えるはずはない。

『おい、どういうつもりだ!? このボクに化けるだなんて!』

『それはこっちの台詞だ。ボクを真似るなんてやってくれるじゃないか』

 二体の〈リヴァイアサン〉は、〈アスモデウス〉を挟んで互いに口論を始めてしまう。

 しかも二つの声は、口調も言葉遣いも完全にレヴィアそのものだ。思わず目眩めまいを起こしそうになってしまう。

「フェレス……なるほど、そういう使い方か」

 文楽はやっと、自分が彼女の演技にはめられているのだと理解した。

 〈メフィストフェレス〉が有する〈琺瑯の瞳〉は、機操人形としては珍しい欺瞞ぎまん型だ。

 音波観測、電波探査、光学感知といった、あらゆる機械の目センサを欺き、幻影を生み出す虚飾兵器。

 自機と同じ姿の幻を作りだすことで、撹乱や回避に利用するのが彼女の常套じょうとう手段だ。

 しかし、その機能を応用すれば、自機の状態を誤魔化すことすらできる――機体の姿を偽装し、声を変質させ、言動までも演じてしまう。

 フェレスはそうやって、二体目の〈リヴァイアサン〉に化けたのだった。

『まあいい、精々足を引っ張ってくれるなよ』

『そっちこそ、マスターが見ている前でしくじるなよ』

 二体の〈リヴァイアサン〉は、互いを挑発しあうと、手にした機関拳銃の引金を引いた。

 勿論、声の調子や言葉使いについては、機操人形の機能だけで真似られるものではない。

 レヴィアを上手く真似ているのは、人形知能デーモン自身の能力。つまりは、フェレスの類い希なる演技力によって成せる業だった。

『気に入らないね、ボクの真似をしようだなんて』

 すかさずもう一体の〈リヴァイアサン〉が言葉を返す。

『それはこっちの台詞だよ。この姿は、この世にボク一人で充分だ』

 二方向から同時に銃撃を受けた〈アスモデウス〉は、慌てて機操人形を手元に帰還させると、一気に推進器を点火して離脱を図る。

 片方は模擬弾に過ぎず、実弾なのは一方だけだが、どちらが本物か見抜けないのでどちらも回避せざるを得ない。

 フェレスは自分の姿を偽ることで、模擬弾ダミーに過ぎない拳銃へ、本物と同じ脅威を与えてしまったのだ。

「あいつの嘘は、本当におそろしい取り柄だな……」

 文楽は微かな恐怖を滲ませながら、頭上で繰り広げられる交戦の様子を見上げる。

 三年間行動を共にしていた自分すら、どちらが本物か見分けることができない。

 攻撃を回避しきれなくなった〈アスモデウス〉は、不利を悟ったのか再び〈胡桃割り人形ナッツ・クラッカー〉を肩口から射出する。

 だが襲い掛かる〈胡桃割り人形ナッツ・クラッカー〉の攻撃を、二体の〈リヴァイアサン〉はそれぞれ事も無げに躱してみせた。

 一体が一基ずつを相手にすることで、格段に回避が容易くなったようだ。

 二体の回避機動を見つめ続ける文楽は、ふと小さな笑みを零しながら呟いた。

「片方は少し動きが鈍いな……ということは、あちらが偽物か」

 素人が見れば、どちらも全く同じ動きにしか見えなかっただろう。だが二機ふたりのことをよく知る文楽には、簡単に見抜くことができてしまった。

 レヴィアの回避機動の癖をよく真似てはいるが、機体重量に差があるせいで、完璧に演じきっているとは言い難い。

 しかし、演じようとして機体を必死に動かすフェレスは、むしろ普段の回避運動よりも動きが良くなっているようだった。

「そうか……お前はそうやって、強くなっていくのか」

 実戦の最中、文楽の動きを再現して見せたときもそうだ。

 彼女は他者を演じようとすることで、本来以上の性能を見せている――演じること自体が彼女にとってもう一つの武器となっているのだ。

『『さあ、追い詰めたぞ』』

 破れかぶれな反撃を躱した二体の〈リヴァイアサン〉は、全く同じタイミングで異口同音に発する。

 交差する二つの射線が〈アスモデウス〉の機体を襲い、火花と染料が同時に飛び散った。

 機関部に直撃を受けたのか、機体の高度がガクンと下がる。

 二基の推進器を失ったことで、満足な推力を得られない状態だったのが仇となったのだろう。〈アスモデウス〉はふらふと地上の森林へ身を沈めていく。まるで手負いの獣が、頼りない足取りで草陰へ身を隠すように、

 〈アスモデウス〉が無力化したのを見届けて、二体の〈リヴァイアサン〉のうち片方が、白磁の光沢を持った機甲人形アーマードールへと姿を変える。

 偽装をほどいた〝虚飾〟の大罪は、澄ました声色で言い放った。

『《碧玉の劇場アクト・サファイア》――これにて舞台は幕引きです』

 文楽は眩しそうな表情で、上空に堂々とした様子で浮かぶ〈メフィストフェレス〉の姿を見上げる。

 一幕の舞台を演じ終えた女優のように、その姿は誇らしげで美しかった。

§

 地表へ墜落した〈アスモデウス〉の前には、三人の人影があった。

 先に地上へ降りていた文楽が最初に辿り着き、次に地上へ着陸した〈リヴァイアサン〉からレヴィアと留理絵が降りて合流した。

『全く、やってくれるよ。後から出てきておいしいとこ取り……しかも人のモノマネだなんて、アイツの演技も品がない。演技というよりただの芸だよあれは』

「まあまあ、レヴィアちゃん。そんなに荒れないでよ。私たち、めっちゃ頑張ったし」

「安っぽい同情なんてほしくないよ」

 不満そうな顔つきを浮かべるレヴィアを、留理絵は一生懸命になだめている。まるで猛獣のしつけだ。

 〈アスモデウス〉の機体を指差しながら、苛立った声で言い放った。

「大体、この機体を見てみなよ。結局、装甲の42しか塗ることができなかった」

「あ、勝負のことまだ覚えてたんだ……」

「まあ、ボクも50は死守したわけだし、食事の後片付けはしないで済んだからよしとしておこう」

 うんざりした表情を浮かべる留理絵に、レヴィアは「ふふん」と鼻を鳴らして言葉を返す。機操人形の攻撃で大変な目に合ったというのに、レヴィアにとってはそちらの方が重要だったらしい。

 一方、三人の横手に舞台の立役者〈メフィストフェレス〉が静かに降り立つ。

 無人のはずの操縦室のハッチが開くと、中からパイロットスーツを着た人影が姿を現した。

「ああ、くそ……ほんと大変な目にあった」

「雅能、お前が乗っていたのか!?

 文楽は驚きに目を見開き、操縦室から姿を現した剣菱雅能に呼びかける。

 機体の機動に酔ったのか、真っ青な表情をした雅能は、なぜか文楽に向かって申し訳なさそうに応えた。

「ああ……悪いな、文楽。お前の機体なのに、勝手に借りて」

「いや、それは構わないが……一体、どうしてお前がこいつに乗ってたんだ?」

「訓練を見学しに来たら、〈アスモデウス〉が急に機操人形を使って暴れ始めたからさ。何か様子がおかしいと思って、フェレスに頼んで乗せてもらったんだ」

 雅能の言葉を聞いて、文楽はふと先ほどの戦闘の光景を思い出す。

 確かに考えてみれば、無人のままでは武装が封印されていて使えない。おまけに機操人形を使えば、人形知能デーモンの処理容量を大きく奪われるため、機能が大きく減衰してしまう。

 二体の幻を生み出す《幻影の劇場アクト・ミラージュ》に比べて、機体の姿を偽るだけの《碧玉の劇場アクト・サファイア》は、処理容量が少なくて済むだろう。だが、操縦士無しで使うのはフェレスにとって負担が大きすぎる。

 一方、機体の頭部にある仮装人形の収容空間スペースから姿を現したフェレスが、恥ずかしそうに顔を赤らめながら文楽へ弁解を始めた。

「あ、あの……雅能さんから『文楽を助ける為に力を貸してくれ』と頼み込まれてしまって……」

「お、おい! それは言わないでくれって言ったじゃないか!!

 気恥ずかしそうなフェレスに続いて、雅能まで真っ赤な顔になってしまう。

 自分以外の操縦士を勝手に乗せたことに、本来なら怒るべき場面かも知れないが、文楽はすっかり毒気を抜かれてしまっていた。

 自分を助けるための行動だったと聞いてしまっては尚更だ。

「分かった、雅能。今のはフェレスがついた嘘だと思っておく」

「そうしてくれると助かるよ。とにかく文楽も桂城も、無事みたいで良かった」

「ああ。だが、お前の方は不思議と無事じゃないように見えるな」

「そりゃそうだよ。文楽、〈メフィストフェレス〉のこと〝使えない人形〟っていつも言ってるけど、オレはそんな風に感じなかったぞ。訓練機と比べものにならない性能だった」

「……そうか?」

 雅能にじっと睨み付けられるが、文楽は理解ができないという様子で首を傾げている。

 確かにレヴィアの機動を真似たフェレスの動きは、いつも以上の旋回と加速を見せていた。だが、所詮は物真似デッドコピーに過ぎず、本物に比べてまだ劣っている。

「俺はもう、慣れてしまったからな。お前はまだ慣れていないだけだろう」

「……ああ、確かにそうだな。今回はお前の背中を見る、良い機会だったよ」

「お前が背中を追っているのは《蛇遣いアスクレピオス》のはずじゃなかったのか?」

「そうだけど、お前の背中も見えないようじゃ《蛇遣いアスクレピオス》に追いつくなんて夢のまた夢だ」

 雅能はそれだけ言い切ると、地面に腰を下ろして座り込んでしまった。どうやら平衡感覚を失い、必死に吐き気を堪えているらしい。

 状態的にも心境的にも、そっとして置いた方が彼のためだろう。

 文楽は雅能から視線を外し、フェレスの方を振り返る。〈メフィストフェレス〉の頭部から抜け出た彼女は、機体の装甲へ必死につかまりながら地面へ降りている最中だった。自分の機体にしがみつく仮装人形というのは、なんだか見ていて残念だ。

 ようやく着地に成功したフェレスに歩み寄ると、文楽は機嫌の良さそうな様子で自分の人形に声を掛けた。

「フェレス、今回はよく健闘したな。悪くなかった」

「ありがとうございます! タラップが無いと、降りるのがどうも難しいんですよね」

「いや、そんな話はしていなくてだな」

 どうやら彼女にとっては、自分の機体から降りるだけでも大健闘らしい。

「さっきの〈リヴァイアサン〉に擬態する戦法だ。お前にしては中々よく頭を使った、いい手だった。褒めてもいい」

「あ、いえ……すみません。あの技、実は雅能さんが考えてくださったもので……」

「なるほど、それなら納得だ。お前にしてはあまりに冴えているからな」

「ひ、ひどいです!」

 涙目になって抗議の表情を見せるフェレスに、文楽はふっと小さく笑みをこぼし、彼女の頭にぽんと手を置いた。

「だが、褒める点ならもう一つある。正直、どちらが本物か見分けがつかなかった……お前は、大した役者だ」

「本当ですか? あの、嬉しいです、文楽さん!」

 フェレスの表情が、ぱっと満面の笑みへと変わる。これだけ感情が表に出る性格でありながら、あれほど簡単に他者へ擬態してみせるのは空恐ろしさも感じる。

 文楽は栗色くりいろの頭から手をどけると冷徹な表情で言葉を続けた。

「だが、回避機動を取り始めた途端、すぐ見分けが付いた。演技の才能は認めてもいいが、能力が追いついていなければ意味がないぞ」

「はい! もっと演技を磨きます!!

「演技、か……なるほど。まあいいだろう」

 本人は〝演技〟だと思い込んでいるようだが、いつも以上の性能を発揮していたことに、本人自身は気づいていない。

 雅能はもしかしたら、フェレスの意外な才能を引き出してしまったのかも知れない。

「……ちなみに、雅能を乗せてみて、正直どう思った?」

「ええっと……文楽さんと比べて、無茶な行動を取らせないし、叱ったりもしないし、あと機体の主導権を取ろうとしたりもしないし……なんていうか、親切な操縦でした」

「そうか。不親切で悪かったな」

「でもやっぱり私は、文楽さんに動かしてもらった方が、強くなれる気がします。今回は文楽さんを助けるためにやむを得ずでしたけど、文楽さんに乗っていただく方がやっぱり私は幸せです」

「そうか……まあ、機体の柔軟性を高めるために、色んな操縦士を乗せてみるのも俺は悪くないと思う。試しに次は留理絵に乗ってもらうのは――」

「それはイヤです! 自分でも分からないですけど、なんだかとってもイヤです!!

「分かった、お前がそこまで言うなら無理にとは言わない」

 レヴィアと留理絵の組み合わせはかなり上手く行っていたが、だからといって誰が乗ってもいいというものではないらしい。

 と、話題の本人がひょっこりと現われて二人の会話に割り込んだ。

「ねえ、文楽くん。いちゃいちゃするのは良いけど、そろそろサラちゃんをどうするか決めた方がよくない?」

「ん? ああ、確かにそうだな。まずはサラを機体の外に出して、これ以上動かないようにするのが先決か……」

 文楽は〈アスモデウス〉をいぶかしげな目つきで見上げる。機体からは黒煙が上がり続け、機能を完全に沈黙している。だが電力が残っている以上、息を吹き返す可能性も捨てきれない。

 まずは機体の頭部をこじ開けて、中から仮装人形を引っ張り出すべきだろう。人形知能デーモンとの接続を失えば、機体が自ら動く心配は無い。

 機体によじ登ろうと装甲に手をかけたと同時、頭上からふとシリンダーの作動音が静かに響いた。機体頭部にある仮装人形の収容空間、そのハッチを開閉させるための油圧シリンダーが伸縮するときの摩擦音だ。

「その必要は無いわ。私にはもう、抵抗するつもりはないから」

 静かに姿を現した少女は、サラの姿をしていてサラではなかった。

 二つ結びにした長い髪を解き、表情からは普段の明るい笑顔が消えている。

 まるでうり二つの双子に入れ替わってしまったかのようだ。

「えっ……この方は、一体誰ですか? サラさん?」

 フェレスが戸惑った様子で、〈アスモデウス〉から姿を現した少女を見上げる。

 初めて彼女の姿を目にした者は、驚くのが当然だろう。雅能や留理絵も、同じように驚いた表情を浮かべ、言葉を失っている。

「見たところ、ゲーティアでもないね。もっとたちの悪い悪魔に見えるけど」

 レヴィアが皮肉げな声色で呟きを漏らす。他ならぬ経験者が言うからには、間違いなくそうなのだろう。

 だが、続く言葉の真意が気に掛かる。

「二重人格の人形なんて初めて見たよ。名前があるなら名乗ったらどうだい?」

 レヴィアに問いかけられて、長い髪の少女は静かに口を開く。

「私は――〝アリス〟。かつて、アリスと呼ばれたモノよ」

 自分を色欲の悪魔アスモデウスと名乗った少女は、ようやくその正体を明かすのだった。

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