第三章 堕落論(4)

「どうぞ皆さん、召し上がってください!」

 卓上に広げられたお茶の注がれたカップと、菓子の乗せられた皿を一通り見渡して、留理絵は心の底から驚きの声を上げた。

「うわー、すごい美味しそう! 食器もアンティークなデザインで美しいし、ほんと完璧なお茶会って感じ!」

「ありがとうございます、留理絵さん! 喜んでいただけてうれしいです!!

 皿や食器は全て、屋敷の中にあらかじめ備え付けられていたものだ。

 華やかな絵付けの施された陶器の皿やカップに、輝かしい光沢を放つ銀製のフォーク。

 だが、それとは調和しない奇妙な点に着目した留理絵は、戸惑ったように続ける。

「あと、その……アンティークなお皿にあえて和菓子を乗せたり、ティーポットから注がれてるのが緑茶っていうミスマッチ感も、なんていうかとっても趣があるし!!

「あの。これはその……単に私が和菓子しか作れないというだけなので……」

「…………あ。うん。なんかごめん」

 フォローしたつもりが完全に空回ってしまった。

 反省した留理絵はしゅんと肩を小さくする。

 そんな二人の様子を見ていた文楽が、何気ない調子で言葉を挟んだ。

「洋食器だから洋菓子だ紅茶などと、形質にこだわることはない。重要なのは味だ」

 文楽は自分の目の前に置かれた桜色の餅に手を伸ばすと、無造作に持ち上げて一口かじった。

「……うん。悪くないな」

「あ、本当。これ、すごく美味しいわよフェレスちゃん!!

 文楽は無表情にむしゃむしゃと和菓子を口に含んで咀嚼そしゃくし始める。

 留理絵もそれに伴って一口かじってみるが、未知の味わいに驚嘆の声を上げた。

 かじった菓子の断面を見つめながら、文楽がふと疑問の声を漏らす。

「この桃色をした皮みたいなもの……まさか、花びらか?」

「はい! 今日はちょっと趣向をこらして、桜餅にしてみたんです。いかがですか?」

「待ってくれ、驚きが勝ってしまって味がわからん……うむ、悪くないな。花の匂いの味がする。不思議な感覚だ。まさか花が食べられるとは思わなかった」

「春のうちに集めて置いた花びらを、塩漬けにして保存しておいたんです。もうすぐ夏ですが、味わっていると春の陽気が思い出せるでしょう」

「そうだな。面白い」

 桜餅に舌鼓を打つ文楽に、レヴィアが不満そうに口を尖らせて問いかける。

「マスター。君って確か、『花は嫌い』じゃなかったっけ?」

「食い物としてなら別だ。それに、最近は見るのも悪い気はしない」

「……随分と趣向が変わったみたいだね。どんな心境の変化があったか知らないけど」

「いいからお前も食べてみろ。要らないのなら俺がもらうぞ」

「あ、待ってよ! ボクも食べるってば!!

 珍しく柔らかな笑みを作る文楽の表情に、留理絵はふと小さな驚きを抱く。

 教室でも訓練中でも、彼はこんな表情を見せたことがない。自分の前でも、いつも不機嫌か無表情かのどちらかだ。

 フェレスは自分だけが彼の表情の変化が分かると言っていた――だが、それはおそらく思い違いだろう。きっと、彼女しか引き出すことのできない表情があるのだ。

「……意外と可愛い顔して笑えるじゃん」

 留理絵はどこか、心の奥にもやもやとした感情を覚える。

 その得体の知れない感情を振り払うように、菓子の二口目を勢いよく囓って飲み込んだ。

 一方、文楽の隣でぱくぱくと一心不乱に桜餅を口に運ぶサラが、ふとフェレスへ向かって首を傾げながら問いかける。

「ねえねえ、フェレス。これ、なんだか梅干しみたいな味だね」

「そうかもしれませんね。桜と梅は種類が近いですし、保存用に塩漬けもしてありますから」

 サラはにこにこと笑顔を浮かべながら、無邪気な声でレヴィアに問いかける。

「これ、本当においしいね。レヴィアお姉ちゃんはどう?」

「菓子が作れるからって調子に乗るなよ……機甲人形アーマードールの本分は戦闘だ。家事なんかじゃないんだ……」

「えっと、サラの話聞こえてる?」

 レヴィアは暗い表情でぶつぶつと独り言を呟きながら、一口ずつ小さく桜餅をフォークで刻んでは口に運んでいく。この美味しい和菓子も、彼女には敗北の味しかしないのだろう。

「……ねえ、サラちゃん、ちょっといい」

「なあに、留理絵?」

 ふと会話を耳にしていた留理絵が、不思議そうに首を傾げなら問いかける。

「サラちゃんは、レヴィアちゃんのこと〝お姉ちゃん〟って呼ぶわよね?」

「うん。《七つの大罪セブン・フォール》の五番目だから、六番目のサラにとってはお姉ちゃん」

「じゃあ、どうして文楽くんは〝お兄ちゃん〟なの?」

「え? うーん……サラもよくわかんない。でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんって感じだから、それでALL RIGHT!!

「すごい、まったく分からない」

 サラはもしかして、文楽のことを無意識に「自分たちと同族」だと認識しているのではないだろうか。

 留理絵自身、彼を初めて見たとき、一目で「お人形さんみたい」という直感を抱いてしまっている。

 どうも文楽には、常人と一線画した人形に好かれるような〝何か〟を持っている――それも含めて英雄の資質なのだろうか。謎は深まるばかりだ。

 難しい顔をする留理絵の目の前で、フェレスは各人のカップにポットから緑茶を注いでいく。本来は紅茶用のもののはずだが、用途自体には何の間違いもなかった。

「どうぞ皆さん。今日のお茶は南部から届いた上質な伊勢産ですよ。今日みたいな特別な日のために、こっそり注文しておいたんです」

「へー。いつもお湯で溶かす粉末タイプしか配給がないから、茶葉から入れたお茶なんてすごい久しぶり! でもこれって高価なんじゃない?」

「えっと、それなりには……」

 留理絵はちらりと文楽の顔を横目で盗み見る。だが当人は涼しい顔だ。

「別に使うあてのない給金だ。本来与えられるはずだった褒賞を今まで一切受け取ってこなかったからな……この基地に来るとき、未払い分を一度にもらってきた。正直、額面は自分でも把握しきれていない」

「なるほどねえ。さすがは英雄 《蛇遣いアスクレピオス》。平凡な兵士が一生かかっても上げられない戦果をたった数年で上げたんだから、その報酬も相当なものよね」

「いや、俺一人が裕福になったところで人類全体のためにはならない。過剰な分は、フェレスやレヴィアたちが、戦意を維持するために使ってくれた方が人類全体のためだ」

「うーん、行動は合ってるんだけど……」

 しみじみと呟いた留理絵は、緑茶をずずっと音を立ててすする。

 さすが茶葉から入れただけあって、粉末の代用茶とは味が比べものにならない。

 思いも寄らぬ美味に一泊心を落ち着けてから、文楽に問いかけを投げた。

「純粋な疑問なんだけど、文楽くんって性欲とかないの?」

「一体何の話をしているんだお前は」

「いや、真剣な話。試しに私のパンツとか見たらどう思う?」

「意味が分からん。大体、ものを食べている最中にする話ではない」

「……あ、はい。正論でした。すいません」

 留理絵は心底びっくりした様子で目を丸くすると、申し訳なさそうに肩を小さくする。

 だが、内心では少し怒りのような感情がわき上がっていた。

 訓練学校唯一の女子生徒である自分は、同じクラスの男どもからは、まるで一国の姫のように丁重に扱われている。

 その自分の下着をまさか「不浄なもの」の一言で切り捨てられるとは思わなかった。

 金を払ってでも見たいと土下座してくる人間まで居るぐらいなのに。もちろん断ったが。

 謎の敗北感がわきあがる。何とかして彼を動揺させてみたいという執念に燃え始めた。

「じゃあ、胸を触るとかは興味ないの?」

「いや、よくわからんが……女性の胸を触るのは、道徳上よくないことだと聞いている。どんな感触なのか興味を持ったことはあるが、あえて触るつもりはない」

「なるほどそっか……じゃあ、合意の上なら触りたいってこと?」

 悪戯っぽく微笑んだ留理絵は、文楽の手をぱしっと掴まえる。

 だが、その次の瞬間だった。

 いきなり首筋に、冷たい金属の感触が生じた。

 目を落とすと銀製のフォークの先端が、自分の首筋にぴったりと押し当てられている。

「留理絵、そこから先は領土侵犯だ。お引き取り願おう」

「レヴィアちゃん、フォークはそうやって使うものじゃないと思うな!」

 留理絵は冷や汗を流しながら両手を上げてホールドアップの姿勢を取る。

「そ、そうです留理絵さん! 文楽さんは、その、女性に免役がありませんのでそういった過激な発言は少々……」

 フェレスの方を振り返ってみると、伸ばした左腕とは逆の右腕を、フェレスがしっかりと掴んでいた。しかも力の強さも、華奢きゃしゃな少女のものとは思えない。無意識に力が入ってしまっているのだろう。

「あはは、冗談よ冗談。ちょっと遊んでみただけだから、はい。もう二度としません」

 本人のガードがあまりに緩いので、つい調子に乗ってしまったが、人類最高の兵器が二体も盾になっている。物理的なガードが余りに堅い。

「いいかい、留理絵。マスターは生い立ちが普通の人間のそれとは違うんだ。だからもっと、精密機械を扱うよう慎重に扱ってもらわないと」

「えっと……具体的にはどうすれば?」

「人間の女に欲情せず、ボクだけにしか欲情しないよう、時間を掛けて教育していくつもりだ」

「レヴィアちゃん。それ、教育じゃなくて洗脳」

 留理絵は苦笑いを浮かべながらレヴィアの危険思想につっこみを入れる。

 今まで何度も感じてきたことだが、文楽のこれまでの生い立ちは明らかに普通の人間とは違う道筋を辿ってきている。

 ちょうど今は、文楽の正体を知らない雅能が席を外している。スコップを入れるなら、これがいいタイミングだろうと踏んで留理絵は問いかけ始めた。

「文楽君って、一応こんなのでも英雄なのよね?」

「ああ。こんなのだがな」

「せっかくこういう場があるわけだし、聞かせてくれない? 文楽君が、南部でどういう風に戦場を生きのびて英雄まで上り詰めたのか」

「別に、軍の記録や広報を調べれば分かることじゃないか?」

「それが全然分からないから聞いてるのよ。参加した作戦や戦果の記録はあるのに、入隊からの足跡や所属部隊の情報が一切出てこない。《蛇遣いアスクレピオス》の大ファンであるはずのまさのんも、情報に穴が多すぎるっていつも嘆いてるし」

「まあ、南部の人間に話を聞かない限り、俺の経歴を知るのは難しいだろうな……別に話しても構わないんだが。お前はどう思う?」

 困ったような表情を浮かべて、文楽はレヴィアの方を振り向く。

 英雄《蛇遣いアスクレピオス》の歴史は、機甲人形アーマードール〈リヴァイアサン〉と戦ってきた歴史だ。もう一人の当事者である彼女に、文楽は同意を求めようと目線を送っていた。

「留理絵。キミは、本当に聞きたいのかい? マスターの過去を」

「えっ? まあ、言いたくないなら無理にとは言わないけど……」

 レヴィアの威圧感に押されて、留理絵は言葉を引っ込みかけてしまう。

 だが、力強い芯の通った声が二人の間に割り込んだ。

「あの、私は知りたいです!」

 声を上げたのはフェレスだった。

 文楽の現在の相棒である彼女もまた、文楽の過去を深くは聞かされていない。

 彼女は自分以上に知りたいはずだ。相棒として、乗機として。

「ねえねえ、サラも聞いていていいの?」

「当たり前だ。一時的とはいえ、お前は俺の乗機だからな。隠す理由はない」

 和やかなお茶会の空気に、張り詰めた緊張感が少しずつ混ざり始める。

 文楽が放っている雰囲気が、場の空気を変えてしまっているのだろうか。

「自分の話か……慣れていないな。何を話せばいいのか」

 記憶を辿る文楽の表情を見ていて、留理絵はふと気が付いた。

 今自分の目の前に居るのは、同じ訓練学校の少年、愛生文楽ではない。

 戦場の風景を思い出すうちに、英雄《蛇遣いアスクレピオス》へと戻り始めているのだ。

「〝懲罰部隊ちょうばつぶたい〟という言葉を知っているか?」

 一同が息を呑んで見守る中、文楽は口を開くと意外な一言から切り出した。

§

 意を決して切り出した文楽の問いかけに、最初に答えを返したのは留理絵だった。

「ええ、もちろん。知ってる知ってる。でも、なんでそんな言葉が――」

「あのー、すみません」

 話の流れをいきなり止めてしまうのが申し訳なかったのだろう。フェレスは遠慮がちに、おずおずと手を上げて小さな声で白状する。

「ごめんなさい、文楽さん。私……よく知らないです」

「お前の記憶メモリには料理のレシピしか入っていないからな。仕方がない」

「そんなことありません! レシピの数に自信はありますけど!!

 敵の軌道予測パターンのレパートリーが多い方が、個人的には有り難いのだが。

 諦念じみた感情を抱きつつ、一応もう一人の人形にも確認を取ってみる。

「サラの方はどうだ?」

「IN A FOG!」

「何言ってるのかわからんが、その表情を見ると分からなそうだな」

 どう説明してやったものか。考え始めたところで、留理絵がすかさず口を開いた。

「軍隊の中で、軍規違反を犯した人間が送られる部隊のことよ。罰を受ける代わりに、普通の部隊には任せられないような厳しい仕事を請け負わされることになるの」

「え、えっと……罰で掃除当番をするみたいなものですか?」

「そんな感じかな。現実には、そんな甘い場所じゃないって聞くけど……」

 続きを話してくれと言いたげに、留理絵が文楽の方に視線を向ける。

 彼女はどうやら、既に話の本題に気付いているらしい。

「留理絵の言うとおりだ。罰を受けて地獄に落ちるか、地獄のような戦場で戦わされるか。懲罰部隊に送られる兵士は、最初にその二択を迫られる」

 文楽は低く落ち着いた声で、淡々と続ける。

「俺が送られたのも、そういった罪を負った人間を集めて作られた部隊だった」

 懲罰部隊――戦争犯罪者が送られるような部隊に、なぜ配属されることになったのか。

 一同の表情に疑問の色が浮かぶ。が、気になるからこそ、口を挟まず黙って聞いていることしかできない。文楽はただ淡々と続ける。

「国防軍第13機甲人形アーマードール中隊。通称〈ギニョル隊〉、それが俺の所属していた部隊の名前だ」

「ちなみに〝ギニョル〟っていうのは、操り人形のことを外国の言葉でそう言うんだって」

 レヴィアが道化めいた明るい調子で付け加える。

 笑い話にでもしてやるしかない、という諦念めいた感情が言葉から見え隠れしていた。

「えっと……国防軍の機甲人形アーマードール部隊って、第一から第十二までしか無いはずじゃなかったっけ?」

「確かに、書類上では存在しない部隊だったからな。他の部隊と合同作戦を行う度にいつも『まさか実在する部隊だと思っていなかった』と驚かれた」

「うーん、幽霊部隊ってこと? だから記録には残ってなかったんだ」

 留理絵はうむと頷きながら、フェレスお手製の桜餅の二つ目に手を伸ばす。

「部隊の隊長は、カール=マキャフリーという元在日米軍の白人だ。隊員達からは、名前を縮めて〝カルマ隊長〟と呼ばれていた。女好きで薬物中毒と救いようがない」

「確かカルマは、酩酊トリップした勢いで国防軍本部に爆薬を仕掛けて、自分ごと爆破しようとして捕まったらしいよ。なんか当時のことは錯乱してて全く記憶にないらしいけど」

「国家反逆罪として死刑でもおかしくなかった。だがそれまでの戦果を買われて、懲罰部隊送りという温情措置で済んだらしい」

「……なんかとんでもない話ね」

「だが、技術はとんでもなく優れていたのは事実だ。お前にも機会があれば見せてやりたいな」

 苦笑いしながら、留理絵は桜餅を一口かじる。話のインパクトが凄すぎて、せっかくの和菓子の味が意識の外に弾き飛ばされていた。

「他にも色んな前科を重ねてきた連中ばかりだった。子どもばかりを狙った連続殺人を犯して収監された女が居たんだが、こいつが本当に厄介で、野営中に何度も俺を狙ってきたんだ。おかげで俺は、毎晩〈リヴァイアサン〉の操縦席で眠っていた」

「まあ、彼女のおかげでマスターと一緒に夜を過ごせたから、ボクは感謝してるけどね。まだ生きてるのかなあ」

「あいつは自分より弱い相手しか決して狙わないからな。上手く生き残っている可能性は高いんじゃないか?」

「ちょっと待って、ストップ!」

 微妙な話で盛り上がり始める二人を、留理絵は大声をあげて制止する。

 興味深くはあるが、聞いているうちに気が滅入ってきてしまう。ふと横を見ると、フェレスが見たこともないような真っ青な顔色をしていた。

「その辺の話はもういいわ。なんかお腹いっぱいすぎて頭痛くなってきたから」

「腹が膨れて頭が痛くなるのか? 変わってるな、留理絵」

「文楽くんにだけは言われたくない!!

 留理絵は残りの桜餅を口の中に放り込み、日本茶をすすって流し込む。

 一度に摂取したあれこれをゆっくり消化してから、落ち着いた様子でゆっくりと問いかけた。

「……で。文楽君は一体なにやらかして、そのおかしな部隊に送られちゃったの?」

 留理絵の問いかけに対して、レヴィアが素早くこたえた。

「そりゃまあ、ボクに勝手に乗ったからだよ」

「おい、その言い方は語弊がある。お前が俺を乗せたんだ」

「確かに、あのときの君は純粋無垢でとても乗せやすかった」

 レヴィアの言葉に対し、文楽はむっとした表情を浮かべる。

「未熟だったのは認める。だが、俺だって必死だったんだ。ちゃんと詳しい話を聞いてさえいれば……いや。聞いたうえでも、お前に乗ることを選んだが」

「つまりはそういうことさ。ボクたちの出会いは運命だったんだよ」

 楽しそうにレヴィアは笑みを見せ、文楽もまた「やれやれ」といったため息で返す。

 長年連れ添った操縦士と愛機は、二人だけの世界を作り上げていく。

 だがフェレスはその間に、断固とした態度と口調で割り込んだ。

「お二人とも。思い出話に花を咲かせるのはよろしいですが、さっきから説明になっていません。どういうことか、ちゃんと教えてください」

「あれは三年ぐらい前かな。ボクは当時、北部から南部に送られる途中だった最重要機密扱いの特別貨物だったんだよ。で、マスターはその輸送貨物を護衛する随伴歩兵」

「えっ、待って。三年前って言ったら、まだ1314才ぐらいの話よね?」

 留理絵が驚いた表情になるのも無理はない。東京以南と以北では、戦況も違えば軍の環境も方針も違う。

 食料生産量と人口、総兵力、兵站力。多くの部分で、南部は北部に比べてゲーティアに対し劣勢を強いられていた。旧時代に人口が密集していた都市ほど、【災厄の日】に受けた被害も大きかったからだ。

「北と南では人の命の重さが全く異なる。そのときの護衛部隊にしたって、トラックの荷台に1ダースの人間と銃を詰め込んだだけの間に合わせの戦力だった。とてもじゃないが、重要物資の護衛としては戦力不足だ」

「実際、運搬の途中で案の定ゲーティアと鉢合わせして壊滅したしね」

「ああ。俺だけが運良く生き残った。というか、死にそびれた」

 〝1ダース〟と言ってしまえばそれまでだが、要するに十二人の兵士のうち、十一人が死亡して少年兵がたった一人生き残ったという惨状だ。

 そんな壮絶な過去を〝よくあること〟のように平然と語る二人に、フェレスと留理絵は少し青ざめた顔をしていた。

 サラは退屈そうに足をぶらぶらさせている。あまり興味がない話題らしい。

「生き残った俺は、貨物コンテナの中に居たレヴィアに呼ばれて操縦席に乗りこんだ。言われるがまま認証登録を行い、気付いたときには操縦士にされていた」

「あんまりロマンスを感じない運命の出会いね……」

 呆れかえった声をあげる留理絵に、レヴィアは頬を膨らませて弁解する。

「ボクだって生き延びるために手段は選んでられなかったんだよ。操縦士無しじゃ武装が凍結されて使えなかったし。使えるものは何でも使うよ。たとえ年端もいかない少年兵だったとしてもね」

「実際、正しい判断だった。結局敵はレヴィアのおかげで殲滅せんめつできた――らしい」

 文楽は言葉の最後を、自信なさげな小声で結ぶ。

 操縦席で見ていたはずの光景が、どうして伝聞形なのか。

 フェレスが不思議そうに問いかけた。

「『らしいっ』て、文楽さんが操縦してたんじゃないんですか?」

「いや、俺は戦闘の途中でモニターに頭を打って気絶していた。こいつが敵を蹴散らしたところは、最初の数分しか見ていない」

「ボクは人間さえ乗せてしまえばどうでもよかったからね。正直、中の人間はボクの機動についてこれなくて死んでると思ってたよ」

 人類最高の兵器である機甲人形アーマードールは、人間をまるで使い捨ての部品であるかのように語る――だが、それはあくまで、当時の心境に過ぎなかったのだろう。

 レヴィアは目を細め、優しい笑みを浮かべて口調を柔らかく続ける。

「だから、自分の機体からだからマスターが出てきたとき、ボクはちょっとした感動を覚えたよ」

 レヴィアのしんみりとした言葉に、ふと留理絵とフェレスは小さく息を呑む。

 人形知能デーモンしか持ち得ない、人間とは異質な感性をひやりとした寒気と共に感じ取った。

「感動的な出会い、っていうのかな……でも、どうして懲罰部隊なんて物騒な話につながるの?」

 留理絵の問いかけに、文楽は嫌気の滲んだ顔で応える。

「問題だったのはその後だ。『この子供が操縦士じゃないと嫌だ』とレヴィアが駄々をこね始め、収拾が付かなくなったんだ」

「別に困らせるつもりで言ったわけじゃないよ。ボクは本気でマスターが運命の操縦士だって確信してたんだから」

 レヴィアは得意満面な顔で言うが、決してそんな問題ではない。

 操縦士と機体の相性は良いに越したことはないが、相応しい立場というものがある。

「南部方面の司令部はかなり頭を痛めることになった。せっかく北部から送られてきた貴重な《七つの大罪セブン・フォール》が、俺みたいな出生不明の少年兵しか乗せたくないと言い始めたんだからな」

「じゃあ、もしかして文楽君が懲罰部隊に送られたのって……」

「ああ。つまりはそういうことだ」

 現代の戦場において機甲人形アーマードール一機の価値は兵士百人の命ですらあがなえないほど高価だ。

 身元知れずの少年兵の命などと比べるまでもない。

「司令部はどうも、俺が任務の途中で戦死することを狙って懲罰部隊に送り込んだということらしい。俺さえ亡き者にすれば、あとは別の操縦士を改めてレヴィアにあてがえばいいからな」

「そんな……そんなの非道ひどすぎます!」

 話を聞いていたフェレスが急に立ち上がり、言葉を荒げて怒り始める。

「人の命を、一体なんだと思ってるんですか!?

「決まっている。〝平和のためのいしずえ〟だ」

「そんな……そんな言い方、ただのごまかしです」

 言葉にしてみれば綺麗なものだが、実際には体の良い厄介払いだ。

 だが愛生文楽は、自分以上に怒りを露わにしてくれるフェレスのことを、決して愚かだとは思わなかった。

「お前が俺の為に怒ってくれるのは、悪いことじゃない。だが、虚飾まやかしなのはお前も一緒だ。お互い、人の為に怒る筋合いなんてない」

「私のことはいいんです! 今は文楽さんの話をしているんです!!

 フェレスもまた、兵器として自分の身を人類にささげる引き替えに、一年という命を手に入れた少女なのだ。

 彼女が手形を押した残酷な契約書の内容を知ったとき、文楽は素直に怒りを覚えた。だから、彼女の怒りは理解できるが、自分のことを置き去りにしているのはお互い様だ。

「戦いから逃れ、生き延びたところで、人類の滅亡に手を貸したのと同じだ。だから俺は操縦士になることを選んだ」

「でも、犯してもいない罪の責任を問われるなんておかしいです!!

「いや。操縦士でもないのに、機体に乗り込んで認証までしてしまったのは事実だ。機甲人形アーマードールの勝手な使用は重罪だと軍規にも書いてある。俺は知らなかったが」

「じゃあ、分かっていて破らせたレヴィアさんが一番悪いです!!

「ふざけるな駄メイド。ボクだってあんな部隊に送られるとは思ってなかったんだ」

 レヴィアは桜餅を包んでいた柏葉かしわばを投げつける。「ペちっ」という音とともにフェレスの額に一枚の葉が貼り付いた。

「それでもマスターは生き延びた。何故だと思う? このボクが〈リヴァイアサン〉だからだ」

 死ぬことを前提とした作戦に幾度も送り込まれながら、《蛇遣いアスクレピオス》は作戦をそのことごとくを生き延びてきた。レヴィアの性能による部分も大きいが、彼女にとっても相当フレームが折れそうな日々だったのだろう。

「発電施設跡の汚染地帯から、海峡の掃海任務。生産拠点の強行偵察。消耗することが分かりきっていて、正規部隊を投じるわけにはいかない作戦に、俺たちが真っ先に駆り出された」

「文楽君、前に言ってたよね。『同じ事を長く続ければ、誰だって上達する』って……」

「その通りだ。俺はただ、与えられた作戦をこなしてきた」

「でも、そんな過酷な環境で戦い続けられただけで、本当に凄いことだよ。文楽君はやっぱり、まさのんが憧れるような本物の操縦士だと思う」

「憧れられても困る。経歴自体は散々なものだ。俺たちの任務の中には、逃亡した――」

 文楽が言いかけたとき、レヴィアが急に言葉を遮った。

「とにかく。マスターはボクの期待通り、荒唐無稽な作戦をいくつも生き延びて、英雄にまでなってしまったってわけ。ほんと世の中ままならないものだよね」

「世の中をままならなくしている張本人が言うな」

 一体、何を言いかけたのだろうか。そして、なぜレヴィアはわざわざ遮ったのか。

 フェレスと留理絵が、迷いながらも問いかけようとしたとき、それまで大人しく話を聞いていたサラがマイペースに声をかけた。

「ねえねえ、レヴィアお姉ちゃん。どうしてお兄ちゃんのこと、運命の操縦士だって思ったの?」

「理由なら色々あるよ。今まで色んな操縦士を乗せたけど、命令は偉そうだし口うるさいし、どいつもこいつも嫌な奴ばかりだった。でも子供だったら、ボクの言う通りに制御できると思った。正直に言うと、これが最初の理由」

 レヴィアはルビーのような赤い瞳を鋭く光らせる。

 出来の悪い人間ぶひんなど必要ない――〈第一の大罪〉ほど極端ではないが、自我の強い人形ほどそういった傾向が強いのだ。

 だが、レヴィアは表情を緩めて言葉を続ける。

「でも一緒に何度も戦っていくうちに、気が付いたんだ。この少年兵は便利な部品なんかじゃない――ボクの本物の操縦士マスターなんだって。今も、そう思ってる」

 高潔で堅牢けんろうな自我が人形を呪詛じゅそから守る装甲ならば、柔らかな慈愛の感情は、防壁セキュリティに生じた脆弱性に過ぎないのだろうか。

 事実彼女は一度、ゲーティアの汚染によって自我を奪われている。

 人間と人形はまだ、共に同じ道を歩み始めてからたった十年。二つのよく似た形を持つ生命が、どんな距離感を保っていけば良いのか、最善の解は未だ生まれていない。

 ふと考え込んでしまう一同の中、我に返ったフェレスが大声を上げた。

「な、なんだか良い話で押し切ろうとしてますけどレヴィアさん! 文楽さんは、今は私の操縦士さんですからね!!

「聞いてみて分かっただろう。ボクとマスターは海よりも深いきずなで結ばれてるんだ。お前の入り込む余地なんて一切ないんだからな」

「そんなことありません! 出会ったのが早いか遅いかで、誰が一番かなんて決まることありません!!

「じゃあ、そこの猪娘だって同じ条件のはずだ。お前もあいつにそう言うのか?」

「猪娘?」

 フェレスはレヴィアが指刺した方を振り向くと、机の上に両肘を突きうっとりと夢見るような表情で考え込むサラの姿があった。

 確かに獣のように猪突猛進で、頭の角も猪の牙に似ていなくもないが、だからといって猪娘という表現はあんまりだろう。

「運命の操縦士かあ……サラもお兄ちゃんが、そんなSTEADYだといいなあ」

「あ、あのですねサラさん。運命の相手というのは、互いに一人だけなんですよ」

「え。操縦士は一人の人形にしか乗っちゃダメなんて決まってるの?」

「いえ、そういうことではないんですけど……」

 だがサラの指摘は最もだった。運用できる機甲人形アーマードールの数を確保するため、部隊において操縦士は常に多めに用意されている。

 つまり操縦士と機体の関係は、集合論的に言えば全射である必要性はあっても単射である必要はないのだ。

 平俗的に言えば、二股だろうと三股だろうと運用に問題が無ければ構わないのだ。

「確かにそうだな。認証印をはめるための指は五本もあるんだ。戦局に応じて最適な機体に乗り換えるというのも悪くは……何だお前ら、その物騒な目つきは」

 フェレスとレヴィアは、肩を並べて文楽の顔をじっと睨み付けている。

 いつも穏やかな顔をしているフェレスですら、このときは虫を素手で握りつぶせそうな座った目をしていた。

「留理絵、お前はどう思う?」

 文楽は助けを求めるように、唯一話の通じそうな留理絵に答えを乞う。

 桂城留理絵は、優等生らしくにっこりとした満面の笑みで文楽の助けにこたえた。

「うーん。文楽くんじゃなかったら殺してる

「笑いながら物騒なことを言うな……俺は、もしかして謝った方が良いのか?」

「当たり前でしょ!」

「ええと、すまん」

 サラの突拍子もない一言に同意してしまっただけで、とんでもない針のむしろだ。

 背徳の権化たる〝色欲〟という大罪の意味を、文楽は全くこれっぽっちも理解していなかった。

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