第三章 堕落論(3)

 各自が一通りの仕事を終え、引っ越し作業があらかた終わった頃。

 一同はフェレスの呼びかけによって食堂へ集まっていた。

「皆さん。引越しのお手伝い、お疲れさまです!」

 フェレスは満面の笑みで礼を口にする。

 夢のお屋敷暮らしによほど浮かれているのだろう。文楽は苦笑いを浮かべる。

 一同が集まっている食堂は、十人以上集まってもまだスペースに余りができそうだ。

 フェレスは一礼を済ませると、今回手伝いのために来てくれた留理絵と雅能に向き直るとお辞儀をした。

「留理絵さん、雅能さん。お二人とも、この度は手伝っていただいてありがとうございました」

「フェレスちゃんもお疲れー。お役に立てたら私も嬉しいわ」

 留理絵はいつもの調子だが、雅能の方はどこか不機嫌な表情を浮かべている。

 手伝いが嫌だったとは思えない。となると、何か嫌なことがあったのかも知れない。

 深く詮索しないことにして、フェレスは笑顔で窓の方を差し、皆の目線を集める。

 なんと広い食堂の外には、小さな机の並んだテラスまでもが備えられていたのだ。

「ささやかですが、お礼も兼ねてお茶の準備をさせていただきました。今日は日差しも暖かいので、ぜひ皆さん外のテラスでお茶にしましょう」

「うわー、すごい! お庭にも部屋がある!!

 テラスという概念が理解できていないのか、サラは微妙にずれた歓声を上げると、扉を開けてテラスへと飛び出していく。

 レヴィアと留理絵が後を追うように続くが、文楽と雅能はなぜか足を止めたままだった。

 連れ立って並ぶ文楽とフェレスに、雅能が苦い顔つきで声をかける。

「悪いな、フェレス。文楽。オレは先に帰らせてもらうよ」

「えっ、雅能さん。お茶は嫌いでしたか?」

「そうじゃないんだけど……ちょっと、一人になりたい気分なんだ。お茶はまた、改めてご馳走ちそうになりにくるよ」

 雅能は歯切れの悪い語調で言い切ると、ぎこちない笑顔を浮かべながら食堂から出て行こうとする。

 だが、逃げるように立ち去ろうとする友人の背中に、文楽が一言呼び止めた。

「雅能……もしかしてレヴィアに、何か妙なことでも言われたのか?」

「妙なことを言われたのは事実だけど、これはオレの問題だ。気にするなよ」

 意味重な言葉を残して、雅能は食堂を後にして歩き去ってしまう。

 どうもレヴィアと何かがあったのは確かなようだが、何が起こったかまでは分からない。

「もしかして、レヴィアさんに何かイジワルなことでも言われたんでしょうか!?

「どうだろうな。あいつと雅能が何を話すのか、俺には検討もつかん」

「私にはわかります! 雅能さんみたいに生真面目きまじめな性格の方は、レヴィアさんにとって格好のおもちゃですから!」

「お前たまに凄いことを言うな」

「とにかく、お客様に無礼を働くなんて、この屋敷のおもてなし担当である私としては見過ごせません!」

「いつ出来た役職だ」

 文楽はフェレスの邪推をあまり真に受けてはいない。

 だが、実際にはまるで見てきたかのように言い当ててしまっている。

「なんなら俺がレヴィアに聞いてきてもいい。雅能と何を話していたか」

「あ、いえ……それは、なさらない方がいいと思います」

「なぜだ?」

「文楽さんが、雅能さんのお友だちで居たいのなら、そうするべきです」

「そういうものか……わかった。お前の判断を信じる」

 文楽がそう言うと、フェレスはやわらかな微笑みで応える。

 昼下がりの食堂、温かな日差しの中向かい合う二人。

 ふと気恥ずかしさを感じたのか、フェレスは顔を赤らめながら視線を背けると、厨房ちゅうぼうの方へと書けだしていく。

「あ、皆さんをお待たせしてしまいました! 文楽さんは、先にテラスの方へ出ていて下さい。私は厨房でお茶とお菓子の準備をしてきまっ――」

 はっと息を呑む音ともに、フェレスの言葉が止まる。

 駆け出そうと踏み出した足がもつれ、上体が大きく傾いだのだ。

 このままでは顔から床に突っ込む――そう思われた瞬間、ぴたりとフェレスの体が床と触れあうすれすれの所で静止した。

「……まさか何もないところで転ぶとはな」

「ぶ、文楽さん……ありがとうございます」

 フェレスの肩と胴体には、いつの間にか細い糸が巻き付けられていた。伸びる糸の先端は、文楽の指先から蜘蛛の糸のように伸びている。

 文楽は瞬時に取り出した糸をフェレスの体に巻き付け、転びかけた彼女の体が床に落ちる寸前のところで支えていたのだ。

「次は気を付けろ。お前が転ぶと角で床に穴が空く。屋敷を穴だらけにするのはお前も嫌だろう」

「ううっ、手厳しいです……」

 フェレスはまるで人間に首根っこをつかまれてるされた小動物のような格好になってしまっている。

 情けない表情を浮かべる人形に、文楽はやや真剣みのある声で語りかけた。

「……フェレス。人をねぎらう前に、まず自分が休んだらどうだ」

 朝から張り切りっぱなしのフェレスは、引っ越しの仕切りから客のもてなしから、何でも一人でやろうと力が入りっぱなしである。

 張り切り過ぎた疲れが、今になって首をもたげたのだろう。本人に自覚があるかどうかは分からないが。

 フェレスはしゅんと表情を暗くして、口の中で曖昧な言葉を転がし始める。

「ご心配ありがとうございます。でも、私がやりたくてやっていることですので」

「好きにしろと言いたいところだが、限度はある」

「で、でも……テラスでお茶会するの、私、楽しみで……」

「そう慌ててあれもこれもやろうとするな。ここには時間はあると言ったのはお前だ――」

 口にしながら、どこか白々しく空虚な言葉だと文楽は感じていた。

 確かにこの後方基地には、穏やかな時間が許されている。

 だが、フェレスに許されている時間には限りが存在した。

 目の前にある時間、を一つも取りこぼしたくなくて、焦っているのではないか――体の奥から湧き出てきそうになる言葉を必死に呑み込んで、文楽は口を開く。そして同時に、フェレスに巻き付けていた糸を解いて彼女の体を自由にする。

「まあ、あとで一度ゆっくり休め。これは命令だ」

「でも、お夕飯の用意が……」

乾燥麺ヌードルでもでよう。雅能のやつが土産に置いていったのがある。古いしきたりで、引っ越しをした日はこいつを食べるそうだ」

「文楽さん。それは、お蕎麦そばというんですよ」

「ソバ? 何が違うんだ」

「蕎麦は小麦粉ではなくて、蕎麦粉というものを使うんです」

「なるほど、そうか。食べてみるのが楽しみだ」

「……文楽さん。今、楽しみとおっしゃいましたか?」

「ああ。言ったが、どうした?」

 フェレスは目を丸くして驚きを露わにする。

 彼女が何に驚いているのか、文楽には理解ができない。

 疑問符を浮かべる彼に、人形の少女は満足そうにな笑みと共に言う。

「いえ。それは、普通のことですよ。今夜は、とびきり美味しいお蕎麦を作ってさしあげますから」

「だから、張り切るなと言ってるだろ。簡単なもので済ませると言ったはずだ」

「わかりました。簡単に美味しく作ります!」

「……聞き分けのない人形だ」

 文楽の言葉を遮って、ふとテラスの方から砲弾のような大声が飛び込んできた。

「おにーちゃーん! フェレスちゃーん! お菓子まだー!?

 聞こえてきたのはサラの無邪気な催促だった。

 そういえばすっかり三人を外で待たせたままになっている。

「はーい! もうちょっと待ってくださーい!!

 フェレスはいそいそとお盆にカップやポットを乗せ、手際よくお茶の準備を進めていく。

 手伝いたいのはやまやまだが、完璧に計算された隙の無い動きに、全く入り込む余地がない。

 

――何か力になれればいいのだが。

 

 文楽はそう思いつつも、大人しく厨房を離れて三人が待つテラスの方へと向かうしかなかった。

§

 お茶会とは言っても、文楽にはいまいち何をする行事なのかがピンと来ていない。

 ただ全員で茶を飲み、菓子を食べるだけ。

 それを一体なぜ、わざわざ「お茶会」などと特別な行事であるかのように呼称するのか、全く理解ができなかった。

「なあ、留理絵。お茶会とは、一体何をするものなんだ」

 文楽は屋外に置かれたテーブルに付く。

 床もテーブルも椅子も、全て木製で統一されている。

 煉瓦造りの屋敷と、自然に包まれた庭の中間に存在するテラスは、人工物でありながら自然の風景に一体となって取り込まれていた。

「何をするって、お茶を飲んでお菓子食べながら、会話に花を咲かせるのが目的よ」

「会話とは、一体何を話すんだ。作戦会議でもするのか?」

「淑女は優雅な昼下がりに軍事計画なんて立てません。普通にお喋りするだけよ」

「だから、そのお喋りの内容というのを聞いている。茶や菓子の味を品評するのか?」

「文楽くんってカチコチよねえ。違うのよ。会話をすること自体が目的で、何を話すかは何でも良いの」

「会話すること自体が目的……? 理解できないな」

「じゃあ、こう考えたらどう? 機体の反応を見るために、試験操縦をすることはあるでしょ?」

「そうだな。円滑な操縦を行うために、機体反応の確認は必要だ」

「会話も同じ。相手が何を考えてるか、どんな性格なのか、反応がわかれば円滑な人間関係を築けるでしょう」

「なるほど、お前は説明が上手いな」

「文楽くんが人間下手くそなだけでしょ」

 歯に衣着きぬきせぬ言い草だが、不思議と苛立ちは感じない。

 彼女には人形知能デーモンとはまた違った、つかみ所の無さと達観した雰囲気を感じるときがある。人間の女というものは皆、こういうものなのだろうか。

 文楽には同世代の少女と話す機会が全く無かったので、考えても無駄だった。

「やあ、マスター。遅かったじゃないか。このボクを放ったままにするなんて」

「悪いがお前の面倒だけ見ているわけにはいかないからな」

「じゃあボクがもっと面倒なことをしたらボクだけを見てくれる?」

「それは勘弁してくれ。お前が本気で駄々をこねると人類の存亡が揺らぐ」

 淡々と口にしているが、冗談でも誇張でもなく紛れもない事実だ。

 少女の機嫌が斜めになるだけで、人類の安全が傾く。返す返すもそういう時代だ。

「ん? 席に座らないのか、レヴィア」

「キミが座ったらボクも座るよ。なにしろこの館の主人はキミなんだからね」

「珍しいな。お前が人間じみた礼節なんて気にするのは」

 レヴィアは執事のように恭しく頭を下げると、椅子を下げて文楽に座るよう促す。

 怪訝な表情を浮かべながら腰を下ろしたところで、レヴィアがすかさずその隣の椅子へ陣取るように腰を掛けた。

「ふふふ。よし、これでマスターの隣を確保だ!」

「……最初からそう言えばいいだろ」

 レヴィアは得意げになって文楽の肩にもたれ掛かるが、文楽からしてみれば席の順番など至極どうでもいい些事さじだ。

 だが、当人の感想とは裏腹に、事態は予想だにせぬ混迷を見せ始める。

「皆さん、お待たせしました。それでは早速ご用意しますね」

 銀製の盆に茶器と菓子を満載して登場したフェレスは、微笑みとともに呼びかけると、すかさず空いていた文楽の左隣の椅子を確保する。

 表情には貼り付けたような笑みを浮かべているが、椅子を引き寄せる手の動きはあまりに素早かった。おそらくレヴィアに先手を取られたと気づいて焦ったのだろう。

「あーっ! 二人ともズルい!! サラもお兄ちゃんの隣がいい!!

 サラの無邪気な大声を耳にして、文楽はこのとき初めて状況の悪化に気が付いた。

 隣の椅子は右と左の二つだけ、それを求めるのは三人。一人は求めるものを手に入れられない、文字通りの椅子取りゲームだ。富の不足が奪い合いを生み、争いを呼ぶ。

 文楽のちょうど真正面に座る留理絵が、穏やかな声でサラに呼びかける。

「まあまあ、サラちゃん。今日はがまんして、お姉ちゃんの隣に座ろ?」

「やだ! サラはお兄ちゃんの隣がいいの!」

「ああ、私の恋はいつも片思い……」

 にべもなく断られてしまった留理絵は、顔に手を当ててしくしくと泣き真似を始める。

 しかし文楽には、どうも楽しんでいるように見えてしまってならない。

 こういった展開になることを予想して、進んで位置取りをしたのではないかと疑いたくなってしまうほどだ。

 一方のレヴィアとフェレスは、互いにじっとにらみ合ったまま動かなくなっている。

 お互いに「そっちが譲れ」と目線で訴えかけあっているらしい。

 膠着したまま動かない状態にしびれを切らしたのか、サラがいきなり大声を上げた。

「わかった! じゃあ、サラはここに座る!」

 元気よく言い切ったサラは、突然しゃがみ込んで机の下に潜り込む。

 そして、文楽の脚の間から顔を出すと、そのまま彼の膝の上に座ってしまった。

「これならNO PROBLEM!!

「「なっ!?」」

 サラは満足げに言い切るが、両隣に座る二人には大問題だった。

 フェレスとレヴィアが、同時に裏返った声を上げた。

「な、何をしているんですかサラさん!?

「何って、座ってるだけだよ?」

「いえ、そうではなくて……お行儀が悪いです! 空いている席に座ってください!!

「えー。でもサラ、お兄ちゃんの近くがいいもん」

 サラは頬を膨らませて駄々をこね始める。まったく譲る気がないらしい。

 一方、こめかみに青筋を浮かべながら、レヴィアも思わぬ伏兵に苛立った声を向ける。

「いいから今すぐそこを退くんだ、この獣娘ケダモノ

「じゃあレヴィアお姉ちゃんが、その席かわってくれる?」

「いいだろう。そしてマスターの膝にはボクが座る」

「さり気なく何を言い出してるんですか、レヴィアさん!」

 弾かれたようにフェレスが抗議を始める。

 二つの席を三人で取り合っていたのが、今度は一つの膝を巡って三人が争う状態になっている。なぜか事態は悪化へ向かうばかりだ。

「なんだ。お前だって同じ事を考えたんじゃないのか? 正直に言ってみろ」

「わ、私はそんなことは……」

「そんなこと思っていないとでも? この嘘つき人形め、たまには正直な言葉を吐いてみたらどうなんだ?」

「思いましたよ!!

 我慢の限界を軽く吹っ飛ばしたフェレスは、とうとう椅子から立ち上がり、レヴィアに顔を近づけて睨み合いを始めてしまう。

 間に挟まれた文楽は、至極どうでも良いといった様子でつぶやきを漏らした。

「お前ら、くだらないことで争うな」

「文楽さん、あなた自身のことなんですよ! くだらなくなんてありません!!

「そうだよマスター。キミはいつも、自分を過小評価しすぎです」

「難しいことはわかんないけど、サラもお兄ちゃんのことは大事だよ!!

「……そうか、ありがたい話だ」

 だが文楽は一瞬和らげた表情を、すぐさまいつもの硬質な鉄面皮に戻して言い切る。

「だが俺にとっては、もっと重要なことがある」

「何のことですか、文楽さん?」

「腹が減った。早く菓子に手を付けたい。俺が言いたいのはそれだけだ」

 頬に少し赤みが刺す表情で、文楽はきっぱりと自分の本心を言い切る。

 自分の犯した最大の失態に気が付いたフェレスは、言葉を聞くなりお盆を持って素早く立ち上がった。

「わかりました! 私が文楽さんの隣から、留理絵さんの隣へ席を移ります。サラさんは膝からどいて、私の座っていた椅子へ代わりに座って下さい。問題ありませんね?」

「え、フェレスちゃん私の隣に来てくれるの!? やったぜ、漁夫の利が振ってきた。私は問題ないわよ!!

「ちょっと留理絵さん、いちいち抱きつくのはやめて下さい!!

「まあまあ、いいからいいから。いやー、フェレスちゃんは本当に可愛いなあ」

 フェレスの腰に両腕を回し、ぎゅっと力強く抱きしめる。

 残りの二人も異論を唱えることはなかったので、席の配置はようやく固まった。

 だが、たかが席決め一つで毎回こんな揉め事が始まるのかと思うと、文楽はどこか憂鬱な気分になってしまうのだった。

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