第三章 堕落論(2)

「ねえねえ。フェレスちゃんって、文楽君のどこが好きなの?」

 ガシャーンと派手な音を立てて、一枚の皿が破片となって床一面に散らばる。

 皿を落としたときの姿勢のままピクリとも動かないフェレスに対して、留理絵はなおも構わずに続けた。

れた弱みは分かるけど、あんな鉄面皮のどこがいいのかしらね本当。機甲人形アーマードールの方がまだ表情が豊かだと思うけど」

「いっ、いきなり何を聞かれるんですか留理絵さん!?

「いいじゃない、ちょっとぐらい聞かせてくれたって。女の子同士、ガールズ・トークとしゃれこもうじゃない。ぐへへへへ」

「表情が全くガールズではないですよぉ……」

 下品な笑いを浮かべる留理絵に対して、フェレスは割れた皿の破片を片付けつつ涙目で応える。

 仮装人形フェレスと、桂城留理絵。二人は台所で食器類の整頓や、水回りの掃除を担当していた。

 台所は女の戦場。もっとも女性らしい二人が担当すべきだ、という見解のもとに満場一致で決定された――否、満場一致とは言えない。

 ただ一人、当事者であるフェレスだけは心の中で悲鳴を上げていた。

「ほらほら。あんな無愛想な男のことなんか今は忘れて、今は私に任せて。とりあえず天井の染みとか数えてればいいから」

「変なところを触るのは止めて下さい留理絵さん! 人を呼びますよ!?

 他の面々にとっては「女の子二人仲良く」といった感覚の割り当てだが、当事者にとってはライオンと子羊を同じおりの中に閉じ込めて「仲良くしろ」と言われたようなものだ。

 羊のような巻き角を持つ仮装人形のフェレスは、涙目になりながら体のあちこちに手を這わせてくる留理絵の魔の手に抵抗しつつ反論の言葉を叫ぶ。

「そもそも文楽さんは鉄面皮でも無愛想でもありません!!

「そう? いつも仏頂面で、顔グラ一個しか用意されてないみたいに見えるんだけど?」

「顔グラ……? いえ、とにかく! 文楽さんは、本当にたまにですけど、わかりにくいですけど、笑ったり怒ったり悲しんだり、表情には出されてます!!

「え、そうなの?」

「まあ本当に些細な変化なので、普段からお側に居る私にしか分からないかも知れませんね。皆さんはご存知ないでしょうけど。ふふっ

「なんというのろけオーラ……光がまぶしすぎて直視できない」

 まるで太陽を直視してしまった人みたいに、留理絵は手でひさしを作って目を覆う。そんな大げさな演技のポーズに、フェレスは「くすっ」とつい笑みを零してしまう。

 最初は最悪の人選だと思われた組み合わせだが、一応は曲がりなりにも人間の女の子だ。

 フェレスは【人形知能デーモン】という立場上、同年代の女子と話をする機会というのが全くと言っていいほどにない。

 普段話す相手と言えば、操縦士である文楽か、格納庫にいる人形知能デーモンの先輩たちのどちらかだ。人形知能デーモンの世間話と言えば、どのグリスが装甲に優しいとか、どの整備員の整備が丁寧かといった世知辛い話ばかりで、乙女の潤いとはほど遠い。

 人類の守り手として、鋼鉄の戦闘機械となる宿命を選んだ手前、色めく話ができないからという理由で嘆くわけにもいかないが。

「でもまあ、私も文楽くんのことは好きよ?」

「…………へ?」

 留理絵から突然投げつけられた強襲じみた一撃に、フェレスは遅れて間の抜けた声を上げる。

 言葉が脳へ届き、十分その意味が検討された後、驚きの感情がそれに追いついた。

「そそそ、そうなんですか!?

「うん、そうなのよ。でも安心して?」

「できません!」

「できるわよ。だって私、文楽くんが〝女の子扱い〟してくれないことが好きなんだもん。〝女の子扱い〟してほしいフェレスちゃんとは逆」

「ええ、と……」

 思わぬ切り返しに虚を突かれたフェレスは、ゼンマイの切れかけた時計のようにぎこちなく動きを止める。

「あの、留理絵さんは、ご自分が女性として扱われること、お嫌いなんですか?」

「それなんだけど昔ね、男の子からこんなこと言われたのよ。『女子はむだ毛とか生えなくていいよなあ』って……いや、そんなわけないじゃんッ!」

 桂城留理絵は当時の怒りを思い出したのか、突如として物凄い剣幕で叫び始める。

「むだ毛ぐらい、誰だって生えるっつーの!! こっちはあんたと同じ人間なんだから当たり前でしょ!!

「いえ、それはあくまでエチケットですから……」

「でもさー、男子は生え放題で何も言われないくせに不公平じゃない。その点、仮装人形アバターはいいわよね。人工皮膚でお手入れ要らずだし」

「やっ、ちょっと、なで回さないでください!!

 人工皮膚とは言え、感覚神経はもちろん通っている。いやらしい手つきで太股をなで回されて、フェレスは悲鳴をあげながら後ずさりした。

「自由奔放に見えて、留理絵さんも苦労されてるんですね」

「そんなことばっかり続くうちに、自分が女の子らしく振る舞うのも、振る舞うことを求められるのも、全部嫌になっちゃって……そんなとき基地で機甲人形アーマードールの姿を見て一目惚れしたのよ。〝戦うこと〟だけを求められる存在って、すごく美しいなって」

「私は……自分が〝戦うこと〟しか求められないのは、悲しいことだと思います」

「フェレスちゃんの場合、着替えるからだが二つもあるんだからいいとこ取りよ。可愛くもかっこよくもなれる。でも人間に選べるのはせいぜい、ズボンを履くかスカートを履くかの二択だわ」

 留理絵はふと、テーブルの上に置かれた花差しに目を送る。

 フェレスが用意したものだろう。生けられた花は、慎ましくも鮮やかな色を食堂の風景に与えている。こういう、ちょっとした気遣いが彼女らしい。

「たとえば花みたいに、〝美しいこと〟だけ求められて、何も偽らずそう生きられたら幸せかもね」

 〝偽り〟という言葉の響きに、フェレスはわずかに表情を曇らせる。

 留理絵は自分のことを〝戦うために生まれた人形〟だと思い込んでいるが、それは所詮偽りの姿だ。

 彼女が言うように、求められた振る舞いを果たしているだけなのだろうか。あるいは、自分がありたいと願った姿なのだろうか。

 考えあぐねた末に、フェレスはふと一つの質問を投げかけた。

「留理絵さんは、どうして花が色鮮やかで、綺麗に咲くか、知っていますか?」

「どうしてって……考えたことなかったわね。品種改良してなくっても、綺麗に咲く花はいっぱいあるし」

「それは、しゅを残すためです」

 食堂を彩る為に生け花を飾りながら、フェレスははっきりと言い切る。言葉がくっきりとした跡を空間に刻まれる。

「花は受粉可能な状態になると、鮮やかな色の花弁を開きます。それは、花粉を運んでくれる虫に『自分が種を作れる状態である』ことを伝えるための意思表示なんです。虫は色と蜜につられて花に集い、それが種子を残すことにつながります」

「そう考えるとなんか、あまりに浪漫がないわね。花の心なんて分からないと思ってたけど、人間と事情はそう変わらないのかも。どうしてフェレスちゃんは、そんな花に詳しいの?」

「私は花を育てるのも、飾るのも、植えるのも好きですから。一番好きなのは、育てた花を誰かに渡して差し上げることですけれど」

 花の美しさは、しゅを存続させるための生存戦略の一端に過ぎない。

 そんな夢も浪漫もない花の〝真実〟を語るフェレスに、留理絵は驚嘆のため息を漏らす。彼女はどちらかというと、「夢のないことを語るな」と怒る側だと思っていたからだ。

 それでもフェレスは、花瓶の花を愛おしそうに見つめながら、言葉を続ける。

「いつか散る花だからこそ、種子を残したい。自分の存在を一部でもこの世界に置いていきたい――私は、そんな意思の強さが美しいんだと思うんです。女の子が綺麗に着飾るのも、花が綺麗に咲くのも、違いはありません」

 人形知能デーモンという機械の人格に、後継機という概念はあっても、子孫という概念は無い。仮装人形に生殖という能力はない。種を残すことはできない。

「じゃあ……フェレスちゃんは、この世界に、何を残したい?」

「そうですね……たとえば私が飾った花の色や、作ったお菓子の味や、編んだ服の暖かさが、文楽さんの心の中に残ってくれたなら、それがきっと私の幸せです」

「……やっぱり、フェレスちゃんは可愛いなあ」

 留理絵の言葉には、茶化すような軽さも、妬むような感情も含まれてはいなかった。

 そうして二人はただ温かな沈黙を守ったまま、静かに食堂の片付けにいそしむのだった。

§

 大きな木箱が床に落ち、ドスンという音と共にほこりが舞い上がる。

 重い荷を下ろしてやっと一息ついた雅能は、運び終えた目の前の木箱に目線を落とす。

「あいつの荷物か……何が入ってるんだ?」

 剣菱雅能が任されたのは、各人の私物を部屋に運び込む作業だった。

 普通、自分の荷物は自分で整理するのが道理のはずだが、愛生文楽にはそうした一般的な文脈が全く通じない。「俺の荷物を頼んだ」と雅能に文字通り投げ渡してしまったのだ。

「オレが任されたってことは……中身、見てもいいんだよな」

 雅能は恐る恐ると言った様子で、木箱の蓋に手をかける。

 文楽がどんな私物を持っているのか、そもそも彼に私物という概念など存在するのだろうか。気にならないわけではない。

 彼が郡河基地訓練学校に転校してきて以来既に1ヶ月近くの付き合いになるが、未だに雅能は愛生文楽という人間について掴みきれていない部分が多い。そもそも、掴むことのできる実態と呼べるようなものなど存在していないように虚ろだ。

 郡河基地に来る以前、どんな環境で育ち、どんな人生を送ってきたのか。

 この箱の中を見れば生活感の微香ぐらいはかぎ取れるのではないか――不安にもよく似た好奇心を胸に、雅能は木箱の蓋を開く。

「うわっ!? な、なんだ? これ、作りかけの人形……?」

 目に飛び込んできた〝もの〟に、反射的に驚きの声を上げる。

 中に入っていたものの大部分は着替えの衣服だが、雅能の目を引いたのは数体の木彫りの人形であった。その隣には、作りかけと思われる人形の部品らしき木片が、糸で縛ってまとめてある。

 彼が転校してきた初日、得意技として生徒達の前で操って見せたものだ。たしか、〝ぴおすけ〟とかいう奇妙な名前をつけていたと記憶している。

 変わった特技だとは思ったが、まさか全て彼の手製だったとは。

 意図せず目にしてしまった文楽の意外な一面に、雅能は驚きの声をもらす。

「なんだ……あいつも一応、趣味みたいなものはあるんだな」

 あの無愛想な男が、真剣な目つきでナイフを握り、木片を削って人形を彫っている光景を思い浮かべて、雅能は微かに笑みを零した。

 真っ当な少年の趣味としてはかなり不気味だが、全く趣味がないよりは健全に思える。

「何で同じ人形ばっかり何体も作ってるんだ?」

 雅能は四肢を投げ出した状態で箱に置かれた人形を二体手に取り、両者を見比べてみる。そしてふと、あることに気が付いた。

「これ、ちょっとずつバージョンアップしてるのか……?」

 人形にはよくみると、それぞれ番号が振ってある。おそらく、制作した順番だろう。

 一番端のものが、転校初日に生徒たちの前で披露した〝ぴおすけ1号〟だ。そして隣に、〝2号〟と〝3号〟が並べられている。

 〝1号〟はただ、楕円形だえんけいの木片を糸でつなぎ合わせ、人間のような四肢を形作っただけの簡素なものだ。だが、〝2号〟の方は部品の一つ一つが、人間の手足や胴体を再現しようとした痕跡がある。

 そして〝3号〟になると更に変化は顕著で、人形の頭部に鼻や口といった顔を再現するような彫り込みが加えられているのだ。

 人間の形を真似ただけの人形が、少しずつ人の形に近づき、今や不器用ながら表情までも与えられようとしている。

 謎の転校生、愛生文楽。

 認めたくはないが、彼は誰が見ても明らかに操縦士としては天才だ。

 だが、そんな才能を持つ彼も、完璧なわけではない。欠けている部分はある。

 その欠けた部分を補おうと、彼も人知れず努力していたのではないだろうか――たとえば、少しでも〝普通の人間〟に近づこうとする努力を。

 そう気付いたとき、不気味だと思った木彫りの人形達が、どこか温かで愛嬌あいきょうのある存在に思えてきてしまう。

「やあ、雅能。マスターの私物を覗き見とは、キミも思いのほか趣味がいいね」

「り、〈リヴァイアサン〉!? 見てたのかよ……」

「ボクの名前はレヴィアだよ。〈リヴァイアサン〉は機甲人形アーマードールとしての名前だ」

「じゃあ、ええと、レヴィアさん……でいいか?」

「どうも、すっかりキミには警戒されてしまったようだね」

 レヴィアは躊躇ちゅうちょなく部屋の中に入ってくる。自然と二人きりになってしまった。

 文楽や他の面々が居るときに比べて、一対一で向かい合っていると異様な緊張感に全身を覆われてしまう。まるで見えない大蛇がとぐろをまき、体をゆっくりと締め付けていくようだ。

 額から伸びる牙のように不揃いな角、鋭い眼光を放つ真っ赤な瞳。人の姿をしていながら人ではない、異質な存在に対する輪郭のない恐怖。

 目と目を真っ直ぐに向かい合わせると、改めてよく分かる。この存在が、人とは異なる理論ことわりに従って動く存在なのだと。

「それ……ああ、マスターの木彫り人形か。ちょっと形が違うみたいだね」

「ああ、ちょっと感心してたんだ。あいつも、努力してる部分はあるんだなって」

「ボクは最初のものの方が好きだな。素朴で簡素で、それが美しいのに、こっちの新しいものはなんだか余計なものが増えてる。ナイフの切れ味が落ちてしまったみたいだね」

「当人が変わろうと努力してるなら、それはむべきじゃないか」

「無駄を許さない、厳格に洗練された心が、彼の魅力だとボクは思うけどね」

「それは……操縦士としての話なのか?」

「そりゃあ人形知能デーモンにとって、人間の好き嫌いはまず技能の善し悪しが第一だからね。優しくて家庭的な男なんて戦場では何の役にも立たないよ」

「〝普通の人間〟は優秀な操縦士になれないって、案外本当だったのか……」

 何事か深く考え込む雅能の態度に、ふとレヴィアは一つの気づきを得る。

「ふーん……やっぱりキミは、愛生文楽のことをうらやんでいるんだね」

「なっ、そんなこと……!!

「「ない」とは言わせないよ。〝嫉妬〟の二つ名は伊達だてでついたものじゃない」

 レヴィアはまるで獲物を睨み付ける蛇のように深紅の瞳を煌々こうこうと光らせる。

「キミは、《蛇遣いアスクレピオス》という英雄に憧れているね」

「ど、どうしてそのこと知ってるんだよ!? 文楽から聞いたのか?」

「ボクの直感だよ。だからキミは《蛇遣いアスクレピオス》の死を悼まないボクに苛立ちを覚えている」

「……ああ、そうだよ。否定しない」

「そして――ボクを夢中にさせる愛生文楽に対する嫉妬も、それが原因というわけだ」

「なっ、なんでそんな話になるんだよ!」

 雅能は思わず声を荒げて反論の言葉を叫ぶ。

 人の感情を勝手に憶測で語られれば、怒りを買って当然だ。しかも言っていることが本当のことであれば、尚更人は怒らずにいられない。

「理由なんて知れたことさ。同年代の訓練生でありながら、操縦技能に優れ、人形からも認められ、入隊後は一流の操縦士になることは確実。きっと《蛇遣いアスクレピオス》に並ぶ英雄になるだろう。優等生のキミが、妬んでいないわけがない」

「やめてくれ! そんな話、聞きたくもない!!

 雅能はレヴィアの言葉を拒絶したがるように耳を塞ぎ、大きくこうべを振る。

「嫌がるのは事実だと認めたのと一緒だよ。たとえば留理絵に同じ話をしたとしても、今のキミみたいに動揺したり声を荒げることはないと思うね」

「そんなの性格の問題だ」

「そう、性格の問題だ。仕方ないんだよ。キミが愛生文楽に嫉妬するのも、性格だから仕方のないことなんだ」

「決めつけるのはやめてくれ、頼むから」

 仮にも相手は〝嫉妬〟の二つ名を与えられた人形知能デーモンだ。

 人に作られた自我が、人より人の感情を正確に理解できることなどあり得るのだろうか。

「嫉妬なんて醜い感情、オレは持っていない」

「嫉妬が醜い感情だって? ボクはそうは思わないよ」

 レヴィアは部屋に備え付けられていたベッドにゆっくり腰を下ろし、悠然と脚を組み余裕ぶった表情を浮かべる。

 俗世離れした美貌と堂々たる態度は、異界から人の世界を覗き込む悪魔そのものだ。

「人より強く、人より高く、人より前に……そう願うからこそ、人はより高みへと登り詰めてきた。争い、磨き、積み上げてきた。武器を手にしておきながら、武器が血でけがれていることを嫌うのは潔癖にすぎるよ」

 レヴィアの言葉は、単なる扇動だろうか。こじつけに過ぎないと言えばそれまでだ。

 だが、人ならざる存在だからこそ――人を外側から観測している人形だからこそ、人の心を人自身より正確に捉えているのかも知れない。そう思わされてしまうのは事実だ。

 人形知能デーモンは量子頭脳の中に生み出された疑似人格だ。人間でも機械でもない。ましてや悪魔でもない。人工的に作り出された、人によく似たなにかだ。

「分からないのかい? 嫉妬という感情こそ、人が神に背いてまで手に入れた、禁断の果実の正体なんだよ」

「だとしたら……嫉妬を知ってしまったことで、人類は楽園を追われたってことになるな」

 聖書の一説を例えに上げたレヴィアに対し、雅能は同じ論法で切り返す。

「しかも人類が最初に犯した殺人も、嫉妬が動機だ。そんな感情、人類は持つべきじゃなかったんだ」

「へえ、驚いた。キミは物知りだね」

「聖書ぐらい誰だって知ってるだろ。別に珍しくもない」

「そうなのかい? 読んだことのある人間に会ったのはこれが初めてだよ」

「……ああ、そうか。前線に居る人間は、本なんて読んでる暇ないもんな」

「まあ、ボクも直接読んだことはないんだけどね。生まれたときから記憶メモリに入っていたんだから」

「それって、本当に知ってるって言えるのか?」

「キミが読んだのだって、原典の写しの翻訳の写しとかなんだろ? 本当に知ってる人間なんてこの世界のどこを探しても居ないよ」

「うーん……本物とか偽物なんて、言い出したらキリがないな」

 雅能は思わず言い負かされかかっている自分に気が付く。こんなに我の強い人格に出会ったのは初めてだ。《七つの大罪セブン・フォール》の名前を背負う人形だけあって出来が違う。

 人形は人間ではないが、だからといって人間の偽物でもない。対等に向き合おうとしていなかった自分の思い込みに気が付き、雅能は姿勢を正してレヴィアに向き合う。

「もし仮に……オレがあいつに嫉妬しているんだとしたら、どうしたらいい。オレの勝手な感情の問題で、あいつのことを恨んだりしたくない」

「ボクに言わせればカインが犯した本当の罪は、嫉妬からアベルを殺めてしまったことじゃなくって『殺していない』と嘘をつき、自分の心を偽ろうとしたことさ」

 嫉妬なんてしていない――そう口にしたとき、後ろめたい感情があったのは事実だ。

 レヴィアの口調に、責めるような厳しさはない。だが、どこか棘のこめられた調子で言葉を続ける。

「ボクが醜いと思うのは、嘘や偽りだけさ。己のやましさに正直であることの方が、人間とって最大の美徳だよ」

 人形知能デーモンは【誠実の鼻】と呼ばれる倫理機構が組み込まれており、嘘をつくという行為に猛烈な忌避感と嫌悪感を抱くようにできている。

 つまり人間と比べて、嘘に対して厳しすぎ、正直すぎる。その点において人間と大きく異なる存在だと言っていいだろう。

「もしかして人形知能デーモンって、嘘がつける人間が羨ましいのか?」

「ああ、そうだとも。嘘がつける奴は人間だろうと人形だろうと等しく妬ましいね」

「なるほどな。オレは嘘がつけない人形の方が羨ましく感じる。正直に物が言えないのは、お前の言う通り、オレが未熟だからだよ」

「へえ……人形ボクたちが羨ましいだなんて、妬まれる側になるのも案外悪くないね。ちょっといい気分だよ。キミもやればできるじゃないか、雅能」

「それって、褒めてるのか……?」

 レヴィアは心の底からたのしくてたまらないという、にこやかな顔つきを浮かべている。

 一方の雅能は対照的に、どんどんと不機嫌な表情になっていくばかりだ。

「さっきから聞きたかったんだけど、どうしてあんたはオレなんかに構うんだ」

「この話は知ってるかい? 禁断の果実に手を出すようイヴをそそのしたのは、悪魔が化けた蛇の仕業だったって」

 海蛇の悪魔は、チロリと赤い舌を覗かせる。

「人を惑わせるのは、神話の時代から蛇の役目だと相場が決まってるのさ」

「よく分かった。要するに悪趣味なんだな」

「人聞きが悪いなあ。人間は悪魔に知恵をよこせとねだるくせに、いざ知恵を与えられると知恵なんて欲しくなかったと悪魔を責めるんだ。ひどい話だよ」

「それとこれとは話が別だろ!」

 うろたえながら話を誤魔化そうとする雅能を、レヴィアは心底愉快そうに大声で笑う。

「はははっ! キミは面白いなあ、雅能。人間にしては中々よく出来てるよ」

「オレは文楽のやつの凄さがやっと実感できたよ。お前みたいな人形と付き合うのは、本当に神経がすり減る。オレには出来ない」

「残念だな。せっかく新しい暇つぶしが手に入ったと思ったのに」

 人形が人間の偽物だなんて勘違いもいいところだ――こいつらはきっと、本物の悪魔だ。科学の粋を尽くして作られた量子頭脳の中に、非科学的な悪魔が入り込んで人形のふりをしているに違いない。

 剣菱雅能は、そう思い込まずには居られないのだった。

§

 虫という生き物は、非常に機能的で洗練された生物だと愛生文楽は考えている。

 事実、機甲兵器の多くは虫の持つ機能性を参考として設計されており、角のような砲塔を持つ多脚戦車【甲虫型かぶとがた】、生物的な独特の流線形状を持つ戦闘機【雀蛾型すずめがた】など、枚挙にいとまはない。

 これら工学の粋を尽くされて作られた優秀な自律型兵器は、自我の希薄さという脆弱性のすきをつかれ、ゲーティアの汚染を受け人類の敵となってしまった。

 彼らの電子頭脳は情報工学的にはすぐれていたが、「自分とは何か」という哲学に対する完成度が不十分だったため、この悲劇を巻き起こしてしまったと言っていい。

 結果、これら人の力では対抗し得ない万能兵器を、機甲人形アーマードールという超常兵器によって打倒するのが操縦士達に与えられた使命の一つである。

 一般に操縦士の戦果は〝破壊した電波施設の数〟で比較されるため、〝撃墜した機甲兵器の数〟は戦果としてあまり評価されない。そのため、電波施設の破壊任務を任されない部隊は、敵が虫型であることから〝害虫駆除部隊〟などとあだ名されることもある。

 だが、あまりにも多くの撃墜数を誇る操縦士も中にはおり、文楽が居た部隊の隊長なども全盛期は《百舌鳥シュライク》という異名を取る程だった。

「しかし、本当の害虫駆除をするはめになるとは……」

 文楽は呟きながら、箒の柄を軒下に張られた蜘蛛の巣へ向かって伸ばす。

 屋敷は長い間手入れがされていなかった為、あちこちに蜘蛛の巣や蜂の巣、虫の密生地帯コロニーが形成されてしまっている。

 文楽は役割分担上、屋敷の周囲をめぐりながら外装の掃除として、虫の駆除作業の真っ最中なのであった。

「別に駆除などしなくても、生活に支障はないと思うんだが」

「お兄ちゃん、虫さんのこと苦手なの?」

 気怠けだるそうな顔つきで悪態をつく文楽のもとへ、暇そうな顔をしたサラがふと駆け寄ってくる。

 彼女は文楽と同じく屋敷の外の掃除、外壁をつたう植物のつるや雑草を取り除く仕事を任されている。もっとも量が膨大すぎるうえに、サラのような自由人に任せても到底終わりそうにない。

 おそらくフェレスは、今日中に終わらないことを前提として彼女に任せたのだろう。本格的な掃除は後日改めてやるつもりに違いない。

「テントや寝袋で野宿するのが当たり前の生活だったからな。虫は苦手ではない」

「そうなの? 虫さん触るのがいやだから、お仕事いやなんだと思った」

「必要も無いのに殺すのには、虫とはいえ気が進まん……住んでいたのは彼らの方が先だ。毒があるわけでもないし、人に危害を加えなければ共生することはできる」

「じゃあ、放っておくの?」

「そういうわけにもいかない。フェレスのやつが嫌がるからな」

 彼女の言によると、「蜘蛛の巣だらけの洋館なんてお化け屋敷みたいで嫌です」とのことだ。

「でも、この虫さんは住んでもいいって言ってないでしょ?」

「現状では不法占拠だな。彼らには立ち退いてもらうとしよう」

 そう言って文楽は、箒の柄ではられた蜘蛛の巣をくるくると絡め取る。

 彼らから住処を奪うのは気が引けるが、命までは取らない。住む場所が悪かったと納得してもらって、別の場所に引っ越してもらうしかないだろう。

「お兄ちゃんって、虫さんにも優しいんだね」

「いや、別にそういうわけでもない。毒を持っていれば外敵として駆除する。場合によっては非常食にすることだってある」

「た、食べるの!? 虫だよ!?

 サラは音程のひっくり返った驚愕きょうがくの声を上げる。破天荒な言動の目立つ彼女も、さすがに「虫を食べる」という前線の習慣には驚かされたらしい。

「ああ、他に食う物が無ければ、食料として捕まえることもある」

「ダメだよ、そんなの! おいしくないし、お腹壊しちゃうよ!!

「いや、調味料さえあればそこそこ味も悪くない。塩の補給が途切れたときは確かに堪えるものがあったが……」

「お兄ちゃん! 元気出して!!

 グッと拳を握り締めて、サラは文楽を必死に励まそうと声を大きくする。

 そんなに自分は暗い顔をしていたのだろうか。文楽はすぐに笑みを作って返す。

「いや、大丈夫だ。今は元気だ」

REALLYリアリー?」

「本当だ。あいつの飯はうまいからな」

「めちゃウマなの!? 楽しみ!!

「慌ただしいなお前」

 心配そうな顔つきを見せたのも束の間、今度はフェレスの料理が楽しみだと小躍りを始める。本当に表情が色鮮やかにころころと変わる人形だ。

 この感情の色彩の豊かさが、彼女の持つ〝色欲〟という言葉の意味なのだろうか――いや、それは願望的な考えに過ぎない。

 色欲という言葉が指すのは、情欲、性的欲求、つまり男女の交わりを求める欲望だ。だがサラの態度は天真爛漫てんしんらんまんそのもので、とてもではないが色欲という言葉の持つ印象とは一致しない。

 それとも、自分が持つ〝色欲〟という言葉の解釈に大きな間違いがあるだけなのだろうか

「まあ、考えたところで理解はし難いが……」

 文楽は掃除を進める手を止めず、ふと独り言のように呟きを漏らす。

 自分にはとにかく、感情の色というものが足りていない。

 どうして自分は彼女達のように色鮮やかになれないのだろうか――羨ましいとは思わないが、それでも見習うべきなのだろう。

 思い悩みながら屋敷の周囲をゆっくりと歩いて行く文楽に、ふとサラの息せき切った声が耳に飛び込んだ。

「STOP! お兄ちゃん、こっちこないで!!

「一体どうした、サラ。何か問題でもあったか?」

 サラは木陰にしゃがみ込んで、何かを隠そうとしている様子だ。

 腰から下は、やぶに隠れてしまっていて確認することができない。

「も、問題はないの! 何かあるけど! とにかく来ちゃだめ!!

「支離滅裂だな。そんなに嫌ならば離れるが――」

「あっ、出ちゃだめ!!

 文楽がきびすを返し、その場を後にしようとした瞬間だった。

 しゃがみ込んだサラの衣服の中に隠し込まれていた物が、突然飛び出して文楽の足下を通り抜けようとしたのだ。

「おっと、今度はなんだ?」

 文楽は反射的に、その足下を通り抜けようとした何かをすかさず掴まえる。亜音速で飛び交う機甲人形アーマードールの操縦士にとって、この程度は造作もない反射的動作だ。

 掴まえたものを目線の高さに持ち上げ、しげしげと見つめてから文楽は呟いた。

「……野良猫か」

「お兄ちゃん、その猫さんは食べちゃだめだよ!」

「さすがに猫は食べたことがない」

「味とか気になったりする……?」

「大丈夫だ。食べない」

 よほど「虫を食べたことがある」という話が強烈だったのだろう。何でも食べる人間だと思われてしまっている。迂闊うかつに人に話さない方が良い逸話のようだ。

 それはともかく、一体なぜサラは、見つけた野良猫を隠そうとしていたのだろう。

「サラ。この猫は、一体どうした?」

「さっきね、そこで見つけたの」

「それで、この猫をどうするつもりだったんだ?」

「汚れを洗ったり、エサとか上げたり、寝るとこ用意してあげたいなって……」

「それはつまり、この猫を飼いたいということか?」

「……EXACTLYエグザクトリ

 サラは気まずそうに目を逸らしながら、文楽の言葉に小さく首肯する。

 確かにこの子猫は、体中が汚れきっている上に、見るからにやせ細っている。親猫の保護を受けていないのだろうか。いつ餓死してもおかしくはないと一目に分かる。

 顔の高さに持ち上げた猫をじっと見つめていると、突然小さな前肢が文楽の顔に向かって伸ばされた。

「あ、だめっ!!

 サラが叱るように声を上げたのと、子猫の爪が文楽の鼻先をかすめたのはほぼ同時だった。

 慌てて顔から遠ざけたので掠める程度で済んだものの、引っ掻こうとした事実に変わりは無い。文楽は苦々しげな表情で呟く。

「……どうやら俺は、こいつに気に入られていないようだ」

「怒らないで! その猫ちゃん、きっとこわがってるだけなの!!

「なるほど、そうか。悪いな、怖がらせてしまって」

 文楽は律儀に子猫へ詫びを入れながら、持ち上げた猫を地面へそっと下ろして頭を軽く撫でてやる。

 しかし猫は、文楽の手に向かって再び爪を伸ばし、嫌がるように追い払う。どうやら頭を触られるのは好みではなかったらしい。

「謝ったつもりが余計に怒らせてしまったらしい」

「お兄ちゃん、この子のこと怒らないの? 引っ掻かれたのに?」

「動物は言葉が喋れない以上、行動で示すしかない。それだけの話だ」

 文楽は淡々とした声色で答えながら、地面に下ろした猫が駆け出すのを見送る。

 俊敏な動作で走り出した猫は、どこかへ逃げ去ってしまうかと思ったが、驚いたことにサラの足下へと飛びついた。

 そしてここが自分の居場所だとでも言わんばかりに、サラの脚の陰に身を隠し、じっとうずくまっている。

「お前はその猫に気に入られているようだな」

「そうなのかな……? えへへ」

 照れたように微笑むサラを見つめながら、文楽はふと思い返す。

 そういえば自分がサラと初めて会ったときは、彼女自身が逃げている側だった。似たような境遇だからこそ、気持ちが理解できるのかも知れない。

「その猫を保護したいならすればいい」

「ほんとに!? いいの?」

「ダメだと言ってもお前は聞かないだろうからな」

「そんなこと、えっと……あるかも」

 否定の言葉を口にしかけるも、サラは文楽の言葉をあっさり認めて照れたように笑う。

 サラは驚くほど感情に裏表がない。皮肉げで曲がりくねった言葉ばかり使うレヴィアや、周到に嘘で本音を包み隠すフェレスと違って、非常に分かりやすい。

 だが、分かり易すぎるというのもそれはそれで困ったものだ。

「心配するなら俺よりもフェレスの方だな。あいつの賛同が得られなければ、餌の調達は容易ではない」

「もしダメって言われたらどうすればいい?」

「自分で調達するしかないな」

「うーん……じゃあ、何を上げたらいいのかな?」

「フェレスに餌のことを頼むにしろ、自分で調達するにしろ、食べて良い物を把握していなければ与えようがない。それに関しては、責任をもってお前が自分で調べるんだな」

「わかった! サラ、この子のためにがんばる!!

 サラは意気込んだ様子で応えると、子猫を抱きかかえる。

 そもそも人形達が人類を守るのは、彼女達の自由意思によるものだ。逆に言えば、守るべき対象が人間だけとは限らない。

 もしここで子猫を見捨てろと言ってしまえば、次に見捨てられるのは人類の方かもしれない。人形の思うまま好きにさせるのが、引いては人類全体の為になるというのが文楽なりの人類主義ヒューマニズムである。

 子猫を抱きかかえるサラに背を向け、文楽は掃除の続きに戻ろうとする。

「ねえねえ、名前は何にしたら良いと思う?」

 それと同時、サラが背後で問いかけの声を発するのが聞こえてくる。

 名付けなど相談されても困るのだが。文楽は困惑しつつ、再びサラの方を振り向く。

「俺は名前を考えるのは苦手なんだが――」

「トビト? じゃあ、今日からきみの名前はトビトね!!

「……なんだ、俺に聞いたんじゃなかったのか」

 サラは文楽の言葉に気づいた様子もなく、子猫の顔をじっと見つめている。

 今のは独り言だったのだろうか。それにしては妙に声が大きかった。

 文楽が振り返った先に見えたのは、子猫を見つめながら頷く一人と、彼女の声に「ミャー」とか細い鳴き声を還す一匹だけだ。どうやら名前はトビトに決まったらしい。

 再び歩き始めようとした文楽は、ふと一つの違和感に気付きぴたりと足を止めた。

 

 一体誰が、その名を付けたのだろう。

 

 あの場に居るのは一人と一匹だけ。つまり、状況から見れば会話の相手は猫しかいない。

「まさか、猫の言葉がわかるのか……?」

 とすれば、猫と会話をしていたと考えるしかない。

 もちろん人語を解する猫などいるはずがない。だが、サラの耳には声が聞こえたということなのだろう。幼い少女が人形遊戯ままごとをするようなものだ。

 大体、言葉を話さない存在の声が聞こえることなど、特に珍しいことではない。

 文楽の常識内において、その違和感は時間をかけるに値するものではなかった。

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