第二章 阿修羅姫(2)

 「夕飯の支度をしてきます」と言うフェレスを先に部屋へと帰らせ、文楽は一人訓練学校の廊下を歩いていた。

 フェレスは朝晩の二回、毎日必ず文楽の部屋を訪ねてきて、食事の用意と洗濯や掃除といった家事を終わらせて格納庫へと戻っていく。

 いっそ同じ部屋に住めばいいのではないかと尋ねたことがあるが、一時間近く悩んだ末に「それは駄目です」と涙目で断られてしまった。泣くほど嫌だったのだろうか。

「本当に困ったものだ――」

「そこの人間さん! どいてどいて!!

 文楽が自分のふがいなさに、思わずため息を吐きかけたそのときだった。

 背後から、幼い少女の叫び声が文楽の耳に届いた。

「ん?」

 文楽は声が聞こえてきた方向、首をぐるりと回して真後ろを振り向く。

 すると、思いも寄らない光景が視界に飛び込んできた。

 軍服姿の巨漢が、文楽目がけて真っ直ぐ水平に吹っ飛んできたのだ。

「ッ――」

 戦場で培ってきた生存本能ルーティンが、理性が判断するよりも早く身体からだを駆動させる。

 素早く袖口から糸の束を取り出すと、両手で引き延ばして即席のネットを編み上げ、吹っ飛んできた男の身体を全力で受け止める。

 あまりの衝撃に吹き飛ばされそうになりながら、なんとかその場に踏みとどまった。

「な、何が起きた……?」

 文楽は目を白黒させながら、受け止めた男の身体を地面に横たえさせる。

 避けようと思えば簡単に避けられたが、それではこの男が地面にたたき付けられてしまう。先ほどの勢いでは、大怪我を負いかねない。

 身の安全を守りつつ、相手にも怪我がないようにするのは、簡単にやっているように見えてかなり神経を使う。

 愛生文楽が優れた操縦技術の他に、もう一つ所持している武器。それが、生身での戦闘術がこの糸を使った独特の技だ。

「まさか、また敵襲なのか」

 抱えた疑問を明後日の方向に着地させた文楽は、警戒態勢を解かぬまま、男が吹っ飛んできた方向、長く伸びる廊下の先を見る。

 そこには、何かから逃げているのだろう。全速力で走ってくる一人の少女の姿が見えた。

「もーっ! サラの邪魔しないで!!

 まず目に付いたのは、まるで獣の耳のような独特の形状をした角。一目見て、仮装人形アバターなのだとわかる。蜂蜜色の長い髪は、頭の両脇で、きつねの尾のような二つの房にまとめられ、走る勢いによって旗のように揺れている。

 格好は、大陸の古い民族衣装――俗にチャイナドレスと呼ばれる服を模したものだ。

「まるで猛獣のような扱いだが、あれは何だ?」

 そして何より文楽の目を引いたのは、腕と脚にはめられた鉄塊てっかいのようなかせと、鎖付きの鉄球だった。

 おそらく手錠の代わりなのだろう。その枷は、手錠のような生やさしいものではない。まるで、機甲人形アーマードールの装甲に使うような分厚い鉄板で、手首を挟み込んで固定している。

 脚に付けられた鎖と鉄球も、およそ人間を拘束するためには行きすぎた大きさである。格納庫で、機甲人形アーマードールを倒れないよう固定しておくために使う、駐機用の器具ではないかと錯覚するほどだ。

 枷も、鎖も、行動の自由を奪うだけで済むはずがない。あれだけの重量を身体に固定されてしまえば、歩くどころか立った姿勢を維持することすら困難なはずだ。

 だが仮装人形の少女は、そんな重りを全く意に介さず全力疾走してのけている。

「あれは、仮装人形、なのか……?」

 いくら仮装人形に自衛のための戦闘力が与えられているとはいえ、あの馬力はどう考えても普通じゃない。本物の悪魔だと言われても納得してしまいそうだ。

 必死で走る少女の背後から、別の軍服姿の男が駆け寄ってくるのが見える。襟章を見るに、基地警備などの保安部隊に所属する軍人らしい。

 枷の重量のせいで、さすがに本来ほど速く走れないのだろう。保安部隊の男はすぐさま追いつくと、少女を捕まえようと肩に手を伸ばす。

 だが次の瞬間、少女は靴から煙を上げながら急停止。獣じみた反射神経で背後の敵意に視線を向けた。

CLAAAAAASHクラァァァァッシュ!!

「ぎゃあアア!?

 少女は振り返り様に、手枷がついたままの両腕で、背後から伸びてきた男の腕をつかまえて、背負い投げのような体勢で放り投げた。

 本来の背負い投げならば地面に叩き付けられるだけだが、何を間違ったのか投げられた男は地面と水平に横合いへと吹き飛んでいく。そのまま廊下の窓を突き破り、外の地面に落下した。

 先ほど文楽の方に吹っ飛んできた男も、おそらくあの少女の怪力の犠牲になったものなのだろう。

「事情はわからんが……関わり合いたくないな」

 文楽は素早く自分の取るべき選択肢を見定める。

 あの仮装人形らしい少女は、軍人達に追われている。だが、捕まえようとする人間たちを、彼女は〝純粋な力〟でもって排除しながら邁進まいしんしている。

 あれはもはや、猛獣とか、自然災害とか、そういった類のものだ。人類がいくら優れた英知を持つとは言え、災害に立ち向かうべきではない。安全な場所に隠れ、嵐が去るのを待つのが懸命といえる。

 次々と彼女を捕まえようと追ってくる軍人たちを、少女はことごとぎ払いながら、足を止めること無く直進してくる。

 そんな彼女の背後から、ふと甲高い風変わりな叫びが聞こえてきた。

「ああちょっと、サラさん待ちなさい! あなた一体、何人再起不能にしたと思ってるんですか!? 乗機が起こした問題は、操縦士である私が責任とらされるんですよお!?

「知らない!! サラはあなたのこと、操縦士だと思ってないもん!!

「あなたが認めようと認めまいと、命令書は出てるんです!! それにあなた、このまま命令違反を続けるなら解体処分ですからね!!

「乗るのも解体されるのも、サラはいや!!

「あなたが嫌でもこっちは仕事なんですけどね!!

 その悲鳴じみた叫びを上げる軍人は、彼女の操縦士――となるはずだった人間なのだろう。だが、あまり反りが合わず、そのせいで大変な騒ぎが起きているということらしい。

「大体、どーしてそんなに私のことが嫌なんですか!?

「……サラは、サラのこときらいな人がきらい」

 仮装人形の少女――サラというらしい――は、ふと足を止めて寂しそうな表情を浮かべる。

 自分を嫌いな人間がこの世に存在することが信じられない、とでも言うのだろうか。あまりに明白な落ち込みようだ。

「そんな好きとか嫌いとか、くだらない感情の問題じゃないでしょ! なんでそれぐらいのことが分かんないかなあ!? あなたは兵器って自覚ないんですか!!

 外野の立場から操縦士の言葉を聞いていた文楽は、額のあたりに違和感を覚える。

 まるで皮膚の下に潜り込んだ寄生虫が、身をよじりながらうごめいているような感触がある。

 それはただ、ピクリと眉が動いてしまっただけだった。

「ああ、ちょっとそこの訓練生!! 命令です! そこの暴走兵器の抑制に、どうかご協力くださいっ!!

 廊下の向こうからこちらへ向かって駆け込んできたサラが、廊下の真ん中で突っ立っていた文楽の前で急停止する。

 サラは、戸惑った声で問いかける。

「あの……人間さん。そこ、どいてほしいんだけど、だめ?」

「ああ、だめだ」

「えっと……じゃあ、ぶっ飛ばしてもいい?」

「それもだめだ」

 サラは戸惑った表情で小首を傾げ、拳を固く握り締めている。

 だが、文楽はそんな彼女に有無を言わさず、突然小さな肩につかみかかる。

 文楽はサラを問答無用で自分の背後に押しやり、少女をかばうように手を広げながら言う。

「俺がここで時間を稼ぐ。そのすきに、ここの学長を探してみろ。闇雲に逃げ回るより、話の分かる人間を頼る方が良い」

「助けてくれるの!? なんで!? 学生ガクセーさんでしょ!?

 少女が指摘する通り、相手は正規の操縦士だ。

 対する文楽は、今はただの訓練生の身。

 訓練生は有事には出撃することもあり、その際は下士官相当の階級として扱われる。

 つまり軍規上、文楽は目の前にいる操縦士の命令に、決して逆らってはいけない。

「確かに向こうの方が偉い。だが、正しいわけではない」

「えっと、どういうこと?」

「人形は人類の協力者だ。兵器でもなければ兵士でもない。人形達が感情で人間を守るのなら、俺達は人形の感情を守る義理がある。それは義務でも規則でもない」

「うーん……ムズかしくてよくわかんないけど、お兄ちゃんが良い人なのはわかった!!

「どうしてそういう結論になったのか俺は分からん」

 少女は快活な笑顔でそう言い切ると、突然文楽の首に腕を伸ばし、ぶら下がるようにしてしがみつく。

 そして耳元に唇を近づけると、そっとささやくような声でサラは言った。

「――CRUSH ON YOUクラッシュオンユー

 熱い吐息が文楽の耳をでる。ぞっと背中に鳥肌が立ってしまう。

 その温かみの残滓ざんしが消え去らぬうちに、サラは廊下の向こうへ掛けだしていった。

「クラッシュ……たしか、壊すという意味だったか」

 この時代の学生たちは、英語という文化にとんと馴染みがない。米国含む英語圏の国々が、いまだ存在しているのか、滅びてしまったのか。判別する手段がないほどに、この世界の情報と通信は枯渇してしまっている。

 文楽は知識を総動員して考える。CRUSHが自分の記憶通り、壊すという意味で合っているとしたら、今のは『お前を壊す』といった宣戦布告か何かなのか。

「なぜだ、わからん……というか、どうしてこうなった」

 文楽が首を傾げるその一方、乗機に逃げられてしまったらしい操縦士が、悲鳴とも奇声ともつかない甲高い声で文楽に呼びかけた。

「ちょ、君、なんで邪魔してくれてるんですか!?

「自分はただ、彼女の意志を尊重しただけです」

「私、止めろって言いましたよね!? 命令とも言いましたよね!?

機甲人形アーマードールを不当に傷つけることは、重大な軍規違反です。あなたは直接の上官でもないし、詳細な説明もしていない。命令だと言われても従えない」

「ぐっ……!! なんたる正論! 正論過ぎてほんっとムカつくんですけど!!

 文楽の目の前に立つサラを追ってきた操縦士は、苛立たしそうに地団駄を踏んでいる。比喩などではなく、本当に、全力で廊下の床を蹴りまくっているのだ。

 ここまで自分の情動を露わにできる人間というのは、初めて。

「大体、追いかけ回せば逃げるに決まっている。どうして落ち着いて話をしない」

「君も、自分で話してみて分かったでしょう! 言葉は通じないし、機嫌を損ねれば暴れる! あれはもう、猛獣とかの類として扱うべきです!!

「俺には、あなたが彼女を猛獣にしたとしか見えない。彼女が人間を嫌って、人類そのものを敵視するようになれば、責任問題では済まない」

「そのときは、私が責任をもって処分するだけですよ」

 本気の言葉だと、同じ操縦士である文楽にはすぐさま察することができた。

 だからこそ、この状況が単なる仲違いの喧嘩けんかで済むものではないと理解が及んでしまっていた。

「覚悟があれば何をしてもいいと言うつもりか」

「裏切るような人形は、遅かれ早かれ人間を見限ります。悪いとわかっている芽なら、早めに摘み取ったほうが良いんですよ」

「――分かった。俺は、自分の感情を理解した」

 文楽は諦めの感情と共に、深く深く息を吐く。

 この、後方の訓練学校に来てから、毎日新しい発見をしてばかりだ。

 自分に食べ物の好き嫌いがあること。勉強が苦手なこと。機甲人形アーマードールの操縦が好きなこと。

 そして今も一つ、愛生文楽は自分が捨ててきた人間らしさの一欠片を、取り戻す。

「俺はあなたのような人間が、一人の人間として、嫌いだ」

 文楽は言うや否や、編み上げた網を解き、一瞬にして蜘蛛くもの巣のような結界を廊下の中に作りだす。

 今から行おうとしている行為は、完全なる敵対行為だ。上官への反抗として、訓練学校を追い出される羽目になってもおかしくはない。

 

――知ったことか。

 

 違和感を察知したのか、操縦士は懐に手を伸ばし、武器を取り出そうとする。

 だが、文楽の警戒心を具現化した糸の結界は、その敵意に対して瞬時に抗体反応を示した。

「ッ……何か企んでますね」

「遅い、もう仕掛け終わった」

 武器を抜く暇すら与えず、放射状に広がる透き通った幾条もの糸が、一瞬にして収束していく。

 学校の校舎の構造、どこに糸を掛けるポイントがあるか、どの程度の長さが最適か、普段の生活で知り尽くしている。

 糸の呪縛は瞬く間に相手の腕を絡め取り、無力化してしまう――はずだった。

「まっっったくもってしゃくに障りまくるんですけど……」

 放った糸の感触が、文楽の指先から忽然こつぜんと消え失せる。

 相手の腕を縛り付けるはずだった糸が、突如散り散りに引きちぎられ、糸くずへと変わって宙に溶けた。

「ただの学生に、なんでこんなナメられなきゃいけないんでしょうかね」

「なッ……!?

「あ、ビックリしました? 私もですよ、ほんっと驚きましたよ。ナイフでも抜くのかと思ったらまさかの糸! 狙いが腕じゃなくて首だったら死んでましたね。侮ってくれて感謝ですよ!」

「殺すつもりは毛頭ないが、侮っていたのは事実だ」

 文楽は寝ぼけたように虚ろだった目つきを、一瞬にして野生の獣が放つ鋭いそれへと移行させる。

 油断し侮っていた。感情的で不完全な兵士だと、相手のことを決めつけていた。経験値も、技術も相手の方が格段に上だ。

 常人には見切ることすら敵わない糸の奇襲を看破し、しかも一瞬で対応してみせた。懐から抜かれた手には、銃も、ナイフも、武器らしいものは何も握られてはいない。

 いや、違う。

 何も握っていないように、見せかけているだけだ。

 文楽は直感だけで、横合いに飛んで攻撃をかわす。何を投げつけられたかは見えていない。ただ、何かを放る気配だけを手の動きから読みとっただけだ。

 制服のズボンの裾が、ちりっと音を立てる。見れば、髪の毛のように細く鋭い、金属製の針が突き刺さっていた。

「この針が、そっちの得物えものか」

「お、すごい! 今のが見えてるんですか!」

 文楽はふと、戦場でも感じたことのない、ひやりと背筋の寒くなる感覚を抱く。当たるまで、相手の武器が何かも見破れていなかった。間違いなく、相手の方が一枚上手だ。

 言葉と共に、操縦士は指の間に挟んでいた針を文楽目がけて次々と投げつける。

 先ほどと同じく、どれも足下を狙ったものだ。裾を地面に縫い付けることで、動きを止めるつもりらしい。

 束ねた糸をむちのように振るって、放たれた針を迎撃する。

「ああもう、おとなしく当たってくださいよ!! 殺さないように動きを止めるのって、やったことないから難しいんですよ!?

「それはこっちの台詞だ」

 言葉を交わしながら、文楽は指先の感触から一本の糸が断たれたことに気づく。

 相手の動きを封じるため、足下にこっそり忍ばせておいた、奇襲の布石となるはずだった一本だ。地面に突き刺さった針によって千切られてしまっている。

 直径1ミリもない糸に、ただ投げて命中させただけでも、恐るべき技量だ。しかも、全くこちらに気取られることなく。

 ふざけた言動と大げさなリアクションに反して、あまりに戦法が精密で巧妙だ。

 自分の技量を覚られないために、わざとこういった性格を演じているのではないかと疑いたくなる。

「ああ……でも、本当に困った。この手の技って、奇襲じゃないと効果ないんですよねえ。君にもわかるでしょ? 針と糸、似たもの同士ですよね。裁縫とかできるし」

「ああ。今はお前の口を縫い合わせてやりたい」

 互いの得物の性質は、よく理解している。

 針も糸も、武器としてはあまり強力な部類ではない。殺傷能力も高くない。その最大の利点は、気取られにくさ、視認しにくさにある。

 つまり奇襲による戦法しか許されず、それが通じない相手には効果が薄い。

「とはいえ君は『サラが逃げる時間を稼ぐ』という目的は達成している。それも困ったことですけど、私にとって君は、あの暴走娘よりもよっぽど恐ろしい」

「そちらの買い被りすぎだ」

「いいや、違いますね」

 針使いの操縦士は、急に声量を低くして、真剣な声で話し始める。

「私はその技を知っているから、対応することができた。しかも、その技を使う人間を、決して軽んじてはならないということも承知しています」

「どういう意味だ?」

「君にその技を教えた人間が、どんな人間か、私は知っています。君がそれを知らないはず、ありませんよね?」

「…………答える義務はない」

 まさか、こんな遠くの北部の基地で、師匠を知る人間に出会うとは思ってもいなかった。文楽は微かな懐かしさを覚えながら、一人の女性の顔を思い浮かべる。

 文楽に糸を使った戦闘技術を教えた師は、戦場で彷徨さまよっていた孤児であった彼を助けた恩人でもあった。

 操縦士としても優秀だったと聞いているが、彼女の場合はむしろ対機械戦闘における特異な技術の方が有名だったのだろう。

「まあ、答える気ないなら別にいいんですけど……結局これ、私も本気でやらないといけないですよね」

「いや、俺にそこまでの技能はない。これ以上、あんたとやり合うつもりもない」

「でもそれって君の主観ですよね? そんな言い分信じる必要全くないですよね? こっちとしては、こんなヤバい技使う得体の知れない学生に仕事の邪魔されて、ほんとテンパってるんですけど!!

 奇妙な口ぶりに惑わされがちだが、この操縦士はかなり戦闘という行為になれている。

 文楽の技を正確に見抜き、その脅威を認識し、自分が不慮の事態に動揺しているという事実も受け止めた上で、それに応じた最適の行動を見つけ出している。

 感情を隠すことなくあえて表に出すことで、自己を見失わず制御している。自分とは、正反対の性質を持った兵士だ。

 文楽は戸惑いながらも、自分の得物である有機繊維の糸を指先に絡ませながら呟く。

「お前のような〝男〟が、どうしてこんな後方の基地に来たのかは知らないが――」

「ちょ、ちょーっと待った! 今の台詞、もう一回言ってもらえます?」

「だから、どうして、お前のような男が……」

「はい、ストーップ!!

 その操縦士の男――と文楽が思い込んでいた人物は、陰気な雰囲気のある前髪を思いっきりかき上げると、情緒不安定な甲高い声で叫んだ。

「私、生物学上、女なんですけどっ!!

「なっ……なんだと!?

 長い前髪に隠された陰気そうな目つきの瞳。パイロットスーツに包まれた、虫のように細長い手足。金属のきしむような甲高い声。

 てっきり不気味な風体の〝男〟とばかり思い込んでいた相手に、文楽は申し訳なさそうに言葉をかける。

「そ、そうか。そればかりは見抜けなかった……俺はどうも鈍いらしい」

「ちょっと待ってください! こっちの得物も戦法も完璧に看破しておいて、私の性別だけ分からなかったって、めっちゃ屈辱的なんですけど!!

「そればかりは本当に申し訳ない。ここまで身体に女性的特徴が見当たらない女性というものを、俺は今初めて目にした」

「なんで理路整然と人のことあおってくるんですか貴方は!? 私の見た目に女性らしさがない? 知ってますよそんなこと! 人は自覚のある欠点を指摘されるのが一番腹立つってあなた知らないんですか!? 私、今めっちゃキレてますから!!

 言うや否や、操縦士の〝女〟は薙ぎ払うように右手を振るう。

 それと同時に、無数の針が手から放たれた。

 一体、何本の針を投じたのか、見抜くことができない。

 しかも、感情的に放っただけに見えた針は、全てが一つ残らず文楽の張った糸の結界に命中し、蜘蛛の巣を瞬く間に散らしてしまった。

「本当に滅茶苦茶な……一体、何者だ」

「それはこっちの台詞ですってば!! あなた、一体、何者ですか!?

 お互い自分の武器を構えながら、二人は膠着こうちゃく状態を守ったまま見つめ合い続ける。

 どちらが先に、次の一手を投じるのか。

 終わりの見えない静寂を打ち破ったのは、一つの無邪気な少女の声だった。

「父さま、あの人! あのお兄ちゃんが助けてくれたの!」

 廊下の向こうへ走り去っていったはずのサラが、一人の男を連れて舞い戻ってきたのだ。

 彼女が手を引いているのは、訓練学校の学長、戸賀是人であった。

「お兄ちゃんは良い人だから、怒らないであげてね!!

「わかったわかった。サラ、少し待ってくれ」

 是人学長は、半ば引きずられるような状態で、サラに手を引かれながら走っている。

 見た目は成年のように若いが、彼は既に五十代も半ばだ。肉体的な衰えに勝てないらしく、足をもつれさせながら肩で息をしている。

「ハァ、ハァ……ああ、くたびれた。とりあえず君たち、一度武器を下ろしなさい」

 文楽が手を下ろすよりもはるかに早く、針使いの女は手元の武器を懐にしまい込み、学長の所へ駆け寄ってすがり付くような声を上げた。

「ちょ、学長ぉおお! 何なんですかこの失礼過ぎる学生は! あなたからも注意してやってください! ほんと困るんですよ、こういうの!!

「……いや、遠路はるばる来てもらったところ済まないが、退いてもらうのは君の方だ」

「ええっ! 私、まだ仕事も始まってない内からクビ!?

「君はどうも、サラに嫌われてしまっているらしい。少なくともその時点で、試験操縦士テストパイロットの役目を果たすのは難しいだろう」

「そう言ったって、じゃあ誰があの猛獣の世話するっていうんですか!?

「そこにいる彼だよ。君も知っているだろう、彼が愛生文楽だ」

「えっ、文楽って……あの〈リヴァイアサン〉を止めた学生って、この子なんですかぁ!? なるほど、どうりで態度が大きいと思った!!

「そっちこそ、一々反応が大げさだ」

 文楽は若干うんざりした表情で反論する。

 ここまで面倒だと思う人間に出会ったのは久しぶりだ。繊細な針を武器として使う人間とはとても思えない。

「なるほど……あの猛獣に手をまれるのは私だけで充分と思っていましたが、君なら食い千切られる心配はなさそうですね!」

 針使いの女は、顔に心から満足そうな笑みを浮かべると、文楽の肩をポンポンと叩く。

「さようなら、得体の知れない訓練生! 戦場でまた会う日まで! もっとも、その猛獣に噛み殺されなければの話ですが」

 考え方があまりに異なるというだけで、実はそんなに悪い人間ではなかったのだろうか。

 文楽がそう思ったときには、針使いの女はその場を歩き去ってしまった後だった。

「それで……ゼペット博士。この騒ぎは、一体どういうことなんですか」

 戸賀是人――またの名を、人形知能デーモンを生み出し世界を救った科学者、ゼペット博士。

 文楽は生徒と学長という立場ではなく、一人の英雄という立場でゼペットへと向き直る。

「先ほどこの人形知能デーモンは、あなたのことを『父さま』と呼んでいた」

 ともすれば聞き逃しかねなかったその一言を、文楽は逃すことなく捉えていた。

 人形知能デーモンの創始者であるペットが造り出した、人形たちは、《七つの大罪セブン・フォール》の異名を持つ。

「君も、うわさぐらいは聞いたことがあるだろう。この娘の名はサラ――第六の大罪〈アスモデウス〉の人形知能デーモンだ」

「こいつが、あの〝人喰人形ひとくい〟か……!?

 全ての事情を理解した文楽は、感嘆の混じる声で呟いた。

 文楽が戦場に居た頃、一つの怪談めいた噂話を耳にしたことがある。

 「乗った操縦士を次々に殺してしまう」という、呪われた人形の話だ。

 殺してしまうというのは、やや尾鰭おひれのついた誇張だが、実際にその人形は六人もの操縦士を再起不能に陥らせてしまったという。その中には、命を落とした者も居る。

 今では誰一人として、彼女に乗りたがる操縦士は居なくなってしまい、前線からは姿を消してしまったと聞いている。

 いつしかその名は、畏敬の念からではなく、純粋な畏怖の対照として人々の口にのぼるようになった。

「うん! サラは〈アスモデウス〉の人形知能デーモンだよ!!

 人喰いと恐れられる機甲人形アーマードール、〝色欲〟の〈アスモデウス〉。

 その人格たる人形知能デーモンの少女は、恐ろしいほどに屈託のない笑顔を、文楽に向けるのだった。

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