第二章 阿修羅姫(1)

 ここは国防軍郡河基地の敷地内に併設された訓練学校の教員室。

「君達。自分がどうして呼び出されたのか、見当はついていますね」

 突然の呼び出しを受けて教諭の前に並ばされた三人の訓練生と、一人の仮装人形アバターの少女はそろって首をかしげていた。

「おい、文楽ぶんらく。お前、今度は何やらかしたんだ?」

「心当たりはない。雅能まさの、そもそもどうして俺の仕業だと決めつける」

「そんなの、消去法に決まってるだろ」

 目の前の教諭を差し置いて二人の訓練生はお互いの顔を見ながら言葉を交わしている。

 一人はおかっぱ頭に少女のような幼い顔立ち。小柄な体に少しだぶつく制服を身にまとった訓練生、剣菱雅能けんびしまさの

 そしてもう一人、野生動物のような無造作に伸ばした髪、金属で出来たように変化のない仏頂面の訓練生――愛生文楽あおいぶんらく

 雅能はじっと文楽をにらみ付けているが、背の低さと可愛らしい見た目のせいでいまいち迫力がない。

「オレと桂城、そしてお前。何かやらかすんだったら絶対にお前だ」

「なんだと、失敬な。今週はまだ備品を壊していないし、め事も起こしていない。先週受けた三つの追試だってちゃんと合格点だった。とがめられるようなことは何もしていない。潔白と言って良いはずだ」

「おお、すごいじゃん! お前もやっと普通になってきたじゃないか!」

「当然だ。俺だってやろうと思えばそれぐらいはできる」

 「ふん」と自慢げに胸を張る文楽に、雅能は満面の笑みで称賛を送っている。

 学年一の劣等生と優等生。互い違いの二人だが、何故だか妙に凹凸がみ合っていた。

 一方。二人の隣に並ぶ女子生徒、呼び出しを受けたもう一人の訓練生である桂城留理絵けいじょうるりえが、たまりかねた様子でずれた会話に割って入る。

「ちょっと二人とも、いちゃつくなら後にしてくれない?」

 座学は雅能に一歩及ばないが、身体能力や操縦士の適性など、総合的な評価で彼女は群を抜いている。おまけに品方向性とあって、教師達からの信頼と人望も厚い。人知れぬ欠点を、幾つか抱えてはいるが。

「まったく、時と場合を考えてほしいわね」

「それは私の台詞です、留理絵さん!」

「なんのこと、フェレスちゃん?」

「とぼけないでください! さっきから私のスカートの裾を引っ張ってることです!!

「あ、ごめんね。良い位置にあったから、つい出来心で」

「『つい』でスカートの中をのぞかないでください!!

 異国情緒あふれる白黒の給仕服に、両側頭部から覗くくるりと逆巻いた羊のような角。

 仮装人形アバターの少女、フェレスに震えた声で訴えかけられて、留理絵は慌ててスカートから手を放す。巧妙に教官からは見えない角度で怪しげに手を動かしていたらしい。やり口が完全にセクハラ上司のそれである。

「ゴホン……それで教官、私達三人が呼ばれたということは、先週提出した兵站学へいたんがくの講義の提出課題についてですか?」

 せき払い一つしてすぐさま優等生らしい笑顔を顔に貼り付け直した留理絵は教官へと問いかける。こめかみにしわを寄せた陰険な教官は、渋い顔つきでうなずいた。

「その通りです。これがどういうことか、説明してもらえますね?」

「課題の内容は『兵站輸送の問題点とその改善案』を考えてまとめるということでしたので、私達三人で意見を出し合って一つの案としてまとめました。全員が同じ内容というわけではないので、別にずるして楽しようとしたわけではないです」

 三人は兵站学の課題を互いにアイデアを出し合い、手分けして制作したのだ。

 兵站とは平たく言えば、前線の兵士たちの元に届く食料や弾薬といった物資全般のことを指している。電気配線を疎かにした機械が機能を果たせないように、兵站を疎かにする軍というのは必滅の運命を辿たどる。直接戦闘に関係ない分野であるとはいえ、軍事に携わる人間ならば必ず抑えておくべき重要な概念の一つだ。

 留理絵に続いて、文楽が一歩前に出て言葉をつなぐ。

「食料輸送の維持は兵達の士気に大きく関わるだけでなく、後方の食糧事情をも圧迫しかねない問題です。なので新たな食料輸送の形態について考えました」

「だからといって、この荒唐無稽な案はなんです。食料の代わりに塩と香辛料を送れですって?」

「その通りです。海の沿岸であれば、塩は精錬すればいいので必要ありませんが」

 鋭い目つきで教官に睨まれながらも、文楽は平然と答える。

「戦前の人類が放棄した田畑の作物などを調達することで、ある程度はまかなえます。野生動物を狩猟する手もあるでしょう。生育期間の早い植物を持ち込んで、駐屯地で耕作を行う手もある」

「馬鹿げている! 現地調達に頼った兵站計画がいかに愚策であるか、私は散々講義の中で教えてきたはずですよ!! 近代戦争の歴史を紐解ひもとけば1ページ目に書いてありますよ!!

 文楽はきょとんとした表情で目を丸くする。まるで何を言われているのか理解できないといった表情だ。

 待てど暮らせど届くことのない補給物資。飢えて倒れていく兵士達。血走った目で地をいずる虫を捕まえ、食料とすることで生き長らえてきた日々。

 いくら愚策だと言われたとしても、それが戦場の現実だ。

 そんな文楽の気持ちを代弁するように、雅能が毅然きぜんとした表情で助け船に入る。

「ですが、対ゲーティア戦は人類史のいかなる戦場とも異なる原則によって成り立っています。実際、進軍しながら現地で食料調達を行う行軍方法は、騎馬戦闘が主体であった時代では度々見られました」

「では君は、化石のように古くなった戦術論の方が、現代の人間が記した戦術論よりも役立つと、そう言いたいのですか?」

「どちらも〝古い〟という点では同じです。電波通信を封じられている以上、それを前提とした古代の戦術でも役に立つ部分はあります」

 自分が教えてきた講義の内容を、よりにもよって最も成績が良い雅能の口からばっさりと切り捨てられてしまって、教官はさすがに狼狽ろうばいした表情を浮かべている。

 正しいことを言ってはいるが、相手の心理や内情というものを全く意に介していない。雅能には生来、こういった部分が言動の中にあった。

「そもそも機甲人形アーマードールが戦局を大きく左右する現状、陸上部隊を過剰に前線へ送り込む意味は薄いと思います。その一部を食料調達や耕作といったバックアップへ回した方が、士気の維持に大きく貢献できるはずです。自分は具体的な人員配分、運用計画などについて計画案をまとめました」

 雅能の言葉に続いて、留理絵が自分の書いた分のまとめを指し示して言う。

「私は現状の輸送コストと、この案を採用した際のコストについて考証と比較をしてみました。初期投資がかかることにちょっと目をつむれば、長期的には得になる計算です」

 留理絵は可愛らしくウィンクをして、『目をつむれば』の部分を強調する。

 最後に文楽が、気恥ずかしそうに頬をきながら小さな声で言った。

「そして自分は、調達できる食料や、栽培できる植物の種目。また、それらの材料からどんな料理が作れるかをまとめました」

「君たち、そんな話をしているわけではない! そもそも、こんな荒唐無稽な案をどうして考えてきたのかと聞いているんです!!

「うーん。荒唐無稽ですかねえ、これ」

 と。

 青筋を立てて怒る教師の言葉を、暢気のんきな男の声が遮った。

「青田教官!?

「いやあこれ、よくできてるというか、むしろ前線では実際こんなもんでしたよ」

 教師の後ろに立っていたのは、熊のようにずんぐりとした大柄な体型の男、文楽達の担任を担う青田教官だった。

 彼は戦場で負った怪我により前線を退いているが、元々は地上部隊の一人だ。今は、郡河訓練学校の教官として、訓練生たちに戦場のイロハを教えている。

「あの頃はよく、仲間同士で言い合ってたもんです。『食料を送る気がないならせめて塩と胡椒こしょうだけでも持たせてくれ』って」

「青田教官。あなたまでそんな……」

 軍事学の教師はたちまち弱気な声になって、「これ以上の口出しはやめてくれ」と目で訴えかけるしかできなくなっている。

 戦場で豊富な経験を持っている彼に「いい案だ」などと言われてしまっては、戦場に出たことのない教師はさすがに黙らざるを得ない。

 青田教官は呼び出された三人の顔ぶれをしげしげと見回すと、わざと嫌味っぽい雰囲気をにじませて問いかけた。

「それより桂城、剣菱。お前らまさか、成績の悪い愛生を助ける為に、共同作成ってことにしてこいつを混ぜてやったんじゃないのか? 俺はそっちの方に問題を感じるんだがな」

「それは違います、教官!」

 担任教官の意地の悪い質問に間髪入れず答えたのは、問いかけられた文楽ではなく隣で話を聞いていた雅能の方だった。

「そもそもこの現地調達案を言い出したのは文楽です。オレと桂城は、文楽の案に賛成して協力したんです。こいつは世間知らずで常識も無くて突拍子の無い行動が多いですけど、決してズルはしてません」

「そうです、まさのんの言う通りです! 文楽君はちょっと足りてないだけです!」

「…………もしかしてこれは、馬鹿にされているのではないか?」

「落ち込んではだめです、文楽さん! 足りなければ補えばいいんです!」

「足りないことを肯定するな。いや、そもそも俺に何が足りていない」

 フォローになっていないフォローを受けて、さしもの文楽も苦い顔つきになってしまう。

 一方、諦めの表情を浮かべた戦術学の教師は、投げやりな口調で三人に告げた。

「あなた方三人の意図はよくわかりました。レポートは現状のもので受理させていただくことにします。もう戻って構いませんよ」

 解散を命じられた三人は、顔を見合わせて職員室から出て行く。

 歩きながら、雅能は悩ましげにつぶやきを漏らした。

「うーん……やっぱりもっと新しいデータを参照してレポートを書くべきだったな。半年前の古いデータしか手に入らなかったから、仕方なくその数値を参考にして計算をしたんだよ。でも、そのせいで信憑性しんぴょうせいが薄かったのかも」

「まさのん。真面目なのはいいけど、多分それ注意されたことと全く関係ないわよ」

「え、そうなのか?」

 留理絵の冷静なツッコミに、雅能は心底驚いたという表情を浮かべる。

「じゃあ、どこが駄目だったんだろう。実証性の薄い場所は他にあったかな……」

「なんていうかアレよね。文楽くんに比べれば可愛いもんだけど、まさのんも結構こじらせてるわよね」

「なっ、なんだよ! 〝こじらせてる〟ってどういう意味だよ!?

「おほほほ。答える義務はありませんことよー」

 留理絵は適当な言葉で雅能をあしらい、廊下を早足で逃げ去る。

 雅能の方も、むきになってそんな彼女の背中を慌てて追いかけていってしまう。

「なあ、フェレス。あの二人はどうして、あんなに仲が悪いんだろうか」

「そうですか? 私には、仲がよろしいようにお見受けします」

「……お前がそう言うなら、そうなんだろう。俺にも理解できればいいんだが」

 文楽は喉に引っかかりを覚えながらも、フェレスの言葉を素直に飲み込むことにした。

 以前までの自分なら、「理解できない」と苛立った言葉で返すことしかできなかっただろう。

「焦らなくても大丈夫ですよ、文楽さん。少しずつでも、慣れていけばいいんです」

「まずは慣れろ、か……お前に言っていたことを、こちらが言い返されることになるとはな」

「ご、ごめんなさい! 偉そうなことを言ってしまって!!

「いや、そうは思わない。俺には、お前から学ぶべきことが多い」

 郡河基地に併設された操縦士の訓練学校に通う少年、愛生文楽。

 彼は、ただの学生ではない――実際の戦場を経験し、乗機を撃墜されながらも生き延び、そして今ここに居る。

「おい、愛生。ちょっと時間あるか?」

「……何の用ですか、青田教官」

 言葉を交わす文楽たちの背後から、不意に太く重い男の声が掛けられる。

 振り返った先にいた男、文楽たちを擁護してくれた、担任の教官である青田だった。

「さっきのレポート、俺も見させてもらったんだが、ちょっと気になることがあってな」

 青田教官は、不敵な笑みを滲ませながら、そんな一言を切り出す。

 彼は、自分と同じ、戦場の空気を知っている元兵士の一人だ――だからこそ、拭えない不安が冷や汗となって文楽の背中をでていた。

§

 青田教官に連れられて、職員室の向かいにある面談室の椅子に、文楽は腰を下ろす。

 一緒についてきたフェレスも、立った姿勢のまま、付き従うように彼の隣に並ぶ。

 二人の正面に座った大柄な体格の教官は、机の上に数枚のレポート用紙を広げると、文楽に向かって探るように問いかける。

「このレポート、いつも唐変木とうへんぼくなことばかり言うお前にしては、中々よくできてる」

「ありがとうございます……それで、気になることとは、一体何ですか」

「いや、このバラエティ豊富なレシピの数々に驚いてな」

 軍は進軍しながら補給線を延ばすのでは無く、自力で食物を調達できるようにするべき。

 文楽が提出した、そんな机上の空論じみたレポートには、「どう料理するべきか」といった具体案までもが詳細に書き記されている。

「お前が料理が得意だとは知らなかったぞ。しかも、作物の育て方まで」

「いえ、その……発案したのは確かに自分ですが、レシピや栽培方法を考えたのは、俺じゃありません。ほとんどフェレスが代わりに考えてくれたものです」

「ぶ、文楽さん、どうして言っちゃったんですか!?

 隣で満足げに言葉を聞いていたフェレスが、ぎょっとした表情で叫びを漏らす。

「自分でやったことにしてくださいとあれほど言ったじゃないですか!!

「なんというか、その……俺はやはり、お前と違って、人をだますというのが苦手みたいだ」

「ひどいです! 私が人を騙して平気な顔をしている人形みたいな言い方!?

「いや、お前の数少ない長所の一つだ。これからも頼りにしている」

「え。えっと、そう言われると悪い気はしませんけど……えへへ」

 平気な顔をしているかどうかはさておき、彼女は今も明確にうそを吐いている。

 人形知能デーモンとは本来、量子頭脳の中に生み出される機械仕掛けの自我だ。

 フェレスは――〈メフィストフェレス〉の人形知能デーモンである彼女は、量子頭脳の中に生み出さた仮想の人格ではない。

 今でこそ人形のふりをしているが、真実の彼女は普通の人間なのだ。補助頭脳となる量子頭脳と、仮装人形であると見せかけるための角。様々な処理を施すことで、自分が人形であるかのように見せかけながら生活しているのだ。

「自分に出来ないことは大人しく認め、人の手にゆだねちまう。愛生の考え方は、至極真っ当だと思うぞ。衛生兵が突撃銃持って敵に突っ込まないのも、俺が向いてもいない銃後の仕事に就かないのも、役割分担って意味では一緒だ」

「……自分は、今回の課題を考える上で『地上部隊は戦場に出ず、食糧確保といった支援に回るべきだ』という結論に到達し、その前提でレポートを書きました」

「ああ、そうみたいだな。ちゃんと目を通させてもらった」

 ただでさえ低い青田教官は、ぐっと声を低くさせると、圧の高い声で続ける。

「『地上部隊は役立たずだから、戦闘は操縦士に任せて引っ込んでいろ』と、そういう主張になっちまってるよなあ」

「はい。相違ありません」

 青田は、元々地上部隊――つまり生身で武器を携え、硬い装甲を持つ機械の兵士たちを相手に戦ってきた歩兵の一人だ。

 だが、戦場で重傷を負ってしまい、今は退役して訓練学校で教官の任に就いている。

 そして、傷を負った彼が生き延びられたのは、一人の操縦士が包囲された彼らに退路を与えたからだ。

 その操縦士は、《蛇遣いアスクレピオス》という二つ名で呼ばれる謎の多い兵士だ。名も正体も知られぬまま、命を落とし英霊となった――と世間では信じられている。

機甲人形アーマードールに助けられて生き延びた俺が、とやかく言うべき話じゃないとは思うが、これは何というか、あまりにキツイ

 青田は言葉にどこか寂しげなものを滲ませて続ける。

「さっきの教授先生じゃないが、このレポートの内容を正規の軍人が見たら、怒り狂うか泡吹いて卒倒するかのどっちかだ」

「教官は落ち着いているように見えますが」

「俺は〝元〟だからな。もし現役だったら『ふざけんな!』って叫んで殴りかかっててもおかしくない。『戦場の主役は歩兵だ』って考えは、世界がこんなになっても未だに風化してないからな」

 現在今まさに戦場で戦っている兵士たちからしてみれば、訓練生の若造に「役立たず」と罵られたようなものだ。

「ただでさえ地上部隊と操縦士は仲が悪いんだ。基地には、陸上部隊の予科も現役も大勢居る。滅多なことは言わない方が身のためだ……と、お前には言うだけ無駄だろうがな」

 痛々しいほどの沈黙が続く中、文楽は至って冷静な表情のまま簡潔に応えた。

「ですが自分は、地上部隊だけがそうだとは思っていません」

「なんだと?」

「操縦士も結局は、〝機甲人形アーマードールが万全に戦えるようにするため〟に存在する部品の一つです。機械に比べて壊れやすい分、消耗品と言ってもいい」

 文楽の言葉は全くの事実だ。

 万能兵器とも言える機甲人形アーマードールが生み出されてから、人類側の損失は格段に減った。

 だが、戦場で全く死者が出なくなった、というわけではない。

 機体の方は無事なのに、操縦席をピンポイントで打ち抜かれて戦死する者。高すぎる機体性能に振り回されて命を落とす者。無防備な非搭乗時に対人兵器の餌食になる者。

 人は、些細ささいな切っ掛けで簡単に壊れてしまう。その脆弱ぜいじゃくさは、万能の兵器である機甲人形アーマードールが唯一持たされた弱点だと言い換えても良い。

「機械に対して、機械である機甲人形アーマードールだけが戦うような状況。教官の言う役割分担を更に進めるなら、それが人類にとって最善ではないでしょうか」

「いやいや、待て待て待て……昔の人間が、そうやって機械だけに戦争をやらせるようになったから、機械に裏切られたとき人類は滅ぶ手前まで行ったんだ」

 文楽の隣で、従順そうな顔つきを浮かべて立ち尽くすフェレスに、青田はちらりと目をくばせてから潜むような声で言う。

「……人間が人形知能デーモンに見切りを付けられるような日が来たら、どうするつもりだ?」

どうにもなりません機甲人形アーマードールが敵になれば、人類は間違いなく滅びます。だから彼女達に見切りを付けられないよう、人間は最善の隣人であるよう努めるべきです」

 実際、「人類なんていつでも滅ぼせる」と豪語し、人間が自分に乗ることを許さないという、破天荒な性格を持った機甲人形アーマードールも実在している。

 しかも、世界で初めて生まれた、最強とうたわれる人形が〝そんなもの〟なのだ。

 人類はその危険性に気づいていないのではない。

 気づかないふりをしているだけに過ぎない。

「少なくとも、食物を必要としない機甲人形アーマードールに、いつまでも人間の食料を運ぶ手伝いをさせるのは良くない状況でしょう。そんなことで精神疲労ストレスを貯めさせたくはない」

「……つまりお前はアレか? 人形の機嫌を取るためにこの食料調達方法を考えたのか!?

「その通りです。人間の機嫌より優先すべき問題です」

「お、お前という奴は、本当にわからんな……」

 さらりと言い切る文楽の隣で、フェレスが申し訳なさそうに一言付け加える。

「あ、あのっ! 確かに私達は食べ物が無くても戦えますけど、美味しいものを食べられる方が、もっとやる気は上がると思います!!

「なるほど、お前のモチベーション維持は安上がりで助かるな。他には無いのか?」

「これは、私だけかも知れませんけど……操縦士の方から褒めてもらえるのが、一番うれしくて、頑張ろうって気持ちになれます!」

「そうか。だからといって俺は、評価の安売りをする気は無いがな」

「そうですね。文楽さんが褒めてくれるのは、本当に心から思っているときだけです。だから私にとって、とても大事なかてになります」

「……せ。余計にめづらくなる」

 気恥ずかしそうに返す文楽に、フェレスは一切の手加減なく純真な笑みを向ける。

 あっという間に桃色で満たされてしまった部屋の空気に耐えかねたのか、青田教官がすっかり毒気を抜かれてしまった様子で咳払いする。

「なるほど、よく分かった。お前はどこか訓練生らしくないと思っていたが、やっとその理由が分かった」

「どういう意味ですか?」

「お前から漂ってくるのは、青臭い訓練生のものじゃない……一線級の操縦士が持ってる、乾いた砂みたいな匂いだ。なんていうか、枯れてるんだよ」

 未来の操縦士である訓練生たちは、言わば一人一人が人類の守り手となるべき優秀な者達だ。入学するための試験や、満たすべき条件は他の兵科と比べものにならない。

 だから訓練生の誰もが、エリートとしての自意識やプライドを持っている。自分は選ばれた人間なのだと錯覚してしまう。

 そんな自尊心は、戦場に出れば粉々に打ち砕かれ、戦場の泥濘でいねい砂埃すなぼこりに塗れてしまうものだが、文楽の考えはそういった過程を全て飛ばして成り立っている。

「お前みたいな考えの持ち主に会ったのは、別に初めてってわけじゃない。〈ベルゼブル〉の操縦士に会ったことがあるが、そいつも似たようなことを言っていた」

「〝暴食〟の〈ベルゼブル〉――《七つの大罪セブン・フォール》の四番目フォースですか」

 《七つの大罪セブン・フォール》とは、造形師ゼペットが生み出した七体の人形知能デーモンのことを指してそう呼ばれる。ゼペットは人形知能デーモンというシステムそのものを考案した科学者であり、彼の生み出す人形達もまた、一筋縄ではいかない個性的な自我を各々持たされている。

 人形にとって確立された自我とは、人工知能を汚染する現象【ゲーティア】に対抗するための、唯一の防壁であり、その存在が機体と操縦士――ひいては人類を守護している。

 《蛇遣いアスクレピオス》もまた、そんな七体のうちの一体を委ねられていた、操縦士の一人だ。

 海蛇の悪魔の名を取った機甲人形アーマードール、〝嫉妬〟の〈リヴァイアサン〉に乗っていたことから、彼はその二つ名で呼ばれるようになったのだ。

「お前は一体、どこでそんな匂いを染みつけてきたんだ? 俺はお前の担任だっていうのに、学長から何も聞かされてない」

 文楽が本来の素性と正体を隠し、訓練生をやっているのはそれなりの理由がある。

 訓練学校を卒業して、正規の軍人として軍に入り直す――それが、戦場に戻る最短で最善の方法だったからだ。

 知っている人間は、訓練学校の学長と、隣に立つフェレス。そして、信頼できる友人と認めて自ら明かした桂城留理絵ぐらいのものだ。

「なあ、愛生文楽。お前は、どこから来た何者なんだ?」

「俺が、どこから来た何者か――」

 そんなモノ、分かるのならば自分が知りたい。

 与えられた名前も、歩んできた場所も、数知れず存在する。だが、どれが最初の名前で、どれが最初の場所だったのか、自分ですら知る由もない。

 上手い言い逃れを考えるどころか、問いかけの意味を深いところに投げ入れてしまって、深い思考の沼に足を取られてしまっている。

「おい、どうした愛生? 顔色が悪いぞ」

「あの、実は文楽さんは、幼少の頃の記憶をなくされているんです」

 心配そうに問いかけた青田教官に対し、きっぱりと言葉を返したのは隣に立つフェレスだった。

「戦場で軍の方に助けられて、孤児院で過ごされたとお聞きしています。きっと、教官さんの仰っている戦場の知識は、幼心に学ばれていたんではないでしょうか」

「……なるほど。両親が居ないとは聞いていたが、そういう事情だったか。悪かった愛生、今後はお前にこの話題はやめておくことにする」

「いえ、構いません。ですが、今の説明で信じていただけたんですか」

「当たり前だろう。【誠実の鼻】のせいで、人形が嘘をつけないのはお前も知っているだろうが。疑ってどうする」

「……ええ、そうでした」

 フェレスの見事なフォローで疑いを免れた文楽は、どこか睨むような目つきで〝虚飾〟の二つ名を持つ人形を睨み付ける。悪魔のような逆巻き角をはやした人形の少女は、自分の数少ない長所を誇るように誇らしく笑い、小さく舌を覗かせた。

 一般的に人形は、【誠実の鼻】と呼ばれる倫理規則によって、嘘をつくことを人格造型の段階で制限されている。人類の命令に従わないことは許されてもなお、嘘はそれより重く許されざる罪なのだ。

 だが、〝虚飾〟の名を持つ特殊な人形――フェレスは、唯一嘘をつくことを許されている。それを良いことに、彼女は事あるごとに人間をたばかるのだ。

 すっかり悪魔デーモンが板についてきたな、と文楽は心の片隅で思う。

「それで教官。用件は以上でしょうか」

「ああ。全く、教官ってのは大変だ。桂城も剣菱も手が掛からない良い生徒だったのに、お前が来てからというもの言動が日に日におかしくなってやがる」

「先ほど向き不向きという話をしていましたが……青田教官は、今の教官という役割を、受け入れているんですか?」

 文楽自身、後方という環境で全く違う役割を演ずる自分を、始めは受け入れられないまま日々を過ごしてきた。

 だからこそ、同じように戦場を退いた彼が、どうやって自分の状況に折り合いをつけてきたのか、先達の言葉が気になってしまう。

「俺は……あの日《蛇遣いアスクレピオス》が助けてくれたおかげで、生き延びることができた。だから死んじまったあの人の代わりに、何か人類のために出来ることがしたい。後続となる操縦士を育てるって仕事は、そういう意味じゃ願ったりかなったりだな」

「もし怪我をしなければ……例えば、《蛇遣いアスクレピオス》がもっと早く教官を助けていたなら、今も戦いを続けていたんじゃないですか?」

「多分そうしてただろうし、きっとお前の言うように大した戦果も上げられず無駄死にしていただろう。あの頃はそれしかないと思ってたが、こういう道が見つかったのは悪くなかった」

「……そうですか。それは、良かったです。本当に」

 文楽は、心の底からほっとため息を吐く。

 郡河基地に転校してきた季節外れの訓練生、愛生文楽――そのかつての名を、人類の英雄と呼ばれた伝説の操縦士《蛇遣いアスクレピオス》。

 世間では死せる英雄と言われているはずの彼は、こうして愛生文楽という新たな名と、フェレスという新たな愛機を手に入れ、新たな生きる道を選んだ。

 死せる英雄は、今ここで、確かに生きている。

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