第一章 あたしがアリスだった頃

 世界はすべて舞台、人はみな役者。
 

As You Like It』――ウィリアム=シェイクスピア


 自動人形アンドロイドの素体や部品を扱う商店がずらりと並ぶその通りは、外界から〝人形街にんぎょうがい〟というあだ名で呼ばれ、そしてうとまれている。

「いやはや、驚いたものだ。世間をにぎわす天才造形師が、まさかこんなところに事務所を構えていたとは」

 仕立ての良いスーツに身を包んだ老紳士は、窓越しに広がる街並みを怪訝けげんな表情で見下ろす。

 異国の民族衣装を着て客引きをする自動人形アンドロイド、最新の装着型電子機器ウェアラブルデバイスを全身にまとい機械人間サイボーグのような姿をした買い物客、異星語のように耳慣れない身内言葉スラングで話し合う怪しげな一団。

 街を行き交う人々はどれも、外界では見かけることのない人種ばかりで、異国のような混沌こんとんとした風景を作りだしている。

 立ち並ぶ古ぼけたビルの数々にはどれも、怪しげな店がよどんだ気配と共に押し込められていた。まるで人々のただれた欲望が空気そのものに溶け込んでいるようだ。

 そんな街の一角に店を構える造形師の青年は、自分を尋ねてきた男に穏やかな態度で応えた。

「ここでなら人形を作るのに必要な部品は全てそろえることができますからね。それに個人的にも、この街の空気が性に合っているので」

 人形街に存在する店が扱う商品は、自動人形の頭脳となる電子部品から、手や足といった肉体的なものまで様々だ。〝自動人形用の眼球〟だけに商品を絞っているような怪しげな店舗も存在する。

 仮想現実VRを使った商品確認が一般的となった現在も、実際に自分の目で確かめたいからと毎日遠くから部品を買いに来る客たちで賑わっている。扱うものは最新機器でありながら、昔ながらの実店舗が主流という新旧入り交じった独特の文化も、この街を外界と隔絶している要素の一つだ。

 街自体が発する薄暗い雰囲気のせいか、真っ当な人間が訪れることはあまりない。

 家庭用の自動機械――通称【家事使用人形ハウスキーパー】は、家具の一つとして大型家電量販店で扱われるのが一般的となった時代だ。

 バケツをひっくり返したような簡素な見た目のものから、犬猫のような愛玩動物の形をしたものまで。【家事使用人形ハウスキーパー】には様々な見た目が存在するが、中でも一際ひときわ人気を博しているのは人型の自動人形アンドロイドだ。もちろん他の型と比べて値段が一段と張るため、高級家具とされている。

 世間で流通する自動人形の多くは人型として出来上がった既製品ばかりだが、好事家たちは色形大きさを一つ一つ選び抜き理想の人形を組み上げることを至上としている。

 そうした物好き達が、己の欲望を満たすために集う混沌の坩堝るつぼ。それが人形街と呼ばれるソドムの街だった。

「しかし君は、あくまで造形師だろう。精神ソフトの設計者である君が、肉体ハードの造形も自分で行うというのは不自然ではないかね?」

「ソフトとハードが別々に作られるという考え方自体、私はあまり納得がいかないのです。今や人形にとって、二つは一対一の関係で結ばれるべきものですから。トータルコーディネートが私の工房の主義なんですよ」

 街の放つ独特の瘴気しょうきに当てられてしまったのだろう。スーツ姿の男は窓の外から視線を外すと、露骨に顔をしかめながら若者へ問いかける。

 造形師とは、人工知能の人格を造形する電子職人だ。

 人工知能とはいえ、一人の生きた人格を作り上げるためには、価値観や考え、理念、判断基準、生活規範――あらゆる要素を変数として決定し、調整しなくてはならない。無数に存在するあらゆる数値が複雑に影響し合うため、一つ数字を書き換えるだけでも全く異なる人格となってしまう。

 しかも、ただデタラメに変数を決定しただけでは、正気を持たせることすらままならない。一つ一つの数値が如何なる影響を及ぼすのか、どんなバランスで配分すればいいのか。もはや、一つの世界を創造するにも等しい。

 気が遠くなるほどの膨大な調整を重ね、望んだ人格を造形する、高度な知識と技術を合わせ持った職人。それが造形師という職業だ。

「〝人工知能の身体性しんたいせい〟の問題はあなたもご存知でしょう」

「君のような専門家ほど、理解はしていないがね。たしか同じAIを二つの機械に与えても、機体が違えば得られる経験が異なるため、学習を重ねるうちに全く別の個性を持つようになる……だったかな」

「ええ、その通りです。逆に言えば、どんな身体からだに容れられるかを考慮しなければ、意図せぬ人格を持ってしまうということです。いかに精神だけを精巧に設計しても、それに見合った肉体を与えなければ不完全です。職人として仕事の主義に反します」

「だが、肉体と精神のずれなど、結果的に折り合いがつくものなのではないか?」

「人間にしても、女性の精神を持ちながら男性の身体で生まれてきてしまう者も居ます。私は自分が作る人形に、そうした苦悩を味合わせたくはないのですよ」

「理解がなかった時代ならいざ知らず、そんなことで悩む人間など、今は少ないと思うがね」

「……ええ。ですが私は、そんな細かいことにこだわってしまう性分なので」

 造形師の青年は、老紳士の言葉に何かを察したのだろう。微かに眉をひそめながら、曖昧な言葉を返す。

 企業が大量生産する自動人形は、通常その企業が抱えている専門の造形師が汎用的な人格の造形を行い、大量の自動人形に対して同じ人格を植え付け、量産品として販売する。

 だが近年では、特定の企業に属することないフリーの造形師というのも現れ始めた。彼らは顧客一人一人の注文に対し、お気に召すままオーダーメイドの人格を作り上げる。

 造型師の多くは一度作り出した人格を複製して別の人形に与えることはせず、生み出された人格を「世界でたった一つしか存在しない固有の存在」にすることを矜持きょうじとしている。

 一点物の家具と同じく、一点物の人格を持った自動人形は、現代における富の象徴ステータスの一つだ。腕の良い造型師の作品は、高級調度品と同じく莫大ばくだいな値がつくことすらある。

 老紳士は懐から自分の名刺を取り出し、店主である青年に手渡す。

 青年はその名刺に書かれた肩書きを目にし、余裕のある笑みを一瞬凍り付かせた。

「……いや、なんと言って良いものでしょうか。なるほど、そちら側の方でしたか」

「むしろこの店に来るのは、私のような肩書きの者が多いのではないかね」

「腕を買ってもらえているのでしょうか、個人制作事務所としては良い顧客に恵まれています。ですが、貴方のような方がいらっしゃるとは想像していませんでした」

 物怖じしない堂々とした態度をとり続けていた青年は、さすがに少しうろたえた様子で紳士と距離を置き始める。

「一体貴方のような方が、どうしてこんな個人経営の造型所などにいらっしゃるのですか? もっと大きな事務所は幾つでも見つかります。なんなら、紹介してさしあげますが」

「職業柄、人工知能の倫理や規制問題について、専門家と話をする機会が多くてね。そのとき君を指導した教授から、君が研究生の頃に書いた論文の話を耳にした」

「まさか、目を通されたんですか?」

「ああ。『人工知能が本当の意味で自我を獲得するには、その最大のかせである【三原則】を取り外すしかない』と――中々刺激的な内容だった」

「ははは……お恥ずかしい。あれは願望じみた考えをしたためただけで、学術的に意味があるようなものではありません。教授からも『これは論文の体裁で書いた私小説だ』としかられました」

「だが、それが君の願望なのだろう。今重要なのはその点についてだ」

「……と、おっしゃいますと?」

 青年は眉根をぴくりと上げて、次なる男の言葉を待つ。

 この老紳士が自分に何を求めているのかを、既に察してしまっていた。

「私も、常々見てみたいと思っていたんだ。【三原則】に縛られない、君の言う本当の自我を持った人工知能というものを」

「……【三原則】を持たない人工知能を造形することは、重大な法律違反です。法を造型する貴方のような職業の方が、冗談でも口にして良い言葉とは思えません」

 青年はふと、以前テレビか何かで聞いた話を思い出していた。

 優れた技術を持つ町工場の職人に、暴力組織が銃の密造を持ちかけたという話だ。その職人は断固としてその要求を断ったのだが、その清廉さがあだとなって暴力組織から報復を受けてしまうという理不尽な結末だった。

 その職人は、自分の技術と名誉を汚さないために悪魔の誘いを突き放した。

 だが自分はどうだ――私は、何を望んで造形師を志したのだろうか。

 この造型事務所の屋号は、人間のような人形を作ることを志したおとぎばなしの男になぞらえて付けた名前だ。

「『ゼペット造型事務所』の仕事としては不服かな?」

「いえ……ところでお客様、人形の名前はもうお決まりでしょうか?」

 その青年――戸賀是人は静かに頭を下げると、その紳士を自身の客として迎え入れた。

 

 数年後。

 造型師の青年、戸賀是人は三原則破りの脱法自動人形アンドロイドを作り出した罪を問われ、世間から追われる立場となってしまう。

 そしてその罪は、彼の作り出した自動人形が、持ち主である男をあやめてしまったことで発覚したのだと、当時の記録には記されている。

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