「ほんっとガラじゃない……ッ!!」
どうして堕天使の自分が〝恋の天使〟なんて恥ずかしい役回りをしてやらなければいけないのか。
眼下に座り伏す〈メフィストフェレス〉の姿を認めながら、ルーシィは舌打ち交じりに苛立ちを吐き出す。
機体の修復を終えたのと同時に、すぐさま〈メフィストフェレス〉を引き連れて基地を飛び立ったルーシィは、この廃ダムがある地点まで一直線に飛び込んできた。
文楽に乗られることを頑なに拒んだ手前、彼にもしものことがあれば自分も後味が悪い。フェレスを連れてきてあげたのは彼女なりの義理立てのつもりだった。
「まったく、ほんと世話の焼ける妹よね」
両手に握った〈剣の演舞〉を振りかざし、ルーシィは戦場の空を黒い稲妻のように駆け抜ける。
蝙蝠の羽根に備え付けられた幾つもの推進器は、稼働を繰り返しながらあらゆる方向へ推進力を与え、尋常ならざる機動を可能とする。繰り返される縦横無尽な急加速の繰り返しは、中に人間が乗っていればあっという間に挽肉にしてしまうことだろう。
この特殊な形状の推進器は、人を乗せないことを〝欠陥〟でなく〝特徴〟と見なすことにした人類が彼女に与えた自由の証だ。
「コラそこっ! うちの生徒に何してんのよ!!」
ゲーティアに汚染された機甲人形の一体が、手にした武器の銃口を訓練機へと向けるのを目に留め、ルーシィは叫んだ。
まるで猟犬を獲物に差し向けるかのように、右手の人差し指で方向を指し示して、周囲を滞空させていた〈剣の演舞〉を次々と射出する。
四本の剣が機甲人形へ舞い踊るように四方から襲いかかった。
同時に〈ルシフェル〉の動きがが、ゼンマイの切れた人形のようにぴたりと停止する。
機操人形は人形知能にとって、言わば一つ一つが個別の肉体。一つの脳で複数の体を動かさなければならないのだ。
単純な機構の〈剣の演舞〉であっても、一度に複数を制御するとなれば、機体本体の動きは鈍ってしまう。本来であれば、操縦士がその間の補助を行うはずなのだ。
だが操縦者を持たないという〝特徴〟を持つルーシィにとって、この決定的な隙は彼女が持つ唯一にして絶対の構造的欠陥なのだ。
そんな〈ルシフェル〉に対し、ゲーティアたちは次々と重火器を向け、内部に炸薬が詰められた榴弾を次々と浴びせかけた。
黒色をした装甲の表面に、血しぶきのような赤い炎が散る。
『先生! 大丈夫ですか!?』
ルーシィによって窮地を救われた訓練機から、慌てふためいた訓練生の声が上がる。
爆炎と噴煙の中から、嘲り笑うような声が厳かに響いた。
「馬鹿ね。こんな粗末な炎で、明けの明星が焼き焦がせるわけないじゃない」
黒煙の蓑を引き裂いて、二本の〈剣の演舞〉が次々と飛び出し、敵の機甲人形へ次々と突き刺さる。
同時に、装甲を焼かれた〈ルシフェル〉が巨大な推進器の翼を広げ、纏わり付く噴煙を吹き飛ばし姿を現す。まるで蛹から羽化した、黒い揚羽蝶を思わせる艶姿だ。
自分へ砲火を浴びせた敵へ急加速で接近したルーシィは、突き刺さった〈剣の演舞〉を手で握ると、腹部を抉るように引き抜いて機体を両断する。
機械油の返り血を浴びて戦場の空に君臨するルーシィは、墜落していく敵へ向けて微笑むような声色で言い放った。
「私を火あぶりにしたいんなら、あと一千万ギガジュールは足りてないわね!!」
『あの、先生……それ、核弾頭とかの威力ですよね?』
「そうだけど、何か文句ある?」
ルーシィに救われた訓練機から、感嘆とも呆れともつかない気の抜けた声が上がる。
声を聞いて、ふと気が付く。この生徒は確か、以前訓練中に文楽へ私闘を挑んで返り討ちにあった三人の不良生徒たちの一人だ。
気付いたと同時に、残りの二人が操る二体の僚機が彼の元へ集まる。彼らが作戦に参加していたのは意外だが、この混戦の中で未だ無事で居たこともそれ以上に予想外だった。
「残ってるのはあんた達だけ?」
『墜とされないのに必死で他がどうなったかまでは……』
「仕方ないわね。あんた達は撤退支援、後はこっちで引き受けるわ」
指示を受けた三体の訓練機は、互いに距離を取って編隊を組みながらルーシィの元を離れる。彼らはああして三人で連携を取ることで、訓練生ながらこの混戦を上手く生き延びることができたのだろう。
もし彼らが誰かと戦う為にあの連携を磨いていたのだとしたら――自分も中々教育者として上手くやった方かも知れない。
ほくそ笑むルーシィの元に、地上を飛び立った〈メフィストフェレス〉が近づいてくる。
何やら長いこと時間が掛かったみたいだが、文楽はどうやら機体へ乗り込んだようだ。
『すまない、ルーシィ。遅くなった』
「この私を待たせるなんて良い度胸ね、このポンコツ有機体!! 私情のもつれを戦場に持ち込むんじゃないわよ!!」
『いや。謝りはするが……お前は何か多大な誤解をしている』
『ありがとうございました、ルーシィさん。おかげで文楽さんと仲直りできました』
「良かったわね、フェレス。でも惚気はやめてちょうだい。塗装が泡立つから」
束の間の会話を繰り広げる二体と一人の間に、放たれた榴弾が突如割り込む。
〈ルシフェル〉と〈メフィストフェレス〉は互いに距離を取り、敵の攻撃に身構える。敵の攻撃は、損傷を負ったルーシィの方へ特に集中しているようだ。
ゲーティアに支配された兵器は一貫した原理によって統制されている。それは敵の中で最も撃墜しやすい機体を優先して狙い、戦力の減衰を図るというもの。
その目標を選択する基準はごく単純で、例えば損傷を負っている機体や、被弾率が高く攻撃が当たりやすそうな機体が優先される。
つまりこの場合、既に被弾しているルーシィの方が優先的に狙われることになる。
彼女はそうなると分かっていて、わざと攻撃を受けてダメージを負ってみせたのだ。
「ザコはこっちで拾ってあげる……けど、あんたに撃てるの?」
『あいつは俺の蛇だ。けじめは、俺自身の手でつける』
「ふーん。ちょっとはマシな直り方してきたわね」
ルーシィは感嘆の声を漏らす。
言葉から、迷いが消え去っていると気付いたからだ。
「何か心境に変化でもあったのかしら?」
『戦う理由を思い出した。それだけだ』
「理由? それって――」
一体、何を思い出したというのか。
尋ねようとしたときにはもう、文楽たちは飛び去ってしまっていた。
§
愛生文楽は機甲人形〈メフィストフェレス〉を駆って、機体を一直線に走らせる。
「フェレス、このまま進路を維持しろ。迎撃はこっちで請け負う」
「はい、文楽さん!!」
目指す方向はただ一点。レーダーに映る〈リヴァイアサン〉の反応へ向けて。
進路に立ちふさがるゲーティアに操られた機甲人形からの砲撃を、フェレスは機体を急回転させて躱していく。そして回避運動の合間に、文楽はすかさず引き金を引いて機関銃の掃射を敵へと浴びせる。
訓練の中で初めて乗ったときに比べて、フェレスの機動はもはや別の機体と言っていいほどに改善されている。
それは経験や成長によるものだけではない。そう気付いた文楽は、ふと傍らに浮かぶ立体映像のフェレスに首を傾げながら問いかけた。
「お前、少し痩せたんじゃないか?」
「えっ、分かりますか!?」
「機体がかなり軽くなった。旋回性も上昇速度も、格段に良くなっている」
「それは、えっと……整備の方に頼んで、内部装甲を減らして頂いたんです」
フェレスは恥じらいの混ざる複雑な表情でぎこちなく笑う。
文楽はそんな彼女の頭にそっと手を乗せながら優しく微笑んだ。
「悪くない……いや、俺の好みだ」
「っ……ありがとうございます! これからも、あなた好みの愛機になれるように頑張ります!!」
言葉を交わしながら、二人は廃棄都市の上空へ辿り着く。
廃墟となったビル群が墓石のように連なる文明の抜け殻を象徴するような光景。
その上空では、双眸に禍々しい赤色の眼光を灯した一体の機甲人形が、静かに彼らのことを待ち続けていた。
『やっと来てくれたね。待ち侘びたよ、マスター』
哀れに思えるほど無邪気で嬉々とした声が、文楽の胸に突き刺さる。
喘ぐように言葉を詰まらせる文楽の代わって、フェレスが言葉を返した。
「レヴィアさん、もうやめて下さい!!」
『またお前か……人形のふりをしたペテン師め! お前みたいに何も知らない人間が、ボクとマスターの間に入るな!!』
〈リヴァイアサン〉は怒りを露わにするように、右腕に握った大型の対戦車ライフルを左から右へ振るいながら叫ぶ。
「私は文楽さんの人形です! あなたが文楽さんを傷つけるというなら、私はここを退くつもりなんてありません!」
『嘘だ! マスターを傷つけてきたのは、いつもお前たち人間だったじゃないか!!』
彼女の声を震わせているのは、怒りの感情だけではなかった。
深い悲哀と愛情、そして決して変えることのできない過去への悔恨。
《蛇遣い》という英雄の誰よりも近くにあった人形の少女は、震える声で続ける。
『――ボクたちは、かつて一人の少女を死なせてしまった』
「っ……!!」
文楽とフェレスの二人が、同時にはたと息を呑んだ。
あの日、花をくれた少女を救う為に戦ったのは、文楽だけではなかった。
彼の乗機である〈リヴァイアサン〉もまた、かつて人間の少女だったフェレスの為に戦い、そして彼女を救えなかったという咎を抱いてきた一人だった。
『あの日からマスターは、人間として生きることをやめてしまった。どんな言葉をかけても、どんなに笑いかけても、欠けた心が元に戻ることはなかった』
「レヴィア。お前は、ずっと……」
『お前達が――人間が、ボクからマスターを奪ったんだ!!』
少女の死を境に、文楽が心の歯車を止めてしまったように。レヴィアもまた、あの日から心の歯車をずれさせてしまっていたのだろう。
ゲーティアは憎悪の感情そのものを与えたわけではない。ただ噛み合わなくなった歯車に、別の歯車を与えてやっただけなのだ。
『どれだけ願っても戻ってこなかったのに……お前みたいな人間に笑いかけるなんて!! ボクが居ない世界で、笑顔を浮かべて生きていくなんて! 絶対に許せない!!』
「くっ……!!」
レヴィアの悲痛な叫びに、文楽は返すべき言葉を何も見つけられなくなってしまう。
「だからって、これ以上縛り付けないでください!」
言葉を失う文楽の代わりに叫びを返したのは、彼の隣に立つフェレスだった。
「文楽さんは、あなたの人形じゃありません!!」
「っ――――」
叫びが、文楽の胸を深く突き刺していた。
絡みつく無数の糸の幻影が、胸からすっと消え失せていく。
心を絡め取られ、魂を縛り付けられていたのは、人形のレヴィアではなく自分自身の方だった。フェレスの言葉で、その見えない呪縛に初めて気が付いた。
『黙れ……黙れ黙れ! お前なんかに! 人形のふりをした紛い物なんかに! マスターは渡したりしない!!』
激昂したレヴィアは、機体の腕に握った対戦車ライフルと重機関銃の二門を、ろくに狙いも定めず〈メフィストフェレス〉へ向かって乱射し始める。
迫り来る弾幕の雨。衝撃から立ち直れていない文楽に代わり、フェレスは自ら機体を急降下させて、砲火に晒されまいと機体を回避させた。
「ご、ごめんなさい文楽さん!」
呆然としていた文楽は、フェレスの言葉によってようやく現実の景色に意識を戻した。
モニターの端に映り込む曳光弾の輝きを見つめる文楽に、フェレスは慌てた様子で頭を下げている。
「何を謝っている。今の回避行動は悪くなかった」
「あ、ありがとうございます――いえ、そうじゃなくて。私、思わず変なこと口走ってしまって、その……」
「いや、指摘の方も妥当だ」
脳裏で言葉の糸を手繰りながら、操縦席の一角にある小さな引き出しを開き、中から細い絹糸のような手綱の束を取り出し、指に嵌めていく。
今まで戦う意味も生きる場所も全て誰かに預けて、人形になろうとしていた。
人間として戦い続けていくことの痛みと苦しみから逃れるために。
十本の指に手綱をつなぎ止めた文楽は、ふと思い出したように問いかける。
「一つ、お前に聞き忘れていた」
「なんですか文楽さん? 機体の状態でも残弾数でも、なんでもお答えします!」
モニターに映る〈リヴァイアサン〉の機体を見つめながら、フェレスは真剣な面持ちで応える。
だが文楽が顔に浮かべているのは、戦いの激しさからかけ離れた穏やかな微笑だった。
レヴィアの放つ砲火の一筋が装甲を掠め、機体が激しく錐もみする。内臓をかき回されるような激しい重力の渦に晒されながら、文楽は淡々と問いかけた。
「あのとき、お前がくれた白い小さな花……あれは、なんていう名前だったんだ?」
「そ、そんなこと、話してていいんですか!?」
「〝そんなこと〟じゃない。とても、重要なことだ」
「……ええ、わかりました。お答えします」
操縦席の中に映し出されている立体絵像のフェレスは、胸に手を当てて目を閉じる。
メイド服の胸元にふと小さな光が灯り、映像に微かな変化が起こり始めていた。
光が徐々に輪郭を持ち始め、一つの形を成していく。
気が付けばフェレスの手には、立体映像の白い花が握り締められていた。
記憶の中に深く埋めてしまったその姿に、文楽は胸にじわりと痛みを覚える。
「この花の名前はマーガレット。名前の由来は、〝真珠〟を意味するmargarite」
少女は静かな声で、その花の名を謡うように告げる。
上下左右に機体が激しく動きを繰り返す中、立体映像によって生み出された幻の花は、揺れることも散ることもなく小さな手の中に、あの日のままの姿で在り続ける。
例え偽りであっても、幻に過ぎなくても、心に蘇る感情は確かなものだ。
人は守るものがあれば戦える――それがたとえ、ただ一輪の花のであったとしても。
白い小さな花を握り締めながら、フェレスは謡うように言葉を続ける。
「花言葉は、恋占い、貞節、誠実な心――」
ふと言葉を止めて、花を握った手を文楽の方へと伸ばす。
白い花をそっと彼の襟元に差すと、虚飾の名を持つ人形の少女は少しだけ頬を赤らめながら、添えるように告げる。
「――そして、真実の愛」
気恥ずかしそうに笑うフェレスにつられて、ふと固く結んでいた口元が綻ぶ。
まるで見えない糸に唇の端が引かれるように、ぎこちない笑みが浮かんでいく。
二人は言葉もなく見つめ合い、そして演技の幕を上げる。
「《幻影の劇場》」
人の魂を封じ込められた人形――〝琺瑯質の瞳を持つ人形〟の名を持つ二体の機操人形は〈メフィストフェレス〉の両肩から放たれるのと同時に、精巧な機体の幻影を空中に出現させる。
可視映像だけではない。電波や音波、赤外線などあらゆる機械の目に対して偽りの反応を発し、人機敵味方の区別なく見る者全てを欺く〝虚飾〟の姿。
「レヴィアに撃ち合いで勝つのは無理だ。懐に割り込むぞ!」
「はい、文楽さん! あとはお任せします!!」
〈琺瑯の瞳〉を射出したと同時に、フェレスの映像が煙のように薄らいで、操縦席からふっと姿を消す――文楽の襟元に差された一輪のマーガレットの花を残して。
複数の体を操る機操人形の制御は、人形知能に多大な負荷を掛ける。立体映像をリアルタイムで作り出すという特殊な機能は、他の機体に比べて殊更にかかる負荷が大きい。
操縦席内に映し出される立体映像の維持すら切り捨てて、全ての能力を〈琺瑯の瞳〉の制御に回そうとするフェレスの決意が、そこには表れていた。
「こういうところは、お前らしいな……」
文楽は襟元に残された白い小さな花に目を落としながら苦笑を零す。
あえてこの花を消さずに残したことに、理由があるとは思えない。
ただそんな気まぐれが、あまりに彼女らしくて可笑しかった。
空中を自在に飛び交う二体の幻影に合わせ、文楽もまた〈メフィストフェレス〉の本体を手綱によって巧みに駆動させる。
二つの幻と一体の操り人形。合わせて三体の機甲人形が、〈リヴァイアサン〉を三方から包囲するためにそれぞれ機動する。
機操人形にはそれぞれ、遠隔砲台として内部に機関銃が装備されている。口径も威力も、本体が手にしている機関銃と同等のものだ。
幻の一体が〈リヴァイアサン〉の上方へ回り、もう一体が側方へと回る。
三つの機関銃から同時に放たれる砲撃が、立体的な十字砲火となってレヴィアを襲った。
『どれだ、どれが偽物だ!?』
レヴィアは戸惑いの声を上げながら、三方から迫る三体の敵に向けて、手にした火器を振り回し砲撃を始める。
だが、偽物など一つとして存在していない。
文楽の操縦を肌身で覚えたフェレスは、二体の幻を本物と見紛うほど巧みに機動させ、レヴィアの攻撃を躱していく。
〈リヴァイアサン〉は絶え間ない砲撃によって中距離に相手を押し留め、自分が有利な距離を維持する戦法を得意としている。逆に言えば、懐に入り込まれて不得意な接近戦に陥るのを避けたがる性質がある。
それは、操縦士であった文楽が彼女と一緒に作り上げてきた戦法だった。
『っ……偽物も本物も、墜としてしまえば同じだ!』
突然〈リヴァイアサン〉は両腕の火器を振り回すのをやめ、機体を水面に浮かぶように仰向けの状態にさせる。
『まずは一体! 〈魔弾の射手〉!!』
左右の〈メフィストフェレス〉に両腕の火器を向けたまま、叫びと共に鏃のような形をした二体の機操人形〈魔弾の射手〉を射出させる。
三体の内、たとえ一体でも確実に墜とすことを彼女は選択したのだろう。
「くっ、近づけないか……!!」
砲火を躱しながら、文楽は舌打ちを漏らす。
両腕の火器によって本体ともう一体の幻を押さえ込みながら、レヴィアは上方の一体へ狙いを定め、〈魔弾の射手〉を走らせる。
曲がりくねった軌道を描く二体の機操人形。
一瞬遅れて、〈リヴァイアサン〉の肩口から紫電の砲火が放たれた。
蛇のように曲がりくねった軌跡を辿る稲光の蛇が〈メフィストフェレス〉の幻を鋭く捉え、霧を払うように消し飛ばす。
『さあ、これで二分の一だ!』
嬉々とした声を上げて、勢いよく叫ぶレヴィア。
だが、追い詰められているのは彼女もまた同じだ。
近距離戦用に調整された本体。機械をも惑わす幻を生む機操人形。
そして、悪魔の呪詛に決して屈することのない偽りの人形知能。
この三つの武器を持つ〈メフィストフェレス〉は、世界で唯一〝対機甲人形戦〟を意図して設計された機甲人形なのだ。
残る幻と本体とが、両側面から挟み込むように接近する。
『なるほど……やっと本気でボクを殺す気になったみたいだね、マスター!!』
両側面から迫る二体の機甲人形を前に、レヴィアは案山子のように両腕を水平に伸ばし、それぞれに握った火器の引き金を同時に絞る。
正面からの銃火に晒された幻が、煙のように輪郭を歪ませる。立体映像の帳を引きはがされた機操人形は、弧のように大きな迂回機動を取って〈メフィストフェレス〉本体の元へと戻っていった。
その隙に〈メフィストフェレス〉の本体は更に接近を続け、遂に〈リヴァイアサン〉の鼻先にまで間合いを詰める。
「文楽さん、機体の制御を渡して下さい!」
二つの幻が消えたことで処理容量に余裕が生じたのか、再び操縦席内にフェレスの姿が出現する。
「私に考えがあります!」
「っ……ああ。信じるぞ!!」
文楽が応えると同時に、〈メフィストフェレス〉は背部から大鎌状の実体剣を取り出し両腕で握り締める。
大鎌を上段に高く振り上げながら、フェレスは勢いよく声を上げた。
「文楽さんを縛る糸は、私が断ち切ります!!」
『お前なんかに、マスターは渡さない!!』
レヴィアは両腕の火器を頭上で交差させ、振り下ろされる刃を防ごうと身構える。
刃と砲身が交差し、ぶつかり合った瞬間――振り下ろされた鎌が、光の粒子へと砕け、空気へ溶けるように消え去った。
『なっ……!?』
「ごめんなさい、騙してしまって――」
悪びれた様子などない、澄ました声でフェレスは告げる。
レヴィアだけでなく、文楽もまた同じように驚きを露わにしていた。
『鎌も、幻だと……!?』
「――《真珠の劇場》。こういう使い方もできます」
あらゆる機械の目に対して、本物そっくりの幻影を作り出す機操人形〈琺瑯の瞳〉。
その性質を応用すれば、機体の姿形や状態を偽装することすらできる。
フェレスは本体に戻した機操人形を使って武器の幻を作り出し、本来持っている武器の姿を隠していたのだ。
「文楽さん、今です!」
〈メフィストフェレス〉が本当に握っていた武器をモニターで確認して、文楽は思わず苦笑を唇に浮かべた。
その手に握られていたのは、分厚い円盤型の炸薬兵器。
対戦車用の吸着地雷。
「……なるほど、これも俺好みだ」
攻撃の間合いを外され、〈リヴァイアサン〉は無防備な隙を晒してしまっている。
文楽は手綱を介して、吸着地雷を握る機体の腕を真っ直ぐ前に突き出させる。
機体の胸元には、ぽっかりと空いた大きな穴が――ハッチが壊れた操縦席が、大きく口を開けている。
人間を受け入れるために、胸に空いた大きな穴。
それこそ、完全無欠の兵器である機甲人形が持つ唯一の弱点。
かつて自分の居場所でもあった操縦席に目がけて、文楽は吸着地雷を投げ込む。
「すまない、レヴィア――」
戦いの決着を悟った両者は、時が止まったように互いの動きを止める。
静寂の中、文楽は許しを請うように優しい声でレヴィアへと囁いた。
「――愛していた。たとえ、人形だったとしても」
言葉を掻き消すように、〈リヴァイアサン〉の内部で炸裂した地雷が爆音を響かせる。
誘爆を引き起こし、装甲の隙間から次々と炎が吹き出す。
まるで己の内から生まれた炎に、自らの体を食い尽くされていくように。
内部からの爆発によって装甲の隙間から火を噴き、手足が爆発の衝撃によって吹き飛び。〈リヴァイアサン〉は土人形が崩れるように機体がばらばらに千切れていく。
『やっと、言ってくれたね』
それでもレヴィアはどこか嬉しそうに、無邪気な声を上げていた。
推進器が崩れ落ち、頭部と胴体だけの哀れな姿になった〈リヴァイアサン〉は、重力に引き寄せられるがまま、地面へ向けてゆっくりと落下し始める。
そんな姿になっても、レヴィアはいつまでもあのときのまま――欠けた部品を求め続ける無邪気な少女のままだった。
『でも、そんな言葉じゃ許してあげないから』
呪いのような言葉を残して、海蛇の悪魔は地上に広がる残骸の都市へと沈んでいくのだった。