第五章 Successful Mission(3)

 日もすっかり暮れてしまった郡河基地の一角に、室内訓練用の体育館が建っている。
 薄暗い月明かりだけが差込む広い板張りの空間。そこには、一つの人影がある。
「どうしたの、文楽。何か用?」
「悪いな、集中していたところに邪魔して」
 愛生文楽が静謐な室内に足を踏み入れると、その人影は長い銀髪を翻して振り返る。
 純白の士官服に上背で均整の取れた肢体。額から天に向かって伸びる二本の黒い角。
 室内に居たのは、仮装人形アバターの姿を纏う人形知能デーモンルーシィであった。
 暗い室内の中、窓から入る月影だけがその姿を照らしている。怪しく光り輝く銀色の髪が、この世のものとは思えない美くしさを醸し出している。
「別にいいわよ。ちょっと体動かしてただけだから」
「ちょっとの割には、随分と息が上がっているようだな」
「う、うるさいわね! あんたで試し切りするわよ!?
 ルーシィは腰に携えた鞘から、一振りの剣を引き抜く。
 ただの軍刀ではない。機操人形〈剣の演舞ソード・ダンサー〉を仮装人形アバターが持てるサイズに縮小にしたレプリカだ。もちろん、本物が持っている飛行能力や、量子通信による遠隔操作機能はないが、実用に足る充分な切れ味を備えている。
 人形たちは普段使い慣れている武器を、仮装人形アバターの身体でも好んで武器としている。彼女達のためにあつらえられた専用の装備だった。
 ルーシィは誰も居ない体育館で、自分の剣を持って素振りをしていたらしい。
 機体が整備の最中で動けない今、こうして仮装人形アバターの身体を動かすしか、気を紛らわせる術がなかったのだろう。
「相談があるんだが、付き合ってもらえるか?」
「ええ、いいわよ。先生として、生徒の相談に乗らないわけにはいかないものね」
「……意外と先生が板に付いてきたみたいだな」
 ルーシィに歩み寄った文楽は、手に持っていた地図を開くと雅能から聞いた作戦の大まかな概要や、部隊の配置などの説明を始める。
 押し黙って話を聞いていたルーシィは、ふむと鼻を鳴らして頷いた。
「――うん。大体分かった。これ、あんたが考えたの?」
「いや。同じクラスの訓練生、剣菱雅能の立案だ」
「ああ、あの子……操縦士の適性はそこまでじゃないけど、戦史研究とか戦術論の成績はかなり良かったもんね」
 あの傲慢の堕天使が、先生として生徒一人一人のことをちゃんと覚えているとは。
 文楽は口には出さず、心の隅でふと驚きを覚える。
「操縦士になるより士官になった方がいいんじゃない? 士官教育過程に進めるように、推薦書とか書いてあげた方がいいのかしら?」
「俺もそう思うが、やめておいてくれ。それが本人の為だ」
 文楽の言葉に、ルーシィは不思議そうに首を傾げる。
「とにかくあいつの立てた作戦を、お前の力で基地司令に認めさせてほしい」
「それはいいけど、どうやって数を揃えるの? 正規部隊だけじゃ数が足りないわ」
「訓練生にも参加してもらおうと思っている。雅能が志願者を募っているところだ」
「なるほど……本当なら『生徒に危険なことさせらない』って言うべき場面かも知れないけど、ぶっちゃけそこまでカッコつけてる余裕なさそうよね」
「戦う意思があるなら立派な兵士だ。技術なんて関係ない」
 大きくため息を吐いたルーシィは、腰に差した剣を手でぎゅっと強く握る。
 彼女の機甲人形アーマードール機体からだは、いまだ整備の真っ最中なのだ。こうして体育館で体を動かしていたのも、そのことに苛立ちを感じていたからだろう。
 だが余裕がないのは、文楽自身も同じ事だった。
「相談はもう一つある……俺が、お前に乗ることはできないか?」
「……またその冗談?」
 ルーシィは突然腰から剣を引き抜くと、文楽の口元へ向けて切っ先を向ける。
 少しでも唇を動かせば、口が十字に開くようにしてやると、眼差しが物語っていた。
「言ったはずよ、一千万年早いって。まだ一日も経ってないわ」
「……冗談で言ってるわけじゃない。俺は本気だ」
 真剣な目つきで見つめられたルーシィは、唇を噛んで剣を鞘へと戻す。
 最初の機甲人形アーマードールとして生まれながら、一度として人を乗せないという高潔さと傲慢さを守り続けてきた彼女ですら、未曾有の事態に対して余裕を失っているようだった。
「フェレスだっけ? あの子はどうするのよ。あなたの人形はあの子でしょ」
「……あいつにはもう、乗る気は無い」
「何? 喧嘩でもしたわけ?」
「そうじゃない。事情はいつか話す。とにかく、あいつには二度と乗る気はない」
「あんたにそう言わせるからには、よっぽどのことみたいね」
 呆れたように肩をすくませてから、ルーシィは続ける。
「あんたがあの子に乗らないのも、私があなたを乗せないのも、同じことなんじゃない? それを譲ってしまえば、私が私で居ることはできなくなる。だから選択できない」
「自我を奪われるのと同じ、ということか……」
 人形にとって、己であるという誇りアイディンティティーを失うことは、自我の形を歪めるのと同じだ。形を保てない脆弱な自我は、ゲーティアにつけ込まれて操り人形にされてしまう。
 ふとルーシィは腰に差していた剣を掴むと、鞘に収めた状態のまま腰から引き抜いた。
「ねえ、文楽。ちょっと勝負してみない?」
「何を馬鹿な……どうしてお前と戦わなければ、っておい!?
 突然ルーシィは、右手に握った剣を鞘ごと文楽の脳天に向けて振りかざす。
 文楽は攻撃に気付くのと同時に、反射的に一巻きの糸を服の裾から伸ばした。
 取り出した糸を素早く両指に絡め、琴の弦のように両手で左右に引き延ばして壁を作る。振りかざされた剣は糸で作られた防壁によって阻まれ、額すれすれの位置で停止した。
「おい、当たったら冗談じゃ済まないぞ!」
「この程度の不意打ちが当たるなら、そっちの方が冗談よ」
 刃が鞘に包まれている以上、当たったところで切られる心配はない。だが金属の棍棒であると考えれば、大怪我は免れない。間違いなく額がかち割れる。
 気まぐれな態度に苛立つ文楽に、ルーシィは思いも寄らぬ言葉を口にする。
「じゃ、こうしましょう。もしあんたが勝ったら、私に乗ってもいいわ」
「……なるほど、そうとなれば話は別だ」
 糸によって剣を防いだ文楽は、大きく飛び退いて距離を取り、先端に小さな重りの付いた糸を頭上高くへ放り投げる。糸は重りによって体育館の天井の梁にくるくると絡みつく。
 文楽はその糸の支えを利用して、新体操のようにしなやかな体裁きで跳び上がる。
 常人ならざる高い跳躍は、ルーシィの頭上を軽々と飛び越した。
「悪いが自由を奪うぞ」
 文楽はルーシィの頭上を飛び越すと同時に、猫のような身軽さで体を捻りながら地上へ向けて浴びせるように大量の糸を放つ。
 降り注ぐ糸の雨は、まるで無数の蛇のようにルーシィへと襲いかかる。
「クっ……!! さすがは〝蛇遣へびつかい〟ね」
「悪いがこの技にそこまで深い意味は無い」
 大量の糸はたちまち彼女の四肢に絡みつき、瞬く間に体の自由を奪い取る。
 床に着地した文楽は、両腕を交差させ糸の拘束を一層強く引き絞った。
「糸なんて大したことないと思ってたけど、意外と侮れない……っていうか外れない!」
「手加減はなしだ。お前を相手に出し惜しみするつもりはない」
 ゲーティアの支配する無人兵器は巨大な機甲兵器だけではない。
 戦場ではときに、人間大の対人兵器に襲いかかられることもある。機甲人形アーマードールに乗っていないときであっても、自衛の術は兵士にとって必要不可欠な要素の一つだ。
 縫合用の糸や機体の部品に使用されるワイヤを武器とした戦闘技術は、弾薬の補給が滞りやすい前線という環境に対して最適化された解でもあった。
「剣を置け、ルーシィ。でなければ、締め付けを強くする」
 文楽は琴を弾くような手つきで、張り巡らされた糸の一本を軽く引き絞ると、キリキリという虫が鳴くような細い音と共に、腕がきつく締め付けられていった。
 苦悶の表情を浮かべていたルーシィは、突然大声を上げて顔を持ち上げた。
「こンのっ……私が人間の思い通りになるわけないでしょ!!
 一声叫んだと同時、ルーシィはまるで歌舞伎役者のように、長い髪を振り乱しながら首を思いっきり振り回す。
 瞬間、文楽の指に伝わる糸の感触がぷつりと消失した。
「そ、そんな馬鹿げた手があるか!?
「手じゃなくて角よ!」
 驚きの声を上げながら、文楽は何が起こったのかを瞬間的にさとる。
 ルーシィの額から伸びる黒檀色をした二本の角――その鋭利な先端が、首を回したときの勢いで、全身を縛る糸を切断してしまったのだ。
 体の自由を取り戻したルーシィは、板張りの床を蹴って大きく宙へ跳び上がる。
 文楽は咄嗟に両腕を顔の前で交差させて、来たるべき攻撃に対して身構えた。
「どワっ!?
 だがルーシィは予想に反して、手に持った剣ではなく体そのものを使って文楽に襲いかかった。
 何のことはない。ただ体の上に飛び乗って、体重を使って押さえつけただけである。
「どう、人形に乗られる気持ちは?」
「あまり気分のいいものじゃないな」
 文楽は防御ごと吹っ飛ばされ、胴体の上に馬乗りにされ、両腕を押さえつけられる。
 覆い被さってきたルーシィの両胸が、鼻先を押さえつけるほど目の前に押し迫っていた。
「これで上下ってものが理解出来たかしら?」
「わかった、俺の負けだ。お前のことは諦める。だから早く退け」
「でも、人間の割にはやるわねー。まあ、私に勝つにはほど遠いけど?」
「お前に勝つことを目指した覚えはない! いいから早く退いてくれ!!
 大声で懇願されて、ルーシィは渋々と言った様子で文楽の体を解放する。
 まるで滅茶苦茶な真似だが、彼女の心の内はなんとなく理解できた。
 要するにこれは、彼女なりの憂さ晴らしのつもりだったのだろう。
 敵に操られてしまった妹と戦わなければいけない残酷な運命、人間を守る為に戦うことすらできない自分の不自由さ――あらゆる現実に対し、彼女は苛立っていたのだ。
 立ち上がろうとする文楽に、ルーシィは手を差し伸べながら言葉をかける。
「ほんと、人間にしておくのが勿体ないわね」
「お前にそう言ってもらえるなんて光栄だ」
 ルーシィの何気ない一言が、染み渡るように腑に落ちていく。
「お前の言う通りかも知れないな。俺も、人形に生まれていればよかった」
「あ。言っとくけど私は、『人間に生まれてれば』なんて思ったこと一度もないわよ」
「言われなくても知っている」
 フェレスという過酷な運命を背負ってしまった少女――もし自分が彼女の立場に居ることができたなら。彼女の代わりに、人形として身体を得ることができたなら。
 そんなままならない運命に、自身もまた苛立ちを抱えていたと文楽は不意に気付いた。
 立ち上がってゆっくりと呼吸を整えた文楽は、ふと思いついたように問いかける。
「なあ……お前たちにとって、人間とは一体何なんだ、ルーシィ?」
「人間を乗せたことのない私にそれを聞くの?」
「人間を必要としないお前だからこそ、聞いてみたいんだ」
 フェレスに乗らないと決めた理由。それは、彼女に対する同情や哀れみからくるものだけではなかった。
「……レヴィアの自爆機能を起動させたあのとき、ふと考えてしまった。俺達操縦士は、このボタンを押すための装置に過ぎないんじゃないかと」
「人類の英雄が、自分のこと装置に過ぎないだなんて、中々面白い冗談ね。全ての人間に一人一人回って聞かせてあげたいわ」
「茶化すな。俺は本気のつもりだ」
 世界で最初の機甲人形アーマードール〈ルシフェル〉は、初めから人を乗せることを拒み続けてきた。
 そんな彼女が生まれた時点で、定められていたのだろう。
 人間という存在を必要としない人形だけが戦場を支配し、再び人間が戦いに必要のない時代へと再び向かってしまう日が来るのだと。
 文楽がフェレスの存在に見たのは、そんな未来に対する象徴だった。
 問いの意味を彼女なりの形で理解したのか、ルーシィは吐き捨てるように言う。
「レヴィアがどうしてこんな後方の基地までやってきたか、気付いてない?」
「それは……まさか俺を追って、この基地にやってきたのか」
「そうに決まってるじゃない。この国に何千万もの人間が居る中で、あの子はたった一人あなただけを殺すためにはるばるこの基地まで来た。ゲーティアは『守るべき人類を殺せ』と命令してくるのに」
 ルーシィは一度言葉を止めて、悲しみの滲む声で続けた。
「レヴィアにとってあなただけが〝守るべき人間〟だったってことじゃないの?」
「っ――――」
「あの子はあんな状態になってまで、あんたを世界で唯一、自分が自分であるために必要な部品パーツだって認めてるのよ。それが答えじゃ不満かしら?」
「……欲しかった答えではないな」
 胸に走る痛みが、敢えて目を逸らしてきた疑問がここにあると叫び始める。
――このままレヴィアをもう一度死なせることになっていいのか。
 彼女が《蛇遣いアスクレピオス》という男を求め続けるように、彼にとってもまた〈リヴァイアサン〉は決して欠けてはいけない部品だった。
 レヴィアが生きていたのと同じように《蛇遣いアスクレピオス》もまた、文楽の中でゆっくりと息を始め蘇りつつある。
 彼女を殺すことは、愛生文楽として生きるために、《蛇遣いアスクレピオス》という存在を自らの手で殺すことと同じだ。
 胸の痛みにじっと耐え続ける文楽に、ルーシィはふと思い出したように問いかける。
「作戦に不満はないけど、一つ心配があるとしたらあんた自身のことね」
「どういう意味だ」
「一体どこでそんなぶっ壊れ方したのか知らないけど、あんたってもしかしたら、自分が人間かそうじゃないのか、区別が付いてないんじゃない?」
「馬鹿な。冗談を言うな。俺は――」
「〝俺は〟なに? 言ってみなさいよ」
 言葉が出ない。
 口にしようとするだけで、ひどい嘔吐感が襲いかかった。
 いつから自分は、自分が人間であると、信じることができなくなったんだろう。
 〈リヴァイアサン〉の自爆スイッチを押したあの瞬間だろうか。
 枯れてしまった花を、この手で土に埋めたあの時だろうか。
 それともこの世界に生まれたときからずっと、自分は――
「――俺は、人類の一部だ」
 喘ぐように口を開きながら、やっと絞り出せたのは、そんな曖昧な言葉だけ。
 ルーシィはそんな文楽に追い打ちをかけるように、鋭い言葉の切っ先を突き立てる。
「自分が人間だと信じられないあなたが、本当にあの子と戦えるの?」
「……教師が板についてきたようだな、ルーシィ先生」
「はぐらかさないの。ちゃんと自分の胸に問いかけてみなさい」
 人形たちは人間を守る為に、同じ人形を撃つ覚悟をして戦っている。
 ならば人形を守る為に、同じ人間を撃つことに、何の不思議があるだろうか。
 淡い月光に照らされながら、ルーシィは哀れなほど毅然とした笑みを浮かべる。
「私は人間を守る人形として、人形を撃ち続ける。たとえ誰が相手でも」
「……人類の全てが、お前のようであれたらいいんだがな」
「私に並ぶような存在なんて、私一人で充分なのよ」
「なるほど、まさしく傲慢だな」
 ゲーティアの手から人類を守ること――それは今や、レヴィアをこの手でもう一度殺すことと、同じ意味を持ってしまっている。
 その覚悟を置き去りにしていた自分に、文楽ははたと気が付いてしまうのだった。

小説一覧に戻る


◆Amazonで全巻購入する


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です