第四章 REINCARNATION(3)

「――とりあえず、こんなところでいいか」
 スパナを工具台の上に置いた文楽は、タオルで汗を拭いながら大きく息を吐く。顔に着いたオイルの汚れが引き延ばされて、掠れた跡が頬に黒い筋を作った。
 文楽が工具を片付けるその向こうでは、たった今点検を終えたばかりの物言わぬ鋼鉄の人形〈メフィストフェレス〉が屹立している。
「休みだというのに、精が出るね。愛生文楽君」
 文楽が格納庫の入り口を振り返ると、青年のような爽やかさを持った訓練学校の学長、戸賀是人がのんびりと姿を現す。
「学長こそ……どうしたんですか、こんな所に」
「ルーシィから君がここに居ると聞いて、少し様子を見にね」
 ゼペットは人の良さそうな笑顔を浮かべながら、しげしげと〈メフィストフェレス〉の足下を見つめている。
 そこでは機体の人形知能デーモンであるフェレスが、メイド服を着た仮装人形アバターの姿で機体の足下に散らばった細かなゴミや埃を、柄の長い箒でせっせと掃除する姿があった。
「彼女はああして、ずっと君の手伝いをしていたのかね?」
「ええ。装甲を磨いたり、汚れを拭き取ったり、最低限の手伝いだけですが」
「ふむ……どうせなら、彼女を機体に搭載した状態で整備してあげたら良かったのではないかな。操縦士自らの手で自分の体を整備してもらうのは、人形の気分を和らげるそうだ。現地から実証データも数多く届いている」
「どうも、そんなことを言ってられる状況ではないですね……機嫌を損ねてしまったみたいで、さっきからまともに口も聞いてもらえていない」
「なるほど。機体の点検はできても、機嫌の調整には難儀しているようだ」
 文楽は苦笑しながら、使い終えた工具を一つずつ布で磨き、さび止めを塗り込んで丁寧に箱の中へと戻していく。前線に居た頃からずっと使い続けている愛用の品だった。
「人形と接するより、こうして機械や工具を相手にしている方が、自分は気が楽です」
「ふむ、看過できない感想だね。人形知能という完成された対話型インターフェイスも、君ほどの操縦士になると無用の長物に感じるというのかな?」
「別に、そこまで大げさな話ではありません」
 工具を磨く丁寧な手の流れを止めずに、文楽は顰めるような声で続ける。
「道具は言葉を喋らないし、喜びも悲しみもしない……感情を持たない方が、こちらも余計な感情を持たずに済むというだけです」
「おや、全くもって不可解なことを言うね。その工具に感情が存在しないと、なぜ君は言い切れるのかな?」
 工具を磨く手をぴたりと止めた文楽は、ゼペットの顔をじっと睨み付ける。
「……いや、ないでしょう」
「清々しいマジレスだね。しかし君が今磨いている工具も、そうして丁寧に手入れをしてやれば、喜びそれに応えてくれる。逆に手入れを怠れば、機嫌を損ねて錆び付き仕事をしなくなる。そして壊れればやはり、君は友人を失ったような悲しみを味わうだろう。これで感情がないだなんて、どうして言えるのかな?」
「いや。ただの思い込みではないでしょうか……」
 呆れた表情で突っ込む文楽に、ゼペットはにやにやとした笑いを崩さず続ける。
「ああ、その通りだ。工具も人形も、人間すらも。それが感情を持っているのは、接している我々が、それに感情があると思い込んで接するからに過ぎない」
「ではこんなものに感情は存在しないと思えば、どうなるんですか」
「やはり同じように、感情のない物だけがそこに残るのだろう」
「……どこかで聞いたような話だ」
 文楽は納得したように頷くと、まるで呪文を唱えるかのような調子で、かつて耳にした言葉をゆっくりと諳んじる。
「0でも1でもない不確かな存在でも、確かな1があれば1であれる」
「ほう、驚いた。君の口から不確定性原理の話が出てくるとは」
「その名前は今初めてしりました。レヴィアが以前、そんな話をしていたと思い出しただけです」
「なるほど。確かに、あの子らしい言い回しだ」
 量子頭脳の中に存在する架空の人格。まるで幻影のような人形知能デーモンたちは、自分という存在がここにあるか否かすら曖昧で不確かだ。
――『マスターと一緒にいるときだけが、自分がここにいると感じられる』
 まざまざとした肉感を持ったレヴィアの言葉が、不意に脳裏に蘇る。
 ネックレスに繋いだ指輪のある、胸のあたりにじわりと痛みを覚えた。
 彼女の言葉は、まるで映し鏡のように文楽の心を物語っていた。
 《蛇遣いアスクレピオス》という兵士は、彼女と一緒に居るときだけ、存在していることができた。互いがこの世界に存在していることを、戦いの中で証明し合っていた。
 文楽は蓋を閉じた工具箱に手を置いたまま、じっと自分の手元を見下ろしている。
「戦場で機甲人形アーマードールの操縦士として戦ってきた者として、人形知能の開発者に、ずっと疑問を抱いてきた点があります」
「ほう、遠慮なく話してくれたまえ。君は私にとって掛け替えのない読者の一人だ。喜んで問いに答えよう」
「……本当に、人形たちに感情なんてものが必要なんでしょうか?」
 ゲーティアは兵器の人工知能を操り支配下に置く。自我を持つ人工知能は操られない。だから人間のような自我を持つ人形知能デーモンの存在が必要となる。
 この時代に生きる人間であれば、誰でも答えられるような当たり前の論理だ。
 だが、『自我を持つことと感情を持つこと』は、果たして一体なのだろうか。
 感情のない自我や、自我のない感情は存在し得ないのだろうか。
「人形を人間に近づけようとするのも、仮装人形アバターなんてものを作って人間の真似をさせようとするのも、機甲人形アーマードールという兵器に必要な機能だと俺には思えません」
「つまり〝自我を持っても感情を持たない〟頭脳が、本来正しい人形知能デーモンのあり方だと君は感じているわけだね」
「別にあなたの功績を否定したいわけではありません。ですが、どうして感情を持たない兵器にしなかったのか。俺はそれが知りたい」
「いや、君の言葉は私にとってこの上ない称賛だよ。君がそんな感想を抱くのは、私が彼女達にそれだけ豊かな情動を与えられたという証左だからね」
 文楽の抱いている疑問は、兵士になぜ戦うのかと問うのと同じだ。
 人形が感情を持つことに、疑問を持つ必要などない。否定する意味が無いからだ。
 彼の言葉をどう受け取ったのか、ゼペットはふむと鼻を鳴らして考える素振りをすると、一つ一つ整理するように語り始める。
「まず正しておくが、仮装人形アバターという存在は軍部の要望に応えて作られたものだ。人間らしさは人間全体にとって必要だから与えられた機能と言える」
 機体に乗っているとき以外もデーモンとコミュニケーションを取りたいという意見や、彼らを激励するための存在が必要とされてきたのは理解している。仮装人形アバター付きの機体を与えられることは、操縦士にとって何にも勝る名誉として、士気の向上にも一役買っていたのだ。
「兵器は戦場にさえ存在していればいい。そこに人間性が必要とは思えない」
「残念ながら、戦場の兵士のほとんどは君ほど強くない。兵士に引金ひきがねを引かせているのは、上官の命令ではなく彼ら自身の人間性だよ」
「ですが、人形を失ったことで戦えなくなってしまった操縦士も自分は数多く見てきました。やわな人間性に引金ひきがねを任せるべきではなかった」
 当時こそ理解できなかったが、今なら彼らの気持ちも理解できる。文楽自身もまた、同じ状態に陥りかけていた操縦士の一人だからだ。
 人形が感情を持つことが誤りだとは言わない。ただ、感情を持った兵器と共に戦えるほどの強さを、人類はまだ手にしていないと気づいただけだ。
「兵士も人形も〝戦うための存在〟です。要らない飾りを増やしたところで、戦いの中で削れ、掠れ、傷付いていくだけならば、そんなものならば始めから必要ない」
 肩を震わせながら、静かな声で淡々と言い切る。
 文楽はただ、苛立っているだけだった。レヴィアという半身を失ったことで、自分が無力な存在に過ぎないという事実を思い出してしまったことに。
 ゼペットは目線をフェレスの方に向けると、笑い話をするような軽い口調で俯く文楽に語りかけた。
「知っているかな、文楽君? まだ人工知能が今ほど発達していなかった時代、人々にとって最も身近なロボットは、機甲兵器などではなく家庭用のお掃除ロボットだった」
「は? ……ええと、資料で見たことなら」
 全く関係ないとしか思えない話をいきなり振られて、戸惑いながらも文楽は答える。
「あの、地雷のような形をした機械ですよね?」
「はっはっは! なるほど、地雷に喩えるとはね。まさしくそれのことだ」
 文楽の言葉によほど意表を突かれたのか、ゼペットは笑いを堪えながら言葉を続ける。
「その地雷のような形をした掃除用のロボットだが、実は元々〝地雷除去ロボット〟として作られた技術が応用されているんだ」
「戦場で使われるものだった、ということですか?」
「ああ、その通り。戦場で兵士の命を守る為に自分そっくりの地雷と戦っていた機械が、家庭の衛生を守る為に平和の中で働くようになったというわけだよ」
 箒を両手で握り締め、せっせと掃除をするフェレスを眺めながらゼペットは続ける。
「これは私の持論だが、戦いの中で役立つものが平和の中で役立つ可能性を秘めているなら、平和の中で役立たないものは戦いの中でも役立ちはしない……私自身、戦前は家庭用アンドロイドを設計する造形師だったからね。まさか、兵器用の人工知能に携わる日が来るとは思いもしていないかった」
「なるほど……ですが自分は、掃除は不得意です」
「馴れていけばいいだけさ。ここには時間がある。それに君はまだ若い」
 得意げに微笑むゼペットに、文楽は答えるべき言葉を見つけられない。
 ただ自分に『平和を学ぶべきだ』と言った、様々な人々の顔が脳裏を過ぎる。
 胸の痛みは、気が付けば溶けるように薄く消え始めていた。
「ゼペっ――いえ、学長!」
 突然格納庫内に、息せき切った大声が飛び込んでくる。
 基地に駐在している国防軍の士官らしい男が、格納庫の入り口からゼペットの元へと駆け込んできたのだった。
「こんな所に居たんですか!!
「おや、どうしたのかな。そんな血相を変えて」
 襟章を見る限り、この後方の基地では上から二番目ぐらいの階級を持つ人物だろう。おそらく基地司令の補佐官クラスだろう。
 このレベルの高官になると、学長の正体がゼペットであることも知っているらしい。
 訓練生である文楽をちらりと見た士官は、学長の耳元に口を寄せて小さな声で用件を伝える。自分のような学生に聞かせることができない事態が起きたのだろう――上官に敬礼を送りながら、文楽は状況を静かに推し量る。
 話を聞き終えたゼペットは深刻そうな表情でしばし悩んだ後、文楽の方を振り返った。
「文楽君。どうやら、君にもついてきてもらった方が良さそうだ」
「何かあったのでしょうか?」
「少々……いや、かなり厄介なことになったかも知れない」
 表情からは焦りも余裕も、どちらも感じられない。
 ただ、無表情なまま事実を淡々と告げた。
「〝妖精〟が一機、帰還していないらしい」
「……分かりました。フェレスに装備の点検と弾薬の補充を命じて来ます」
「待ちたまえ。弾薬庫の使用許可が下りていない」
「一刻を争います。許可は後で出してもらって辻褄を合わせればいい」
 文楽は許可の言葉を待たず、ゼペットたちに背を向けて機体の方へ駆け出した。
 横で話を聞いていた士官が、ぎょっとした表情で学長に詰め寄る。
「なぜ一介の訓練生に……いや。そもそも彼はどうして、出撃の準備を?」
「私にも分からないが、一つだけ理解できることはある。彼が慌てて準備を始めているということは、この基地に居る全員が一刻も早くそうすべきということだろう」
 ゼペットの言った通り格納庫はほどなくして、出撃準備のために集まった操縦士達と、機体点検のために集まった整備士達とで溢れる、騒乱の光景へと変じていった。

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