第四章 REINCARNATION(2)

 訓練も学校の授業もない、穏やかな日曜日。
 出入りする者は誰も居ないはずの訓練機用格納庫に、愛生文楽の姿があった。
 格納庫の入り口を潜り歩き始めた彼に、ふと真上から声が降り注ぐ。
『愛生訓練生。こんなところで何してるの?』
「うおっ!? ……な、なんだ。ルーシィ先生か」
 文楽は驚きの表情を、すぐさま気の抜けたものに変える。
 ほぼ真上の角度に目線を向けると、機甲人形アーマードール〈ルシフェル〉の黒い仮面を被ったような頭部が、じっと彼のことを上から見下ろしていた。
 機体の頭頂部にあるハッチが開閉し、中から仮装人形アバター姿のルーシィが、卵から孵った雛鳥のようにゆっくりと体を起こす。
「二人きりのときぐらい普通に呼んでいいわよ。あんたに先生とか呼ばれると、なんだか神経系に異常が出て原因不明の体温下降を覚えるのよね」
「素直に寒気を覚えると言ったらどうだ、ルーシィ」
 ルーシィは昇降用の脚立を使って、機体の頭部から文楽の目の前へ降り立つ。機体の中に格納されていたルーシィの仮装人形アバターの身体は、操縦士のパイロットスーツによく似た、肌に張り付く薄い布地の服を纏っていた。
 〝最強の兵器〟と〝最高の自我〟の名を欲しいままにするルーシィは、その仮装人形アバターまでも〝最高の美〟を求めて作られている。
見て喋ればいいのか解らない文楽は、目線をやや機体の方へ外しながら向かい合う。
「今日は授業ないはずだけど、こんな所に何の用?」
「機体の様子でも見ておこうと思ってな」
「それは別にいいけど、せめてこっち向いて喋りなさいよ。ほんと人形にしか興味ないのね。あんたが話しやすいと思ってこっちの体に着替えてあげたのに、機甲人形アーマードールのままの方が良かったかしら?」
「いや、有り難い申し出だが遠慮しておく。見上げてばかりだと首が疲れるからな」
「今さらだけど、あんたって普通の人間とちょっと基準ずれてない?」
「人間の校正基準なんてものがあったとして、それ通りの人間なんて居ないだろう」
「なるほど、一理あるわ。そんな人間、居たらそれこそ異常よね」
「……なんだか頭が痛くなってきた。この話はやめだ。俺は作業に戻るぞ」
 ルーシィは〈メフィストフェレス〉の機体点検を進める文楽に意地の悪い目線を投げかける。
「わざわざ整備してあげるなんて、意外とあの子と上手くやってるじゃない」
「いざというとき、あいつの調子が悪ければ俺が死ぬ。それだけだ」
「あら、冷たい言い方ね。本人が聞いたら泣くわよ」
「どう思われようが事実だ。泣いたところで性能が上がるわけじゃない」
「……やっぱり《蛇遣いアスクレピオス》の片腕には物足りない?」
 ルーシィから思わぬ鋭い角度の指摘を受けて、ぴたりと全身の動きが止まる。
「なぜ、そんなことを聞く」
「このままあなた達が二人で戦場に出ることになって、私の隣に並ぶ存在たり得るかって聞かれたら、答えは決まってるわ」
 ルーシィは紛うことなく最高の機甲人形アーマードールの一体だ。そんな彼女の見立てを否定するつもりはない。
 文楽は迷いながらも、問いに対してゆっくりと答え始める。
「フェレスは……人形として自我が弱い。そこが、気に入ないと言えば気に入らない」
 人間に隷属しない反抗的な人形ほど、言い換えればゲーティアに屈しない強固な自我を持っていると言える。人間の指示を聞かない人形ほど、自律性が高く人間の操縦を自発的にフォローすることが可能と言える。
 人間への反抗的な態度は、視点を変えてみれば優秀な人形の条件の一つでもある。
「性能については生まれたばかりである以上、あの程度でも仕方ない。だが性格だけはそう設計されて生まれた以上、変えるのは容易ではない」
「全くね。皆、私みたいに完璧で自信に満ちた性格だったら良かったのに」
「お前みたいな性格の人形しか居ないなんて、それはそれで人類にとっては過酷だな」
 ルーシィのような優れた機甲人形アーマードールが増えることは、人類にとって大きな利点だ――だが、彼女が抱えてしまった構造上の重大な欠点がただ一点存在する限り、彼女のような人形を生み出すことは人類全体が良しとしないだろう。
「まあ私も、人間に従順な人形なんて気に入らないしね」
「辛辣だな。一応あいつも、お前の妹の一人に当たるんじゃないのか?」
「何の話かしら?」
「あいつがゼペットから〝第八の大罪〟と判を押されているのは、お前も知っているはずだ。お前にとっても、他人というわけじゃないだろう」
「ああ、そんな話真に受けてるの?」
 ルーシィは急に冷たい口調になって言い放つ。
 いや、そもそも彼女の本質は、今の有機体の身体からだにはない。冷たい金属の機体からだこそが彼女の本来の姿であり、感情の基準温度なのだ。
「第八の大罪なんて、いかにも取って付けたみたいじゃない。《七つの大罪セブン・フォール》は七体いれば充分なのよ」
「だが、今は六体だけだ。レヴィアは既に居ない」
「だから欠けてしまったら代わりで補えばいい――八体目なんて、そんな意図としか私には思えないわね」
 人類最初の機甲人形アーマードール〝傲慢〟の〈ルシフェル〉を始めとする《七つの大罪セブン・フォール》は、あらゆる戦場にその勇名を刻みつけてきた。
 今や人類にとって彼女達七体の名は信仰の対象。文字通りの偶像的存在だ。その一柱が欠けたことの衝撃は、まさしく人類の精神的支柱を崩すことにもなりかねなかった。
「〝虚飾〟って要するに《七つの大罪セブン・フォール》を完全無欠に見せるための装飾品って意味なんじゃない?」
「……そうは言うが、あいつに他の六体と同じ働きを求めるのは難しいだろう」
「あんたと組ませさえすれば、補欠ぐらいにはなるわよ」
「それは人のことを買いかぶりすぎだ」
「この私に褒められてるのよ? 泣いて喜ぶぐらいしたら?」
 ルーシィはどこか不機嫌そうな様子で文楽に向かって詰め寄る。
 欠けたら代わりで補えば良いという文脈に、彼女が不快感を示すのも理解できる。
 彼女にとって《七つの大罪セブン・フォール》の名は誇りだ。同じ名前を持つ機体を姉妹のように思うと同時に、その名が傷つくことを不快に感じて当然だろう。
 不機嫌そうな表情で吐き捨てるルーシィに、文楽はたしなめるように言葉を返す。
「そもそも、あいつの〝虚飾〟の名前はおそらく別の意味だ」
「へー。この私が考えた推理より的確な答えがあるっていうの?」
「俺自身まだ疑問なんだが……どうやらあいつは、嘘がつける人形のようだ」
「……それ、本当なの?」
 ルーシィは信じられないとでも言いたげに、目を丸くして問い返す。
 なぜなら、人形知能デーモンは人間に自発的な嘘をつくことができないからだ。
 【三原則】が外された今も、決して取り除かれることのない最後の制約――その禁止機構は制作者であるゼペットの名から【誠実の鼻】と名付けられている。
 その名の通り、嘘をつくと鼻が伸びる――というわけではない。ただ、嘘をつきたくならないように、仕組まれているのは事実だ。性格造型の段階で、嘘をつくことに強い忌避観を抱くよう、共通した規格が与えられている。
 だが〝似通った性格付け〟と〝自我〟という要素は相反する性質のため、できることなら外したいのが造形師達の本音だろう。
「【誠実の鼻】は、人形にとって人間が課した唯一の鎖だ。三原則を敢えて外そうとしたあの男なら、更なる強固な自我を求めて、最後の禁則を破ったとしても不思議じゃない」
「確かにお父様ならやりかねないわね……でも、それって何か役に立つの? 乗ってるあんたが困るだけだと思うけど」
「さあな。ただ、あいつの嘘は分かりやすい。今のところ、まだ困ってはいない」
 話を聞いて納得した様子のルーシィは、呆れたように大きなため息を吐く。
「あなたって本当、苦労ばかり押しつけられてるわね……ま、あなたに見合う人形なんて、そもそもそう簡単に見つかるわけないんだど」
「いや、一体だけなら心当りはある」
「ほんと? そんなの、どこに居るのよ」
「どこも何もここだ」
「……は?」
「だから、お前のことだ。ルーシィ」
 想像もしない答えだったのだろう。ルーシィは目を丸くして驚いている。
「お前ほどの性能なら、願っても――」
「冗談言わないで。それだけは、あんたでも許さない」
 人差し指をびしっと文楽の鼻先に突きつけて、ルーシィは断固とした口調で言い放つ。
「確かにあなたのことは優秀な操縦士だって認めてる。けど、人間ごときが私に乗ろうだなんて一千万年早いわね」
「……分かっている。済まない、今の言葉は撤回する」
「まあでも、《蛇遣いアスクレピオス》が唯一認める人形っていう部分だけは、悪い気がしないから覚えといてあげてもいいわ」
 くすくすと笑うルーシィに、文楽は苦笑して肩を竦める。
 ルーシィという人形知能デーモンには、たった一つ大き過ぎる〝構造上の欠陥〟が存在する。
 それは、人間が自分に搭乗するのを絶対に許さないことだった。
 生まれ持った自我が強すぎるあまり、人間を自身の機体に乗せることを頑なに拒み、十年間誰一人操縦席に入れたことがないのだ。
 操縦士の居ない機甲人形アーマードールでは十分な性能を発揮できない、というのが一般的な常識である。
 人間を乗せない自律稼働スタンドアローンでの運用を前提とした、いわゆる自律型人形ドローンと呼ばれるタイプも存在することにはする。
 だが偵察用など限定的なものに限られ、戦闘能力は決して高くはない。
 しかし生まれてから実に十数年の間、ルーシィは自分一人で全ての戦場を戦い抜き、多大な戦果を上げ続けている。そんな無茶が許されてしまうのは、機甲人形アーマードールの第一号として彼女が持つ規格外の性能と自我の高さ故だ。
「大体ね。人間には理解できないかも知れないけど、人を自分の中に乗せるって、自分の中に自分じゃない存在が入り込んでくるってことなのよ? そんなの、気持ち悪いと思って当然じゃない!」
「それなんだがな……ルーシィ。生物というのは、大昔から連綿とそういう作業を続けることで繁栄してきたという話だ。以前、隊長から聞いたことがある」
「ほんっと信じられないわ! 私、自分が人形知能デーモンに生まれて良かったって心の底から思ってるんだから」
「なるほど。だがその反応は、ある意味すごく人間らしい」
「ちょっと何よそれ! からかってるの?」
 色白な頬を真っ赤にして怒るルーシィは、睨み付けるような目線を文楽に向ける。
「それより、いいのかしら? 自分の人形があるのに『お前に乗りたい』なんて、他の人形にちょっかいかけたりして」
「別に誰彼構わず言っているわけじゃない。この手の言葉を自分から言ったのはお前が初めてだ。お前ほど優れた機甲人形アーマードールなんて、そうは居ないからな」
「ふ、ふんっ。その通りよ。わかってるじゃない! ……いや、そうじゃなくて」
 ルーシィは真っ直ぐに文楽の方へ――その背後へと向けて、人差し指を向ける。
「あんたの後ろ。さっきからずっと話聞いてるわよ、あんたの可愛い人形が」
「なっ、なに!?
 文楽は珍しく慌てふためきながら背後を振り返る。
 柄の長い箒を両手で抱くように握り締めて、小刻みに体を震わせるフェレスの姿がそこにあった。
「お……お前、聞いてたのか?」
「なんのことでしょうか?」
 みしぃっ。
 フェレスの握る箒の柄が、骨の軋むような音が鳴らす。
 表情には微塵の怒りも浮かんでいない。ただにっこりと微笑んでいるだけだ。
 とてつもなく不気味だ。背筋に今まで感じたことのない怖気が走る。
「え、えっとその……すまない、フェレス。頼む、許せ」
「どうして謝るんですか? 私は何も聞いていませんけど」
 ぼきぃっ。
 フェレスの握り締める箒が、派手な音を立てて真っ二つに折れた。
「あ、箒が折れてしまいました。古くなっていたみたいですね」
「いや、新品でしかも鉄製に見えるが……」
「私、代わりのものを探してきますので、どうぞお続けになってください」
 微笑みを崩さぬまま、フェレスは文楽に背を向けて格納庫から歩き去って行く。
 ただ見送ることしかできない文楽に、ルーシィが他人事のように感心の声を上げる。
「なるほど、面白いわね。嘘のつける人形っていうのも」
「気楽に言ってくれるな。こっちは大変なんだぞ」
「やり込められるああんたが悪いのよ。あなたってほんと、操縦以外はポンコツよね」
「……それは自分でも気にしている」
 文楽はフェレスの出て行った格納庫の入り口を呆然と見つめながら応えた。
「でも……ちょっと意外。あの子のこと、わりと気に入ってるみたいじゃない」
「今の光景を見た後でよくそんなことが言えるな。嫌味か」
 ルーシィはくすっと小さく笑いを零しながら言う。
「だってあの子のことで愚痴を言ったり、色々悩んでたりするのは〝どう付き合っていけばいいか〟考えているからでしょう?」
「……知ったようなことを言うな」
 フェレスが去って行った格納庫の入り口を見つめながら、文楽はふと呟く。
 どこか虚ろな色を瞳に宿しながら。
「どんな形であれ、いつか別れるときはくる――そんなものに気を使っても、自分を無駄にすり減らすだけだ」
「あら。それじゃあこの私と喋ってるこの時間も、あんたは無駄だって言うの?」
「お前だけは例外だ。お前が墜ちるところなんて想像できないし、もしそんなときが来たら人類の滅亡は決まったようなものだ」
「ふふっ。それは悪くない答えね、愛生訓練生」
 言葉を聞いたルーシィは上機嫌そうに鼻を鳴らして、格納庫を後にする。
 ただ旧知の間柄だというだけではない。永遠と信じられる存在だからこそ、あの傲慢な彼女に自分は心を許しているのだろう。そう文楽は気が付くのだった。

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