第三章 HEART TO HEAR(5)

 波乱の初訓練を終えた愛生あおい文楽ぶんらくは、食堂で配膳を待つ列にトレイを携え並んでいた。

 基地内にある食堂は、駐屯している軍人や別課程の訓練生、そしてその教官などかなり多くの人間が入り乱れていつも混雑している。席は既にフェレスに確保させておいた。

 文楽は自分の順番が近づいてくるのを見て、ポケットの中に手を入れ食券を取り出す。訓練生には予め食券が授業の日数分配給されていた。

 食堂で働いているのは、基地の周辺に住んでいる民間人の主婦がほとんどだ。食券を受け取るために、優しい笑みを浮かべた女性職員が手を差し伸べてくる。

 食券を渡そうと手を伸ばそうとしたのと同時、後ろから三枚分の食券を握った手が、目の前に割り込んできた。

「昼食、私に奢らせてもらっていい?」

 驚いた表情で振り返ると、そこには同じクラスの女子生徒、桂城けいじょう留理絵るりえの姿があった。

「もちろん、フェレスちゃんの分も」

「いや。気持ちは有り難いが、厚意を受ける理由が無い」

「断る理由も無いでしょ? ほら、後がつかえてるわよ」

 にこりと微笑んだ留理絵は、有無を言わさず三枚分の食券を職員に手渡す。職員は馴れた手つきで料理の盛られた皿を文楽のトレイの上に並べていく。

「……理解出来ないな。何が目的だ」

「そう勘ぐらないでよ。これ、君のおかげで儲けたから、そのお礼」

 留理絵は自分の分の料理を受け取りつつ、ポケットの中から大量の食券を取り出して見せつける。その量は十数枚近くあるようだ。

「さっきの訓練中、クラスの皆が賭けを始めたでしょ? 『あの転校生が訓練中に一体何回墜落するか』って」

「なるほど、お前はその賭けに勝ったというわけか」

 前線の兵士達は何かにつけて、煙草や酒を賭け金代わりにした賭け事をしていた。たとえ後方の訓練学校であっても、人の本質が変わるものではないらしい。

 昼食を受け取った文楽は、フェレスに確保させておいた席へ向かって歩き始める。

 ぴったりと隣に並んでついてくる留理絵に向かって、文楽は不思議そうに問いかけた。

「だが、その異常な数はどうしたんだ」

「皆は2回とか3回に賭けてたけど、0回に賭けたのは私一人だった。それだけよ」

「……なるほど。俺はその連中から、恨みを買ってしまうな」

「恨まれるなら私も同じよ。まあ今日は皆、訓練後で目が回ってまだ気持ち悪いみたいだから、昼抜きでも困らないでしょうね」

 彼女が持っていた食券の枚数から見るに、相当の生徒が自分の墜落に期待していたことになる。喧嘩を吹っ掛けてきた不良生徒達といい、問題は山積するばかりだ。

「だがせっかく雅能から忠告を受けたのに、また反感を買う理由を増やしてしまった」

「あはは。別にいいじゃない。あんな人達と仲良くしても、どうせ君のためにならないわよ」

 文楽の気持ちを知ってか知らずか、留理絵は明るく笑いながら言う。

 文楽は意外そうに目を丸くして、まだ笑い声を上げている同級生に問いかけた。

「彼らは君の級友じゃないのか?」

「君も私の級友じゃない。愛生君」

「それはそうだが……おい、ちょっと待て。どうして目の前に座るんだ」

 文楽がフェレスの隣に座ると、留理絵は当たり前のような顔をして正面の席に座った。

「いいじゃない。級友なんだから、昼食を一緒に取っても」

「文楽さん。あの、この方は……? 確か、先ほどお話していた方ですよね」

「ごめんねー、フェレスちゃん。二人っきりのところ邪魔しちゃって」

「えっ!? な、何を仰ってるんですか!」

 顔を赤くして押し黙ってしまうフェレスに、留理絵はのんきに自己紹介を始める。

「私、桂城留理絵。ちょっと愛生君のこと貸してもらっても良いかしら?」

「いえ、お貸しするだなんて、そんなとんでもありません……」

 昼食を奢ってもらった手前「どこかに行け」と言うこともできない。気付かぬ間に段々と彼女のペースに乗せられてしまっている自分に、文楽はようやく気が付くのだった。

 二人の会話を聞き流しながら、文楽はただ淡々と昼食に箸をつけ続ける。

 と、不意に留理絵の背後から訓練生の男が声を掛けた。

「なあ桂城。そんな奴ほっといて、こっちで俺達と一緒に飯食わないか?」

 訓練生の男は、背後に見える複数の男子生徒が座っている席を指で示しながら言う。

「チっ……今いいとこなのに」

 背後の男からは見えない角度で、留理絵は露骨に嫌そうな顔を浮かべて舌打ちをする。

 そして、優等生然とした穏やかな笑顔を浮かべてから背後の男の方を振り返った。

「ごめんなさい。せっかくだけど私、自分より操縦の下手な人達に興味無いの」

「冗談キツいな。じゃあどうして、そんな下手くそと一緒に飯なんか食ってるんだ?」

「えっと、それは……」

 留理絵は困った表情で助けを求めるように、ちらりと文楽の方を見る。だがこのまま彼らと一緒にどこかへ行ってくれた方が有り難いので、黙々と箸を進める。

 訓練生の二人組が留理絵の肩に手をかけたそのとき、文楽の隣に座っていたフェレスが不意に立ち上がって口を開いた。

「あの、お答えします。文楽さんから桂城さんをお誘いしたんです。彼女の操縦がお上手でしたので、そのコツを是非教えていただきたいと」

「ふーん。意外と勉強熱心だな、転校生」

 明らかに上っ面だけとしか思えないお世辞に、文楽は適当に手を上げて応じる。

「そういうこと。君達も一緒に、留理絵先生の講義を受けていく?」

「勘弁してくれよ。飯のときぐらい、訓練のことなんて忘れたいぜ」

 訓練生の男は手で大きく×バツを作って示しながら、男子生徒達のグループに戻っていく。

 文楽は若干残念そうな表情を浮かべると、ため息を吐くような声で呟いた。

「……まったく。お前は本当に嘘が上手い人形だな、フェレス」

「別に私、嘘が得意なわけじゃ……」

「せっかくの数少ない取り柄なんだ、自慢に思っていい」

「ひ、ひどいです! 私、ダメな人形じゃないです!!

 目の端に涙を溜めて必死に抗議するフェレスに、留理絵がすっと料理の皿を差し出す。

「私はおかげで助かったわフェレスちゃん。良かったら私の分のデザート食べる?」

「桂城さん、いいんですか? で、ではえっと……少しだけ」

 留理絵は楽しそうに果物をフェレスへ差し出しながら、文楽へ問いかけた。

「……でも珍しいわね。嘘が得意な人形なんて。やっぱり新型だから?」

「さあ、俺にも分からない。組んでまだ数日しか経っていないしな」

 フェレスもまた、〝第八の大罪〟という曰く付きの機体だ。

 どこから秘密が漏れてしまうか分からない。文楽は曖昧な言葉ではぐらかす。

「じゃあ、別の質問。何か操縦にコツとかってあるの?」

「成績上位の君が、成績最下位の俺に教えを請う必要があるのか?」

「だって私、同時に三人も相手にして無傷であしらう方法なんて知らないもの」

「……コツなんて俺も知らない。同じことを長く続ければ、誰だって上達する」

「ふうん。じゃあつまり君は、長く多く機甲人形アーマードールに乗る機会があったんだ」

「うぐっ」

 にやりと笑みを浮かべる留理絵に見つめられて、文楽は料理を喉に詰まらせる。

「……フェレス。今のも上手く誤魔化してくれ」

「文楽さん。あの、それはちょっと……」

「お前は操縦士の頼みが聞けないのか」

「ひどいです! 無茶ぶりです!」

 フェレスの必死な抗議の声も、文楽の耳にはあまり届いていない。

 背中が嫌な汗でじっとりと濡れていくのを感じる。

「君は何が目的なんだ。いや、何が知りたい」

「だってこんな後方の田舎だと、君みたいなよそから来た人間って結構珍しいのよ。人の出入りも滅多に無いから、住民全員が顔馴染みみたいなものだし」

「つまり、俺は貴重な娯楽だと言いたいんだな」

「そこまで明け透けな言い方はしたくないけど……まあ、そうなっちゃうかな?」

「悪いがそれほど面白い話はできない」

「えーっ。私は今も充分、楽しんでるんだけどなあ」

「俺は面白くない」

 焦りのせいでろくに味わうことも無いまま昼食を食べ終えた文楽は、一刻も早くこの場を離れようと席を立ち上がる。だが逃すまいとばかりに、留理絵はとんでもない言葉の追い打ちを投げかけた。

「ねえ。愛生君さえ良かったら、今日の授業が終わったら、私の部屋に来ない?」

「……は?」

「だ、だめです文楽さん!」

 答えに窮する文楽を差し置いて、フェレスが咄嗟とっさに割って入った。

「ご学友とはいえ、女性の部屋に上がり込むだなんて駄目です! 不純です!」

「ふーん。なになに? やきもち妬いてるの、フェレスちゃん?」

「そ、そうじゃありません! ただ私は、あらぬ噂が立たないかと心配なだけで……」

「じゃ、フェレスちゃんも一緒においでよ。もし愛生君が貞操の危機に見舞われたとしても、あなたが守ってあげれば問題無いでしょ?」

「て、貞操の危機を見舞うつもりなんですか!?

「やだもー冗談に決まってるじゃない。フェレスちゃんのえっちー」

「うっ……桂城さん! からかわないでください!!

「まあまあ、せっかくだし私の着なくなった服とか余ってる化粧品とか、フェレスちゃんに分けてあげたいと思ってるんだけど。それでもダメ?」

「お、お洋服ですか!? えっと、あの、その……ひ、卑怯です! ずるいです!」

 留理絵は見事にフェレスを手玉に取りながら、自分の思い通りに話を進めていく。

 散々フェレスをからかった留理絵は、満足げな微笑を浮かべて文楽を振り返る。

「私の部屋なら誰かに聞き耳立てられる心配なく色々話せると思うけど、どう?」

 たとえ何か彼女に企みがあるとしても、これだけ疑いをかけられてしまっている以上、避けるわけにもいかない。

「……分かった。俺も君に、興味が湧いてきた」

「ほんと!? ふふふ、やったぜ」

「文楽さん!? 興味ってどういう意味ですか!」

「どうもこうもあるか。いいから食器を片付けるぞ。次の授業に遅れる」

 彼女が敵か味方か――それを確かめるためだけでも、この誘いに乗る価値はあるだろう。

§

 桂城けいじょう留理絵るりえに招かれた文楽とフェレスは、彼女の部屋に揃って上がり込んでいた。

 女子寮とはいえ同じ訓練生。そこまで部屋の内装に変わりはないはずと思いきや、まるで同じ間取りとは思えない様相だった。

 明るい色の壁紙に、凝ったデザインをした木製家具。調度品の一つ一つも鮮やかな彩りのものばかりだ。家具の選択だけで、ここまで雰囲気が変わってしまうのかと文楽は思わず感心してしまう。

「お待たせ、愛生あおい君。紅茶しか無いけど良かった?」

「ああ。構わない」

 しげしげと興味深そうに文楽が部屋を見回していると、お茶の用意を載せた盆を持って、部屋の主である留理絵が姿を現す。

「さて。これで、誰も邪魔者は来ないわね」

 扉を閉めながら、留理絵はにやりと薄気味の悪い笑みを覗かせる。

 文楽の本能が、速まる鼓動に乗せて全身にくまなく緊張と警戒を送り始めた。

「このときをずっと待ってたのよ!!

「……どういうつもりだ?」

――やはり何か裏があったか。

 同級生の少女だったはずの存在は、肉食獣のようにぎらついた眼光で文楽とフェレスを睨み付ける。薬が切れかかったときの中毒者がちょうどこんな感じだ。ときどき隊長もああいう目をしていた。

 文楽は腰を低くして身構え、彼女の次なる行動へと備える。

 同時、留理絵が猫のようなしなやかさで跳躍した。

「もう、我慢できないっ!!

 留理絵は身構える文楽――の横を綺麗に素通りして、彼の横で首を傾げていた仮装人形アバターの少女――フェレスに、獲物に飛びかかる猫のごとく襲い掛かった。

「フェレスちゃぁあん! ぎゅってさせて!! ぎゅって! ぎゅううううっ!!

「き、きゃああああっ!?

 ついさっきまで才色兼備な優等生だったはずの少女は、今や完全な野獣と化して両腕でフェレスに抱きついている。

 酒に酔った隊長も、よくこんな感じで女性隊員に抱きついては引っぱたかれていたなと遠い記憶に思い起こされる。

 いや、現実から目を背けている場合ではない。

「……桂城、説明しろ。これは、どういうことだ」

「ずっとフェレスちゃんのことが好きだったんだよ!!

「人の話を聞け!! それで説明のつもりか!?

 留理絵は文楽のことを完全にスルーしてフェレスに激しい頬ずりを続ける。

 されるがままの仮装人形アバターは、困った表情で自分の操縦士に助けを求める。

「ぶ、文楽さん! 助けてください!」

「言ったはずだ、フェレス。自分の身は自分で守れ。俺はこの状況に呆れるので忙しい」

「そんなっ! ひどいです!!

 下らない結末に文楽はため息交じりに胸をなで下ろしつつ、二人の様子を見守る。

 単にじゃれあっている分には問題も無いだろう。ただ体中をあちこち触ったり、頬ずりをしたり、服を脱がそうとしているだけ――

「桂城。待て、さすがにそれはよせ」

「あ、やっぱりここから先は別料金? いくら払えばいい?」

「そんなシステムは無い。あと口元のよだれを拭け」

 フェレスにずっと引っ付いていた留理絵は、渋々といった表情で両腕を放す。

 一連の騒動の後には、ほくほくと満足そうな笑みを浮かべる少女と、服を半分ほど脱がされた状態でさめざめと泣く仮装人形アバターの少女だけが残った。

「……なるほど。これが人形偏愛者ピグマリオンという人種か」

「ふふふ。実は私はこういう人間だったのよ!」

「できることなら知りたくなかった」

 さすがの文楽もどん引きである。

「まさかとは思うが……最初からこいつが目的で俺に近づいたのか?」

「ほら、言うじゃない。『将を射んとせばまず馬を射よ』って。その故事にのっとって、君と仲良くなるためにまずはフェレスちゃんと親密になろうと思っただけよ」

「俺に学がないのは認めるが、そんな嘘に騙されると思われているなら心外だな」

「はい、嘘です。最初からフェレスちゃんへの不純な行為が目的でした」

「あからさまに言われてもそれはそれで困る」

 周囲の目が無いところで、フェレスに襲いかかるのが彼女の目的だったらしい。

 自分の不安が全くの見当違いであったことに、文楽は呆れを覚えながらも安堵する。

「ほんとフェレスちゃん可愛いなあ……人形と結婚できる法律とかできたらいいのに」

「君の場合、まず性別の方が問題だろ」

「じゃあ、愛生君が私と結婚する? そうすれば君もフェレスちゃんも私のものだ」

「何言ってんだお前」

 なぜか得意げな表情の留理絵に、文楽は冷め切った目線を送る。さっきまで「君」と呼んでいたはずが「お前」に変わっていることに、言った文楽自身も気づいていない。

 文楽はほとほと呆れ果てた表情で座布団の上に腰を下ろす。泣き止んだフェレスも、やや留理絵と距離を置いたかたちで同じく腰を下ろした。

 やっと室内に落ち着きが戻ってきたところで、文楽は改めて室内の様子を注視する。

 ふと室内を見渡してみれば、本棚には教科書や参考書に混じって一風変わった蔵書が散見される。どうやら戦前に書かれた貴重な紙媒体の本らしい。

 『ガールズウントヴァンツァー』『ロボットだけどAIアイさえあれば関係ないよねっ』『中量二脚でも恋がしたい!』等々――なんだかよく分からないタイトルばかりだ。

「なるほど、よく見ればやたら先鋭的な趣味をしてるらしいな」

「今や失われて久しい戦前の貴重な文学作品の数々よ。良かったら貸してあげるけど?」

「興味は無い。文章を読むのは苦手だ」

 留理絵はテーブルの上に紅茶の注がれたカップを文楽とフェレスの前にそれぞれ並べる。身のこなしはたおやかで礼節をわきまえた美人なのだが、中身が〝あれ〟と分かった今は変な薬とか入れられてないか若干不安だ。

「〝文を楽しむ〟って名前なのに、もったいないなあ」

「この名前は、別にそういう意味じゃない」

「そうね……確かに本来の意味の方が、君にはぴったり合ってるし」

 文楽――それは、日本に古来から伝わる絡繰からくり人形を使った劇の名前。隊長は自分にこの名前を与えるとき、そう由来を説明していた。

 見えない刃の切っ先を、喉元へ突き立てられているのを文楽は感じる。

「そろそろ聞いてもいいわよね。君は一体、どこの誰なの? 愛生文楽君」

「どこの誰、と言われても……お前の興味の対象はフェレスじゃなかったのか」

「一番目はね。でも、君にも興味があるのは事実よ」

 留理絵はテーブルに身を乗り出すと、文楽の目の前にまで顔を近づけて押し迫る。

「軍人の娘という立場で、成績も優秀で、パイロット適性も今期でトップ。そんな完璧な私ですら仮装人形アバター付きの機体は与えてもらえなかった……なのに、どうしてどこからか転校してきた君がいきなりフェレスちゃんを与えられたのか、ずっと疑問だったの」

「なるほど。お前の首席としてのプライドを傷つけたのならば謝罪する」

「そんなちっぽけな私情は関係無いわ。ただ、私もフェレスちゃんとただれた青春を送りたかったとは今も切実に思ってるけど。ほんと羨ましい! まじで許せない!!

「それについて謝罪するつもりは一切無いからな」

「でも、この疑問は君の操縦を目にして全部納得できた。あんな高度な操縦、普通の訓練生には……いいえ。それどころか、この基地に駐屯してる正規の操縦士全員を含めても、できる人間一人だって居ない」

「お前は俺の耳を褒めてくれたが、そっちも良い目をしているようだ」

「これはあくまで私の妄想だけど……君はもしかして、機甲人形アーマードールを操縦して戦った経験がある人なんじゃない?」

 瑠璃るりのような深い色の瞳にじっと見つめられて、文楽は何も答えられないでいる。

「少なくとも、今まで一度も機甲人形アーマードールに乗ったことが無いなんて、あり得ないと思う」

「……その妄想とやらは、誰かに話したのか?」

「ううん。人が必死に隠そうとしてることを言い触らすなんてしないわよ。私自身、本性を隠して生きてる人間なんだから」

「なるほど。初めて信頼できる言葉をお前の口から聞いたな」

 ここまで追い込まれてしまっては、言い逃れもできそうにない。

 確認を求めるように視線を送ると、フェレスは黙ったまま頷き返す。文楽は深く息を吐いてから、静かに言葉を続ける。

「俺が今回の誘いを受けたのは、お前が味方になってくれるかどうか確かめるためだった。味方として信用できるなら事情を話してもいい」

「味方って、何か敵が居るの?」

「この訓練学校という環境、そのものが敵と言ってもいいな……例えば普通教育の授業であるとか、そういったものだ」

「えっと……それはつまり、勉強を教えてくれる友だちが欲しいってこと?」

「ここの文化に従って言えばそういう言い方になる。それに、正体を隠す手伝いをしてくれれば有り難い。お前は今まで巧妙に本性を隠してきた人間だ。非常に心強い」

 文楽の意外な申し出に、留理絵はくすくすと押し殺したように笑いを零す。

「なーんだ、もう。深刻な顔するから、どんな話かと思って緊張しちゃったじゃない。もちろん私はオッケーよ。その代わり、フェレスちゃんのことたまに貸してね」

「本人が良いと言えばな」

 隣に座るフェレスは必死に首を横に振っていたが、この際無視することにした。

 文楽は居住まいを正して、ゆっくりと自分のことを語り始める。

「結論から言うと、お前の想像通りだ。俺は南部の戦線で、操縦士として戦っていた」

「えっ、南部から来た人だったの! 東京の死線デッドラインをどうやって越えてきたの!?

 現代における東京――それは日本国内における最大規模の汚染地帯だ。

 そして同時に、日本に生き残った全ての人類にとっての最終攻略目標でもある。

 関東に存在する最大規模の電波塔、天空樹スカイ・ツリーを中心とした一帯は、電波密度が非常に高く、かつての人口密集地帯には数多くの機甲兵器が未だ多く集まっている。

 結果、関東を境目として、日本の南部と北部は互いに別の国と言っていいほど分断されてしまっている。年に数回、日本海側の陸路を通って物資の行き来があるだけだ。

「南部から送られてくるなんて、よほどの高官じゃない限りあり得ないわ。輸送にかかる経費も危険性も馬鹿にならない」

 輸送ルートが存在すると言っても、決して安全というわけではない。ゲーティアの襲撃に備えて機甲人形アーマードールによる厳重な警護を要する上、別地点に囮を出撃させたりと大がかりな輸送作戦を展開する必要がある。

「東海地区の戦場でそれなりの働きはしたからな。もっとも、その戦いで乗っていた機体を失い、世間では死人として扱われることとなってしまったわけだが」

「死人として扱われてるって、それって、まさか……」

 その条件に当てはまる人物の名前に、留理絵は行き着いてしまったのだろう。

 顔を真っ青にして、教室では見せたことの無い慌てふためいた表情で大声を上げる。

「な、何かの間違いでしょ!? ただの思春期特有の過度な妄想から来る脳内設定だったりとかしない!?

「言ってる意味はわからないが、証拠と言えるようなものならある」

 文楽は首から下げているネックレスを襟元から引き抜くと、留理絵に示した。

 指輪に刻印されている名は、〝嫉妬〟の大罪を司る海蛇の怪物――

機甲人形アーマードール〈リヴァイアサン〉。これはその認証印、レヴィアの形見だ」

「ほ、本物の《蛇遣いアスクレピオス》……実は生きてるって、えええっ!?

 極度の恐怖を味わったかのように、留理絵は口元を激しく震わせながら声を漏らす。

 震えを抑えるように、テーブルに両手を叩き付けてから大声で叫んだ。

「あ、愛生君! 自分がどれだけすごい人間か、分かってないの!? ……で、ですか?」

「少なくとも、お前がいきなり敬語になるほどではあるらしい」

「だって《蛇遣いアスクレピオス》って言ったら教科書にも載ってるような英雄じゃんですよ!?

「英雄なんて言われ始めたのは死んだことにされた後だ。空っぽの墓に敬意を表されたところで、俺には何の関係も無い。それと無理に敬語を使うな。お互い、友人として付き合うはずではなかったか」

「そ、それは確かにそうでありますなんだけど……」

 まだ動揺が収まっていない様子の留理絵は、ふとフェレスに問いかける。

「その、フェレスちゃんは最初から全部、事情は知ってたのよね?」

「え? はい、もちろんです」

「その……緊張とかしないの? 伝説的な人形遣いパペット・マスターが自分の操縦士パートナーなのよ?」

「あまり考えたことはありません。だって、文楽さんは文楽さんですから」

「そっかあ。フェレスちゃんはいい子だなあ……ああ、嫁にしたい」

 動揺を抑えるためなのか、留理絵はフェレスの頭を優しく撫でながらひとまずの落ち着きを取り戻そうと試みている。

「で、でも、そんなとんでもない事情隠し持ってたなんて……愛生君、目立たないようにもっと普通にしてた方がいいわよ」

「〝普通〟か……剣菱けんびしにも言われたな」

 文楽は遠くを見るような目で、カップに注がれた紅茶の水面を見つめながら続ける。

「俺が居た南部の戦場では、お前達が言うような〝普通の人間〟は皆、戦場の中で擦り切れて、様々なかたちで戦場から姿を消していった」

 仮にそうやって戦場の過酷さに耐えきれず死んでいく人間を〝普通〟と呼ぶのなら、人類はゲーティアの手で滅ぼされるのが当然の種だというようなものだ。

 文楽の言葉は、暗にそういった意味をにじませていた。

「ご、ごめんなさい。私、軽率なこと言ったみたいで……」

「いや、責めるつもりは無い。ただ理解して欲しかった。俺には戦場の噴煙よりも、この平和という空気の方が息苦しいと感じている。ここに来た日から、ずっとそうだ」

 水中を自由に泳げる魚も、一度ひとたび陸に上がればおぼれてしまう。空を自由に飛べる鳥も海の中では水底へ落ちてしまう。きっと同じことなのだろう。

 正体を隠す必要が無い、普通の世界で育ってきた同世代の友人。

 そんな留理絵だからこそ文楽は初めて肩の荷を下ろして本音を漏らすことができた。

「でもどうして、あの《蛇遣いアスクレピオス》がこんな訓練学校に?」

「身分を抹消された以上、戦場へ戻るにはこうするしかなかった。訓練学校に入り、もう一度正規の操縦士として軍へ入り直すしかなかった。それがここに居る理由だ」

「そこまでして、もう一度戦場に行きたいの……?」

 留理絵は唇をぐっと噛みしめると、決心した様子で文楽に正面から問いかけた。

「えっとさ……軍人を辞めて、平和の中で生きていく選択肢は考えなかったの? 普通学校に入って、別の道を探すことだって後方ここでならできるのに」

「……お前は、本当に嫌なことばかり気が付くな。桂城」

 文楽は留理絵の言葉によって、自分の本心に気づかされたような気がした。

 東海州が奪還されたことで戦後という概念が輪郭を持ち始めた今、戦いを忘れて生きる道は選べたはずだ。

「ただ、平和の中で生きていく自分が思い浮かばなかった。自分がこの世界に居ると自覚した瞬間から、俺は戦場に居たんだ」

 《蛇遣いアスクレピオス》の名と共に戦い続けることは、文楽にとって自分という存在の証明そのものだった。〈リヴァイアサン〉の操縦席だけが《蛇遣いアスクレピオス》にとってこの世界でたった一つの自分の居場所だった。

「じゃあ、いつか戦いが終わる日が来たら、君はどうするの?」

「俺は、死ぬべきだったのに生き残ってしまった人間だ……この世界に戦いがある内に戦いの中で死ねればいいと、願っているのかもしれない」

 自分はきっと、終わらない戦いを続けることより、戦いを奪われてしまうことの方が怖いのだ。口に出したことで、初めてそう自覚することができた。

 心からすっともやが晴れていくような気がした。

「そんなのおかしいです!」

 だがそんな彼の本心を否定したのは、怒りがにじむフェレスの大声だった。

「文楽さんは平和のために戦ってきたんでしょう? なのに、その平和が要らないなんて、そんなのおかしいです! 自分が料理を作って自分だけ食べないみたいで!!

「その例えの方がおかしい……大体、お前もそう考えたことはないか?」

「私、ですか?」

「世界が平和になったとき、俺のような兵士も、機甲人形アーマードールも必要無くなる。こうしている間にも、戦いは少しずつこの世界から消えていく……俺は、全てが消え失せた後で生きていく自信が無い。平和な世界で自分を見失っていくことに、耐えられそうにない」

 室内の空気がしんと静まりかえり、フェレスは言葉を失ってうつむいてしまう。

 だがそんな空気の中、留理絵が耐えかねたように口を開いた。

「愛生君……なんかさ。それって、調子に乗ってない?」

「な、なんだと?」

「だって、昨日今日戦場に出てきた人間がドヤ顔で『俺は戦争に向いてない』とか言い出したら、文楽君だって『素人がなにナメたこと言ってんだ』って思うでしょ?」

「それには同感だが……」

「それに、どんなことでも長く続ければ上達するって言ったのは愛生君自身よね」

 文楽は首を傾げながら、ふと気が付いたことをただたどしい口調で言葉にする。

「つまり俺は、平和という環境に対して素人だと、お前はそう言いたいのか?」

「そう、その通りよ! 愛生君はまだ何も分かっちゃいない! オープニング始まる前のアバンだけ見て、勝手に作品の評価決めてるようなものよ。どうせ否定するなら、最後まできっちり味わい尽くしてからにするべきよ」

「お前の言葉がときどき分からないのは、俺が後方の文化に慣れていないせいなのか?」

「それは……えっと、うん! そういうこと!」

「桂城、どうして目を逸らした」

「とにかく! 私が君の級友として、勉強と一緒に平和の中で生き抜くコツってものを教えてあげるわ。文句ある!?

「文句はないが疑問はある。そんなことを教えて、お前に何の得がある」

「得とかメリットとか、そんなの関係ないわよ。ただ、せっかく前線の人たちが後方の平和の為に戦ってるのに、後方に居る私たちが辛気くさい顔してるのはダメだと思う」

「……なるほど、そんな風に考えたことはなかった」

 留理絵の理路整然としていない、感情任せの言葉が不思議と胸に落ちる。

 今まで目の前の敵しか眼中になかった文楽は、後方という存在を振り返ったことなど一度としてなかった。二つは決して無関係なものではなく、無視することなどできない。

 自分の重大な見落としに、ようやく気が付いたのだった。

「分かった。〝普通〟のふりができる程度には俺も努力したい」

 文楽は観念したように、ため息交じりに降参の意を示す。

 それまで黙り込んでいたフェレスが、ぱっと顔を明るくして笑顔を作る。

「すごいです、留理絵さん! 頑固で意地っ張りな文楽さんを説き伏せるなんて!!

「おい、フェレス。お前、人のことを何だと思ってるんだ」

 人形の思わぬ反乱に、文楽は抗議の意を示す。

 そんな二人の争いを置いて、留理絵が勢いよく手を上げて叫ぶ。

「それでは愛生君! 平和への第一歩として、フェレスちゃんの語尾を『にゃん』にすることを提案します!!

「……それに何の効果がある」

「フェレスちゃんが萌え萌えになることで、心が穏やかになり人類は平和になります」

「だそうだ。やってみろ」

 文楽にじろりと睨まれたフェレスは、小首を傾げながら答える。

「わ、わかりました……にゃん?」

「いいわよ、フェレスちゃん! 世界一可愛いよ!!

 大興奮の留理絵とは対照的に、文楽はこめかみに手を当てながらどす黒い空気を周囲に漂わせている。

「……桂城、駄目だ。穏やかになるどころか闘争心を無性にかき立てられる。具体的に言うと、あいつの額に思いっきり手刀を叩き込みたくなってきた」

「ええっ!? ひどいです!」

「そっかー。愛生君は好きな子のことはいじめたくなっちゃうタイプだったかー」

「もう一回やらせてください文楽さん! 今度はもっと上手くやりま……やるにゃん!!

「うるさい! とにかくそのワケの分からん語尾をやめろ!」

 今まで味わったことのない、騒がしくも穏やかな時間――これを平和と呼ぶのだろうか。

 この空気に慣れていけるのだろうかと、微かな戸惑いを胸に抱きながら思うのだった。

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