第三章 HEART TO HEAR(3)

 推進器が放つ空気を切り裂くような高音と、フェレスが上げる絹を引き裂くような金切り声が、文楽の耳を同時に貫いていた。
「きゃああああああああっ!!
「うるさい、耳元で叫ぶな」
 文楽が操縦桿とスロットルを巧みに操作して推進器の微細な角度や出力を調整する度に、モニターに映る景色が激しく揺れ動き、目まぐるしい速度で回転を繰り返す。
 まるでピアノの鍵盤を叩くような鮮やかな手さばきだが、その指先によって紡がれるのは優雅な旋律などでは決してなく、フェレスの甲高い悲鳴と絶叫だった。
「ひゃああっ!? ぶ、文楽さん! もっと優しくしてください! 激しすぎます!!
贅沢ぜいたくを言うな」
「ぜ、ぜいたく!? ぜいたくなんですか!?
 錐揉きりもみをしながらの急速降下。そのまま低空を背面飛行しながら三連続バレルロール。
 指先一つで天と地が瞬く間に入れ替わり、遠い雲に手が届くほど近づく。機甲人形アーマードールに乗って空を飛ぶときのどこまでも自由な感覚は、戦場を飛び回った日々を思い出させる。
「操縦士より先に音を上げる人形が居るか。いいから機体の姿勢制御に集中しろ。さっきから軸合わせがコンマ二秒も遅れている。お前は俺の役に立ちたいのか、俺を殺したいのかどっちなんだ」
「ふ、ふぇえ……」
 もはやフェレスには反抗の言葉を考えるだけの処理容量も残っていないらしい。
 眼前に見える丘陵の上空では、既に大半の訓練機と教官である〈ルシフェル〉の機体が待機している。自由に飛び回っていた文楽は、一人だけ集団から取り残されていた。
『おいおい。大丈夫かよ、あの転校生』
『あんな調子じゃ今にも墜落するぜ』
『どうせなら賭けないか? この訓練飛行中に、あいつが何回地面とキスするか』
 訓練生達が好き勝手言い合う声が文楽のもとに聞こえてくる。わざと聞こえるように拡声機を最大にしているのだろう。通信方法が制限されている現代、機体同士の通信はもっぱら機体外部の拡声機によって行われる。
 フェレスが心配そうな表情で、そっと文楽の顔を覗き込む。
「文楽さん、よろしいんですか? あんなこと言われてしまってますが……」
「好きに言わせておけ。良いも何も、そう見えるように飛んでるんだ」
 高度な技術を要する曲芸飛行も、知識の無い人間から見れば制御を失って墜落しかかっているようにしか見えない――技術を駆使して、そう見せかけているとなれば尚更だ。
「どうして、さっきからこんな無茶な機動を……?」
「これは俺がお前に慣れるためじゃない。お前が俺に慣れるための訓練だ」
「え、えっと……どういう意味ですか?」
「俺の動きを機体からだで覚えろ。それは、極めて重要なことだ」
 フェレスと文楽は危なげな機動で一団が待機している地点に辿り着く。
 全員が揃ったのを確認したルーシィは、拡声機を使って生徒達に告げた。
「いいこと? 実戦訓練なんて、素人のあんたたちには一千万年早いわ。ここから北東へ20の地点に軍の飛行場があるから、各自そこまで飛行して機体の操縦に慣れるように。それじゃあ、私は先に行って着陸の許可取ってくるから。以上」
 言うだけ言い切った〈ルシフェル〉は、あっという間に地平線の彼方へ消えていく。
 生徒達は思い思いに機体を動かしながら、ルーシィの飛び去った方角へ向けて機体を動かし始めた。
「あいつ、着陸許可取ってない基地にいきなり乗り付けるつもりなのか……」
「ほら、急ぎましょう文楽さん。自由に飛ぶのもいいですけど、あまり遊んでばかりいると目的地に着くまでの燃料が足りなくなっちゃいますよ」
「見え透いた嘘をつくな。目的地に辿り着くのに必要なエネルギーは全体の10以下のはずだ」
「い、いえ。無茶な機動が嫌だっただけで、別に騙そうと思ったわけでは……」
「お前がどういうつもりであろうと、事実に反しているならそれは虚偽だ」
 これ以上無茶な操縦をされたくなくて、つい口から零れた言葉だったのだろう。
 だが、機体のエネルギー管理という、操縦士にとって重大な要素に関する虚偽は、たとえ冗談であっても文楽には許せなかったらしい。
「推進剤の残量を計算に入れてもあと三時間は飛び続けられる。重力子翼の形成だけにエネルギーを回して空力特性だけで飛行すれば、更に30分は余裕ができる計算だ」
「勉強は苦手だったのでは……?」
「何を言っている。いつもやっていた当たり前のことを、当たり前にやっているだけだ」
 二人が言い合う間にも、訓練機の群れは次々と彼らの頭上を飛び去っていく。
 ほとんどの機体が見えなくなったところで、〈メフィストフェレス〉と三体の訓練機だけが気づけばその場に取り残されていた。
『おい、転校生』
 残った三体の内の一体が、どこかで聞いた男の声で文楽に話し掛けてくる。
『この声聞き覚えあるだろ? 俺のこと、分かるよな』
「……ええっと」
『覚えてねえのかよ! アレだ。お前が転校してきた日、基地の裏で世話になった』
「ああ、そうか。あのときの変態か」
『変態はお前だろ! この人形偏愛ピグマリオン野郎が!!
 文楽が郡河こおりがわ基地を訪れた初日。
 基地の裏手で仮装人形アバターのフェレスを三人がかりで取り囲み、服を脱がせようとしていた素行不良の生徒達だ。同じクラスではあるものの、彼らは授業をサボってばかりで顔を合わせることがないのですっかり記憶から抜け落ちていたらしい。
 三体の訓練機が文楽の乗る〈メフィストフェレス〉をぐるりと取り囲む。人間の姿でなく人形に乗った状態だという点を除けば、ちょうど三日前の再現だ。
『あのときは世話になったな。だが、機甲人形アーマードールで三体がかりならどうだ?』
『あの危なっかしい飛び方じゃ墜落しててもおかしくないから、バレる心配もないしな』
『そうそう。それに俺ら、お前が墜落する方に賭けてるんだよ』
 機甲人形アーマードールを私闘に使用することは訓練生と言えども軽い処罰では済まない。
 拡声機のスイッチを切ったと同時、立体映像のフェレスが必死の形相で訴えかける。
「ど、どうします文楽さん!? 逃げましょう! 逃げるべきです!!
「せっかくだ。戦闘訓練の相手をしてもらうことにしよう」
「そ、そんな! 相手は人が乗っている機甲人形アーマードールなんですよ!?
「気にするな。戦場ではよくあることだ」
「そんなわけないじゃないですか! そんなこと言っても騙されませんよ」
「フェレス、戦いは空想の中に存在する怪物じゃない。目の前にある脅威がそれだ」
 文楽はぎらりとした光を瞳の中に宿らせて言う。
 三体の訓練機は、じわじわと〈メフィストフェレス〉を取り囲む輪を狭めている。
 ただの操縦訓練ということで、各機に武装はされていないし、火器にも弾薬は装填されていない。生死に関わるような大事に至る可能性は極めて低い。模擬戦闘を行うには、最適な環境が用意されたと言える。
 差し迫る状況に対し、フェレスは諦めたようにため息を吐いて言う。
「もうっ……わかりました。でも、怪我させるのも怪我するのもダメですからね」
「問題無い。人形同士なら、生身と違って手加減できる」
 文楽は自信ありげな調子でフェレスに向かって言う。
「まあ俺が特に手出ししなくても、確実に勝てる方法もあるからな」
「そんな魔法みたいな技があるんですか?」
「ああ。連中の機体がお前の手の届く位置に来たら、適当に押し出してやれ」
「わかりました。それで、どうするんですか?」
「だから、軽く押すだけでいい」
「……ええっ! それだけなんですか!?
「いいから前を見ろ、来たぞ」
 文楽に言われて、はたとフェレスは機体の前方に目線を戻す。
 正面に見える一体が今まさに、大きく腕を振りかぶって〈メフィストフェレス〉に襲いかかろうとしていた。
「きゃあ!!
 操縦室内に居る立体映像のフェレスが、小さく叫んで両腕を前に押し出す。
 と同時に、〈メフィストフェレス〉の巨大な両腕がずいと動いて機体を突き飛ばした。
『うわッ!?
「あ、あれ?」
 フェレスは目の前で起こった事態に、目をぱちぱちとまばたきさせる。
 近づいてきた機体が、操縦士の悲鳴と共に弾き飛ばされたのだ。
「次だ。右後方、旋回するぞ」
「えっ? は、はい!」
 文楽は出力をできる限り絞り、制御推進器スラスターの勢いを利用して〈メフィストフェレス〉の機体をその場に留まったまま向きだけを変えさせる。最小動作での旋回は人形自身ですら難しい高等技術の一つだ。
 振り返った先、後ろから襲い掛かろうとしていた訓練機と、ちょうど正面から向かい合うかたちになった。
「え、えいっ!」
 フェレスは再び、言われた通り両腕を突き出して正面の機体を軽く押しのける。
 たったそれだけで、相手の機体はバランスを失い、安定しない姿勢のまま地面へ向かってずるずると墜落していく。
「一体、何が起きてるの……?」
 ただ自分の意思で、両手を目の前に押し出しているだけ。たったそれだけで、どうして相手の機体より早く攻撃が届くのか。
 スロットルを操作する手を止めず、文楽は淡々とした口調で種明かしをした。
「連中は自分で操作して近接戦闘を行おうとしている。それがそもそもの間違いだ」
「操縦士が自分で動かして、攻撃を行うことがですか?」
「ああ。大抵の機体には、殴るとか蹴るといった最低限の近接戦闘用動作モーションが組み込まれている。操縦士の操作で、近接戦闘を行うことは確かに可能だ」
 残った最後の一体とちょうど向かい合うように機体を操作しながら文楽は続ける。
「だが、組み込み動作で攻撃するよりも、お前達デーモンが自分の判断で攻撃を行った方が遙かに速い。連中に足りないのは、技術ではなく人形に対する知識と信頼だ」
 三年間の戦場経験を持つ文楽は、骨身に染みて理解している。
 人間の操縦によって機甲人形アーマードールが行動するには、必ず〝操縦〟というシークエンスを一段階挟むことになる。だが、人工知能の自己判断による行動にそうしたシークエンスは一切含まれない。それは、小手先の性能や技術では絶対に埋められない差だ。
 気分を良くした文楽は、弾んだ調子で言葉を続けた。
「よし。その調子だ。これで最後だぞ、レヴィ――あっ」
「文楽さん、今なんて言いました!?
 〈メフィストフェレス〉と愛生あおい文楽、一体の機甲人形アーマードールと一人の操縦士の動きが、ぴたりと完全に停止してしまう。絶望的なまでに長く、重い沈黙が二人の間に流れた。
「ひどいです! ショックです!! 名前を間違えるなんて……」
「おい、動きを止めるな!!
「はぐらかさないでくだ……きゃあっ!?
『くそ、捕まえたぞテメェ!!
 その隙を突くように、残った最後の一体が〈メフィストフェレス〉の腕に掴み掛かる。
 機体を背後から羽交い締めにされて、文楽は沈痛な面持ちで謝罪を口にする。
「……不本意だが、今のは俺のミスだ。悪かった。二度としない」
「今回は許してあげます。でも、次に同じことをしたら二度と操縦席に入れてあげませんからね!!
 フェレスは顔を真っ赤にしてほおを膨らませている。
 後ろから羽交い締めにされて身動きの取れない〈メフィストフェレス〉に向かって、別の訓練機がゆっくりと正面から近づいてくる。機体の右手に、固く拳を握らせて。
『この野郎、ふらふら逃げやがって! 今度こそ避けるなよ!!
「あの、文楽さん……それで、次はどうしましょう」
「仕方ない。フェレス、機体の動力を全て切れ」
「諦めて降参するんですか!?
「誰がそんなことを言った。いいから、言われた通りにしろ」
「うっ……わ、分かりました!」
 フェレスは文楽の言葉に応え、機体の高度を維持するための動力をオフにする。
 途端、段差を踏み外したように機体の高度がガクンと下がった。
 推進力を失った機甲人形アーマードールは重量40tを越す巨大な金属の塊だ。背後にしがみついていた訓練機は、その重量を支えきれず前のめりに機体の高度を落とし始める。
『うわっ、ちょっ、待て!!
 瞬間、正面から殴りかかってきた訓練機の拳が〈メフィストフェレス〉を背後から羽交い締めにしていた訓練機の方へと綺麗に吸い込まれた。
 殴り飛ばされた衝撃で、機体を拘束していた腕が外れる。推進力を失った鋼鉄の巨体は、ゆっくりと地面に向かって落下していった。
 まんまと同士討ちをさせられた不良生徒の一人が、舌打ち交じりに叫ぶ。
『何やってんだ! ちゃんと押さえてろ!!
『そっちこそちゃんと狙えよ下手くそ!!
 二人の男が互いに罵り合う声を耳にしながら、文楽は自由落下を続ける機体の中、冷静に操縦席の隅へと手を伸ばす。
 乗用車のダッシュボードにあたる箇所。そこには、ひっそりと隠されるように、蓋の閉じられた引き出し状の収納スペースが存在している。
 引き出しの蓋を静かに開いた文楽は、中に納められていた物をそっと取り出す――それは蜘蛛の糸のように細い、幾条もの有機繊維の束だった。
「良い機会だ。こっちの慣らしも済ませておこう」
「えっ、〝手綱ハーネス〟を使うんですか!?
 フェレスは驚いたように声を上げる。
 糸の先端にはそれぞれ、金属製の小さな輪が取り付けられている。糸は全部でちょうど十本。ちょうど人の指と同じ数。
 文楽はちょうど第一関節のあたりまで、十個の輪を十本の指にそれぞれ通していく。
「その、普通はまず使うことの無い機能だと聞きましたけど……?」
 まるで蜘蛛の脚のように指先を動かして糸の感触を確かめると、力強い声でフェレスの問いかけに答えを返す。
「ああ、普通ならな」
 機甲人形アーマードールの主な操縦方法は操縦桿とスロットルを利用するか、人形知能デーモンに口頭で指示するかの二つ。だがそのどちらを駆使しても自分の手足を動かすような自在さで機体を操ることはできない。
 その巨体に組み込まれた機構はあまりにも膨大かつ複雑で、人間の限られた能力では全てを制御するには限界がある。だからこそ、人形知能デーモンという補助を要するのだ。
 しかし、機体を自在に操る方法がたった一つだけ存在する。
 それが、手綱ハーネスと呼ばれる繊維状の入力機構インターフェースだ。
機体からだが、勝手に……!?
 文楽が指先の糸をクイッと小さく動かす。瞬間、〈メフィストフェレス〉は魂を入れられた人形のようにびくりと機体を跳ねさせた。
 全身の推進器から炎を吐き出し、地面に激突する寸前だった機体をくるりと空中で回転させて姿勢を安定させる。そして間髪入れず、未だ上空で罵り合いを続ける二人の訓練機と同じ高度まで機体を上昇させた。
 一瞬で背後を取った文楽は、両手に糸を絡ませながら淡々と呟く。
「この男は機体を羽交い締めにしたが、機甲人形アーマードールに対して拘束するという考え自体が間違っている。後ろを取った場合、これが最善手だ」
 〈メフィストフェレス〉の両腕が訓練機の多機能推進器にむんずとつかみ掛かる。
 そして、無造作に相手の機体を横合いへと放り投げた。
 軽く投げ飛ばされただけに見えた訓練機は、まるで強風にあおられた風船のように、容易く遙か彼方へと吹き飛ばされていってしまう。
「す、凄い! どうやってこれだけの出力を!?
「相手の推進力を利用しただけだ。柔術と要点は同じだな」
 機甲人形アーマードールは空中で姿勢を安定させるために、絶えず様々な方向へ推進力を発しており、湧き出し点である推進器の角度を弄ればその安定は簡単に乱されてしまう。結果、訓練機は自機を浮かせていた出力によって、自身を明後日あさっての方向へ吹き飛ばしてしまったのだ。
「機体に損傷を負わせることなく無力化するにはこれが一番だ」
「でも、そんな簡単にできることでは……」
「確かに簡単ではない。だが、できるようにするしかない」
 フェレスが驚愕の声を上げる間にも、残った訓練機が〈メフィストフェレス〉へ向かって拳を握り締めて殴り掛かってくる。
 だが文楽は機体の推進器を一瞬だけ噴射させて、機体の角度を僅かに変えて攻撃をかわす。武術における半身はんみ体裁たいさばきにも似た動きだ。
 訓練機は執拗に攻撃を続けるが、どれだけ打撃を繰り出しても、何度掴み掛かろうと腕を伸ばしても、装甲一枚の精度であらゆる攻撃を回避されてしまう。
『なんだよ、クソッ!? 動きがさっきと全然違うぞ!』
 まるで、実体の無い幽霊を相手にしているような気分だろう。自分から喧嘩を吹っ掛けてきたはずの不良生徒は、もはや悲鳴みたいな声を上げていた。
 手綱ハーネスを使いさえすれば、誰にでも同じような操縦ができるわけでは決してない。
 世界がまだゲーティアの侵略を受ける以前のこと。作り手の手に余るほど発達し過ぎた高性能ハイテク機器の数々は、機械の頭脳である人工知能によって制御されるのが一般的なものとなっていた。
 だがそんな中、複数の複雑な処理を同時にこなせるほどの処理能力を有した人間が徐々に現れ始めたのだ。標準的な人間が二つか三つのことしか同時に処理できないのに対し、彼らは多数の複雑な処理をこなす高度な能力を生まれつき備えていた――それは、人類の新たな進化の形であった。
 ゲーティアによって既存の文明が崩壊し、全ての人類が戦いの中に追いやられた現代。高性能機械の塊である機甲人形アーマードールを人形以上に巧みに操る、かつて新人類と呼ばれた存在。
 人々は彼らを、畏怖を込めてこう呼んだ――《人形遣いパペット・マスター》と。
「すごい……圧倒的過ぎます」
 自身の機体からだを自在に扱う文楽に向かって、ただ見ていることしかできないフェレスは呆然とした表情で呟きを漏らす。
「当たり前だ。大人げないと罵られても仕方ないぐらいだからな」
 文楽は物憂げな表情で呟きを漏らす。両者の間に存在する絶対的な技術の差は、まるで大人が子供を相手にしているような状況を生み出していた。
 文楽は拳をけると同時、すれ違いざまに機体の推進器を掴んで空気投げの要領で放り投げる。制御を失った訓練機は、そのまま真っ逆さまに地面へ向かって墜落していった。
「これだけ力の差を理解すれば、連中も真面目に訓練を受ける気になっただろう」
「その前に、二度と人形に乗りたくなくなってしまうのでは……?」
 文楽はため息を吐きながら、手綱ハーネスの金属輪を指先から一つずつ外していく。
 だが力を見せつけられたことで圧倒されてしまったのは、機体を叩き落とされた訓練生達だけではなかった。
「どうして暗い表情をする、フェレス。お前の提言通り、手加減はしたつもりだ」
「その、文楽さんだけでこんなに強いなら、私なんて必要無いんじゃないかなって……」
「まだそんなことを言ってるのか、この馬鹿は」
 文楽は隣に立つフェレスの額を軽く指で弾く。もっとも本物同然に見えているとはいえ、ただの立体映像に過ぎないので指は空を切るだけだ。
 しかしフェレスは何故か目に涙を浮かべながら、弱々しく呻きを上げる。
「ひ、ひどいです……今のはちょっと傷つきました」
「立体映像のくせに何言ってるんだ……いいか。人形遣いパペット・マスター機甲人形アーマードールは互いに補い合うことで、初めて一つの兵器として完成することができる」
「補い合う、ですか……?」
「そのためにも、俺の操縦をまずは実感してもらう必要があった。それだけだ」
 難しそうな顔で呟く文楽の言葉を、不意に機体の外から届いた大声が遮った。
『先生、こっち! こっちです!!
 文楽とフェレスは声の聞こえた方角を慌てて振り向く。
 そこには留理絵の乗る訓練機と、彼女に先導された〈ルシフェル〉の姿があった。
『ちょっとあんた達、何やってるの。自由に動かせとは言ったけど、何でもやっていいだなんて言った覚えは無いわよ』
 どうやら文楽が不良生徒三人に囲まれていることに気づいた留理絵が、すぐさま教官であるルーシィを追いかけ、仲裁に入ってもらうために連れてきたらしい。
 〈ルシフェル〉は文楽達の方へそっと機体を近づけると、一本のワイヤーを射出する。一般に〝糸電話〟と呼ばれる通信方法だ。
 文字通りワイヤーを通して二者間で通信を行うためのもので、拡声機を使わずこっそり二人だけで会話をしたいときや、騒音がある状況などで使用される。
 要するにルーシィは、耳打ちするように文楽へ話し掛けてきた。
『上手くやったみたいじゃない。あの跳ね返り達もこれで懲りたでしょうね』
「連中がこういう行動に出ると分かってて、わざと野放しにしたな……」
 どうやらルーシィは一部の生徒が文楽に対して特に敵意を抱いていると知っていながらえて自由にさせて、文楽を襲わせるように仕組んだのだろう。
 彼女なりの親切心なのか、あるいは先生としての考えがあったのか、はたまた面白そうだったというだけなのか。悪戯っぽい響きのある声でルーシィは問いかける。
『どう? 後方でくすぶってたみたいだけど、羽は伸ばせたかしら?』
「……ここは空が狭すぎる。羽を伸ばそうとすると、誰かにぶつかってしまうようだ」
『ふーん。人間ってほんと不便なのね』
 つまらなそうに呟いた〈ルシフェル〉は、巨大な翼膜状の推進器を羽ばたかせて再び空へと飛び立っていく。
「お前が自由すぎるだけなんだよ」
 誰もが彼女のようであれるなら――文楽にはそう思えてならなかった。

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