一面に広がる灰色のコンクリートが、太陽に照りつけられて淡く熱を帯びている。
機甲人形用滑走路は全長で1㎞、幅はおよそ50m。郡河基地では、それが平行に三本並んでおり、かなりの広さを誇っている。だが旧時代における飛行機や戦闘機の滑走路と比べれば、その長さは短い方だ。
重力子を利用した次世代の航空技術によって飛行する機甲人形にとって、離陸に際しては最低限の滑走距離しか必要としない。重力場によって生成される仮想翼で揚力を得ることによって離陸と飛行を行うからだ。
滑走路を使わない垂直離着陸も可能だが、重力場によって機体を直接浮かせるより、仮想翼を形成した方が使うエネルギーは節約できる。
滑走路の横に併設された駐機場のスペースには十数体の機甲人形が待機していた。
「機体は全て【市松】か……」
パイロットスーツに素早く着替え終えた文楽は、機体の合間を縫って自分の機体を探しつつ、他の訓練機をチェックしていく。
滑走路に並べられている訓練機の殆どは【市松】と呼ばれる型式の機体だ。国防軍で最も多く最も長い期間生産され続けた機体で、前線で見かける数は少なくなってきたものの、こうした訓練機や後方警備などの場面では未だ現役である。
「こうなってくると、どうも悪目立ちだな」
10mほど向こうに自分の機体を見つけて、文楽は足を止める。
彼が乗る〈メフィストフェレス〉は【聖像】と呼ばれる特殊な型の機体だ。生産数自体がかなり少なく、《七つの大罪》を始めとするワンオフ機体の多くもこの基礎設計を流用している。
野球で言えば全員が使い古されたグローブを使っているのに、一人だけ有名選手と同じモデルの新品を渡されたようなものだ。
偽装ぐらい施しておいてくれれば――ため息を吐きつつ、文楽は駐機場のコンクリートを踏みしめてゆっくりと歩みを進める。
と、一人の生徒からすれ違いざまに声を掛けられた。
「おい、転校生……ちょっと止まれって。おい、お前のことだよ愛生!」
「俺のことか?」
「そうだよ! 無視すんな!!」
文楽は首を傾げながらも立ち止まる。威嚇するような態度で声をかけてきたその生徒は、精一杯睨みを利かせながら文楽に向かって自分の名を名乗った。
「オレは剣菱、剣菱雅能だ」
「剣菱か。俺の名前は――」
「知ってるよ、愛生文楽。変な名前だからすぐに覚えたよ」
「そうだな。自分でもそう思ってる」
「……ほんと変な奴だよな、お前」
名前を知っているなら、どうしてわざわざ「転校生」などと分かりにくい呼び止め方をしたのだろうか。思ったものの、文楽は口には出さなかった。
「ところで剣菱、どうしてお前は男性用のパイロットスーツを着ている?」
「なな、何言ってんだよ!? オレは男だ!」
「……そうか、すまない。とてもそうは見えなかった」
「そういうこと言うなよ! 背が小さいの気にしてるんだから!!」
「そういう意味では……いや、気に障ったのなら謝る」
目線のやや低い確度から、雅能はぎりぎりと歯軋りをしながら睨み付けてくる。
文楽の目から見て、雅能はかなり〝可愛らしい〟見た目をしている。まるで第二次性徴を丸ごとすっ飛ばしてしまったかのようで、小柄な体格とあいまって女子と見間違えてしまうのも仕方がないほどだ。
雅能は苛立ちを声に含ませて、噛み付くように言葉を発する。
「単刀直入に聞くぞ。お前、親戚に軍の高官か何かでも居るのか?」
「いや、俺は孤児の出身だ。そもそも血縁と呼べる人間が居ない」
自分自身が実は元軍人で、しかも戦死したことで高官クラスに特進しているという事実についてはひとまず棚上げしておくことにした。
「そ、そうだったのか……不躾なこと聞いて悪かったな。謝る」
雅能は途端に勢いを無くした様子で萎縮してしまう。最初はいきなり不躾な物言いをしてくる奴だと思っていたが、根は良い奴なのかも知れない。
「どうしてそんな質問をするんだ、剣菱?」
「仮装人形付きの特別な機体は成績優秀な訓練生にだけ与えられるのが通例だ。成績で言えば、今年は桂城かオレかのどっちかのはずだ」
「そうなのか? 随分と歯切れ良く言うが」
「今年の訓練生の中で、座学の成績ではオレがトップだ。まあ、操縦適性も含めた評価で言えば桂城が首席ってことになるんだけど……」
実際の操縦経験がなくとも、反射神経や空間認識能力などから、ある程度操縦士としての適性は数値化することができる。
文楽の座学能力が惨憺たるものであるとは授業の中でクラスの全員に知られているし、操縦適性の方も〝数値化できるものだけ〟見れば操縦士としては平均点だ。
「とにかくどっちにしろ、よそから来たお前にいきなり特別な機体が与えられるなんて、やっぱり変だ。何か裏があるとしか思えない」
「……つまりお前は、俺に対して疑念や反感を抱いているのか?」
「そういうことだよ。他の連中もそう思ってる。『あの転校生は一体何者なんだ』って」
見回してみれば、確かに訓練生達はこちらを遠巻きに見つめている。彼らの放っているのが奇異の眼差しではなく、反感や疑念の感情から来るものであると、雅能に言われて初めて気が付いた。
納得がいったという表情で、文楽は雅能の目を真っ直ぐに見つめ返す。
「なるほど。お前は、良い人間のようだな」
「……はあ!? ななな、何言い出すんだよいきなり!」
「お前は俺に対する感情を包み隠さずに明かしてくれた。それに、周りから反感を買っている事実も教えてくれた。信頼に値する、公正な人間だ」
戦場で様々な人間と背中を預け合いながら生き延びてきた文楽にとって、その人間が信頼できるかどうか判断する基準は〝正直であるかどうか〟だけだ。
性格が合うか否か、話が通じるかどうかは大して重要ではない。
戦場において嘘をつくことほど罪深いことなど存在しないのだ。
もし彼と戦場で再び会うときがあれば、安心して背中を任せられることだろう。
「っ……むかつく奴だな。今に痛い目に遭うぞ。もっと普通にしたらどうなんだ」
「忠告してくれるのか? 礼を言う、剣菱。やはりお前は良い人間のようだ」
「だっ、だからそんなつもりじゃ……くそっ! おちょくってんだろお前!!」
「どうした、急に怒り出して。変な奴だな」
「それはこっちの台詞だ! もう知らないからな!!」
一方的に言い切った雅能は、逃げ出すように自分の訓練機の方へと戻っていく。
雅能と話してみて、自分がいかに周りから孤立しているかに改めて気が付く。
考えてみれば、同じクラスの生徒とまともに話をしたのもこれが初めてだ。彼の忠告を受け止め、〝普通〟を身につける努力もしていくべきなのだろうか。
「……無理だな」
文楽は戦略的撤退を固く決意する。
とはいえ、高官の子息などという疑いを持たれるのは全くの予想外だった。
機甲人形の操縦士は優れた才能を持った人間だけがなれる選ばれた存在。まさしく戦場の花形的存在だ。
操縦士達は皆、そのことに多かれ少なかれプライドを持っているし、コネを使って不当にその立場を手に入れた人間に対して強い嫌悪感を抱くのも当然だろう。訓練生でも前線の兵士でも、この性質に違いは無い。
「とすると、あれがそうか……」
起動準備に入った機体の中から、文楽は一つの機体を見出しじっと視線を注ぐ。
見た目には他の訓練機と大した違いは無い、ただの【市松】だ。見た目には表れない、ある一点だけを除けば。
近くを歩いていた生徒の一人に、文楽はそれとなく問いかけてみる。
「なあ。あそこに見える機体。あれが誰のものか分かるか?」
「あれは私が乗る機体だけど、それがどうかした?」
文楽は途端にぎくりとした。こっそり確認してみるだけのつもりが、まさか当人に直接尋ねてしまうとは手痛い失敗だ。
女性用のパイロットスーツに身を包み、長い髪を小さく結って纏めた、クラスで唯一の女子生徒――桂城留理絵。文楽が怪しいと睨んだ機体は、彼女の乗機だったのだ。
「どうしたの? そんなに驚いた顔して」
「い、いや。別にどうもしない。どれも同じ機体にしか見えない」
「それはそうよね。愛生君の機体以外は、だけど」
目線を左右に揺らしながら、文楽は動揺をこれでもかと露にする。
命のやり取りは何度も経験してきているが、言葉の銃弾が飛び交う騙し合いや腹芸には、まったくと言っていいほど不慣れだ。
「君の機体、〈メフィストフェレス〉は【聖像】を原型としてて、デザインが洗練されてるわよね。多機能推進器の噴射口も各五基搭載のフリージア型、装甲も綺麗な流線形してるし……」
「意外だ。随分と詳しいな」
「そう? ま、優等生ですから」
留理絵は得意げに胸を張って応じる。まるで実態は違うとでも言いたげだ。
機甲人形の構造は、大まかに二つの要素によって形成されている。
操縦席と量子頭脳を搭載した胴体、マニピュレータとなる腕、接地を行い複推進器でもある脚部。そして各種センサーを搭載した頭部からなる、巨大な人型の素体部分。
そしてもう一つは、機体の両肩をすっぽりと覆い隠す左右二つの多機能推進器。まるで巨大な花のような形をしたそれらは、曲線のある装甲が花びらのように重なり合い、円筒形の推進器が噴射口を覗かせている。
この多機能推進器には、単なる推進器としての役割だけでなく、武装の収納機能や重力子の生成など機甲人形の根幹となる機能を担う。
そして〝機操人形〟と呼ばれる特殊な兵装も、ここに格納されている。
「で、私の【市松】は最初期の量産型だけあって信頼性には優れてるけど、腕の自由度とか装甲の多層化はちょっと難ありなのよね。ヴィオラ型の多機能推進器は丸っこくて愛嬌があるから割と好きなんだけど……」
「見た目で人形の性能は決まらない。そっちの機体にしても、音を聞く限り特に悪い機体ではなさそうだ」
「あ、やっぱり気づいてたんだ! 音が違うって」
留理絵はぱあっと顔を明るくして笑顔を見せる。遠い異郷の地で同郷の人間に巡り会えたかのような喜びようだ。
うっかり口を滑らせてしまった文楽は、慌てて口を塞ぐが時既に遅しだった。
「だから私の機体をじっと見つめてた。違う?」
「えっと……まあ、その通りだ。動力機関の音が違うのが気になった」
「へー。耳がいいんだね、愛生君って」
雅能が言うように特別に機体を与えられた人間が自分以外にも居るとしたら、おそらくあの機体に乗る訓練生だろう。そう気づいて文楽は操縦士が誰か尋ねたのだ。
だが気付いてみたら、なぜか自分が追い詰められる立場になっていた。
「ほら、私の父親がここの基地の整備士でね。だからちょっとだけ、良い部品が余ってたら都合してもらってるの」
「なるほど。役得といったところだな」
留理絵は自分の唇に指を押し当てると、流し目を送りながら囁くように問いかける。
「ねえ……もしかして愛生君も、他の人と同じなのは外見だけ?」
「確かに中身は、君達とは違うな」
「あれ? あっさり認めちゃうんだ」
「成績は悪いし、対人能力も低い。同じ中身をしているとは言い難い」
「ぷっ……あははっ!! 愛生君、結構面白い冗談言えるんだね。無愛想な顔しといて」
「いや、冗談を言ったつもりは無いんだが……」
「私、面白い人は好きよ?」
「……俺は君のこと苦手だ」
「それじゃ、訓練頑張りましょうね」
留理絵は明るく手を振って、自分の乗機へ向かって走って行く。文楽はただ、肩を落として先行きの不安を憂うばかりだ。
周囲から向けられる反感の籠もった眼差しが、明確な敵意と殺気を宿したものに変容してくのを感じる。ただ、クラスで唯一の女子生徒と話をしていただけだというのに。
「各自、自分の機体に搭乗しなさい! 授業の内容は上空で説明するから」
滑走路の方角から、教官であるルーシィの威勢のいい声が聞こえてくる。
周囲の眼差しから逃れようと、文楽はフェレスのもとへと向かう。
機体の前に立つと、既に準備を終えていた〈メフィストフェレス〉が、機甲人形の巨大な手をゆっくりと文楽に向けて差し出す。その掌に飛び乗ると、フェレスはそのまま自身の胸部にある操縦席へ彼の体を持ち上げた。
開かれたハッチから機体の内部へ飛び込んだ文楽は、操縦席へ腰を下ろす。機械の排気が生み出すどこか懐かしい空気の味に、文楽は満足げな息を漏らす。
ふと彼の真横から、フェレスが不機嫌そうな顔をずいっと近づけて言った。
「文楽さん、随分と遅かったですね。また道に迷っていたんでしょうか」
「違う。『また』とか言うんじゃ……ちょっと待て。なんでお前がここに居る」
文楽は驚いた表情で隣に立つフェレスの姿を見つめる。いつものような白と黒の給仕服を着た彼女は、操縦席の横手で静かに佇んでいる。
機甲人形には仮装人形を収める専用のスペースが頭部に用意されている。仮装人形側にある量子頭脳と、機体の内部にある処理系統が、正しく接続されていなければ操縦は不可能のはずだ。
「収納スペースに戻れ。また暗い所は嫌だとか言う気じゃないだろうな」
「いえ、よく見て下さい文楽さん。今あなたの目の前に居る私は、コクピット内に投影された立体映像の私なんですよ」
「……立体映像だと? 驚いたな。本物にしか見えなかった」
確かにフェレスの姿は、よく見れば表層に細かなノイズが走っている。
間近で見なければ分からないほど、その映像は精巧で本物そっくりだ。
だが文楽は、どこか納得がいかないとでも言いたげに難しい顔つきを浮かべる。
「無駄な機能だな。その機能を切って浮いたエネルギーと処理容量を機体の稼働に回せば、もっと継戦能力が伸びるんじゃないか?」
「ひ、ひどいです! 文楽さんは私と一緒に居たくないんですか!?」
「機体の稼働時間が長くなれば飛んでいられる時間も増える。どこが不服なんだ」
「ううっ……文楽さんは仮装人形の私より、機甲人形の私の方がお好みなんですね」
「人を歪んだ嗜好の持ち主みたいに言うのはやめろ」
だが、仮装人形の存在を〝無駄な機能〟だと思っているのは事実だった。
人形知能を人に近い存在であり続けさせるためには、人の気持ちを理解しコミュニケーションを取る必要がある。仮装人形はその要求を満たすための装備だ。
だが、その要求こそが、文楽にとっては無駄なものに思えた。
「しかも女性に全く興味が無いのかと思って安心していましたが、ご学友の女子生徒さんとあんなに仲良くお話をされて……」
「そんなことで不機嫌だったのかお前」
「しかも一人だけかと思いきや二人もなんて……!!」
「誓って言うが、それはお前の勘違いだ」
フェレスはここでずっと、〈メフィストフェレス〉の目によって文楽がクラスメイト達と話す様子を、ただ黙って見つめていたらしい。
俯いて悲しそうな表情を浮かべるフェレスを見つめながら、文楽はため息を吐く。
兵器である機甲人形に一体どうして、こんなに豊かな情動が与えられているのか。
操縦桿を握り締めながら、文楽は一人思い悩む。
人間は不出来で不完全な存在に過ぎない――だからゲーティアという機械を支配する存在に、こうも簡単に追い詰められてしまったのに。
同じ機械である人形まで、人間と同じ存在にする必要など無い。
「不出来なものに似せたところで、意味など無いのに……」
「ふ、不出来って私のことですか!?」
「今のは独り言だ。それに、不出来かどうかは今から確かめる」
「文楽さん、なんだか笑顔が怖いです……」
人形は人間以上でも人間以下でもない、人間とは異なる同列の存在なのだ。
それは《蛇遣い》と呼ばれた男が戦場で得た、一つの答えだった。
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