文楽が郡河基地訓練学校に転入してから四日目の朝。
彼が住んでいる宿舎の一室には、朝っぱらからフェレスの元気な声が響き渡っていた。
「おはようございます文楽さん! 素敵な朝ですね」
文楽はベッドに潜り込んだまま、不機嫌そうな表情でフェレスをじっと見つめている。
「……どうしてお前がここに居る」
「どうしてって、文楽さんを起こすためです」
「誰がそんなことを頼んだ……ふわぁ」
大口を開けてあくびをした文楽は、ごろりと寝返りを打ってフェレスに背中を向ける。
「お前にはお前の仕事と場所があるだろ」
「私の仕事と場所、ですか?」
「大人しく格納庫に戻って、必要なときまで待機していることだ」
「ひ、ひどいです! 暗くて寒い格納庫に一人でじっとしてるなんて耐えられません!」
現在は仮装人形で人間と寸分違わぬ同じ身体をしているが、彼女達の本体は巨大人型兵器、機甲人形なのだ。文楽もフェレスのことを、見かけに左右されることなくそう認識している。
涙声になって反抗するフェレスに、寝ぼけ眼を擦りながら呟きを漏らした。
「まったく、文句を言うな。あいつだったら――」
「文楽さん? 『あいつ』とは、どなたのことをおっしゃってるんですか?」
「……いや、別に。なんでもない」
文楽は大きなあくびと共に言葉を濁して、再び布団を被り直す。
あいつなら――レヴィアならば、文句一つ言わず自分の格納庫で大人しく寝ていたものだ。それどころか、むしろ文楽がレヴィアの所に忍び込む方が多かった。
前線に居た頃、眠れない夜はいつも、テントを抜け出して〈リヴァイアサン〉のコクピットで眠りについていた。いつゲーティアの襲撃を受けるか分からない環境では、操縦席以上に安心して寝られる場所なんてどこにも無いのだ。
文楽は追憶を辿りながら、まどろみに身を委ねて瞼を閉じ体を丸める。完璧に二度寝へ向けた移行態勢であった。
「ちょ、ちょっと文楽さん! だから寝ちゃ駄目ですってば!!」
「いいかフェレス、万全な体調の維持は兵士の重要な務めだ」
「今の文楽さんは訓練生です! 学生さんの務めは勉強と早起きです!」
「だが、いざというときに備えて休眠は取れるときに充分取っておくべきだ。というわけで、敵が来たら起こしてくれ」
「敵なんてどこに居るんですか!? ここは平和な後方の基地なんですよ! ただお布団から出たくないだけですよね!?」
フェレスは頬を膨らませて、文楽が被っている布団を無理矢理引き剥がそうとする。
意地でも布団から出ようとしない文楽は、必死に頭を捻って説得の言葉を考える。
「そうだな、フェレス。お前もここで寝てみろ。そうすれば俺の気持ちが分かるはずだ」
「え、ええええっ!! 文楽さんと一緒にですか!?」
「いや、一緒にと言ったつもりはないが……」
「文楽さんと添い寝……添い寝っ!?」
フェレスは真っ赤になった両頬に手を当てて、なにやら一人で悲鳴を上げている。
文楽の冷淡なツッコミなど、全くもって聞こえていない様子だ。
数十秒たっぷりフリーズしてから、ようやく復帰に成功したフェレスは拳をぐっと固く握り締めて言った。
「いえ駄目です! そんな誘惑には負けません!」
「……ちっ」
「ほら、起きなきゃだめです。朝ご飯が冷めてしまいますよ」
これがレヴィアだったなら上手く丸め込めたものだが、フェレスは彼女に比べて自制心が強いらしい。人それぞれ、もとい〝人形それぞれ〟ということだろう。
布団を引き剥がされた文楽は、渋々と言った表情で小さなテーブルの前に腰を下ろす。ちゃぶ台と呼んでも差し支えないような質素なものだ。
テーブルの上には、きちんと盛りつけられた料理の皿が並んでいる。文楽が寝ている間にフェレスが用意してくれた朝食だった。
「まったく……朝食の用意なんて人形の仕事じゃない。俺はお前に、家政婦をやれだなんて命じた覚えは無いぞ」
「お言葉ですが、私は飾って楽しいお人形じゃありません。訓練以外でもお役に立ちたいんです」
「確かにお前を飾ったところで楽しくはならない」
「ひ、ひどいです!! そんなことないです!!」
「……じゃあ一体どうしろと言うんだ」
涙目で抗議するフェレスを適当にあしらって、文楽は用意された朝食に淡々と箸を付け始める。テーブルに並べられた献立は、芋と根菜の煮物に味噌汁とご飯、そして数種類の漬物。湯飲みに注がれた熱い煎茶が、料理の隣でゆったりと湯気を立てている。
文句の付けようもないほどに純和風だ。
異国情緒溢れる西洋の給仕服を着込んでいるくせに、料理のラインナップがあまりに郷土的だ。別にパンが食べたかったなどと言うつもりはないが。
「このお漬物、文楽さんに召し上がっていただきたくて一週間前から漬けておいたものなんです。どうですか? お気に召していただけましたか?」
「どうですか、と聞かれても……いや、悪くはないんだが」
人類の英知を結集して作られた最高の兵器たる機甲人形がぬか漬けをおいしく漬けられることに、一体何の意味があるのだろうか。
西洋風の給仕服を着た仮装人形がぬか床をかき回している光景は、想像するだけであまりにも奇妙だ。
「あの、お口に合いませんでしたか? 難しい顔されていますけど」
「いや、悪くはない。だから困っている」
文楽は難しい顔つきを浮かべながらも、休むことなく箸を進めている。
今まで口にしてきたものと言えば、穀物を機械で圧縮したような糧食か、現地調達した獣肉を焼いただけの原始的な食事ばかり。
孤児院に居た頃ですら、食料の供給が滞っている南部では芋ばかりの食事だった。
たった一回の食事に、二皿も三皿も料理が並んでいるなど異様な光景だ。
戦場に戻る日が来たとき、前までの食事に物足りなさを感じてしまわないだろうか。そんな不安を心のどこかに覚えながら、文楽は箸を進めていく。
全ての皿が空になったところで、フェレスが恐る恐るといった様子で口を開いた。
「あの。ご迷惑でなければ、明日からも準備いたしますが……」
「……お前のしたいようにすればいい。迷惑ではない」
「ありがとうございます! 私、文楽さんのお役に立てるよう頑張ります!!」
「戦闘で頑張ってさえくれれば、俺はそれでいいんだが」
呆れ声で呟いて、文楽は湯飲みに注がれた煎茶をずずっと啜る。
人形知能とはあくまでも戦場での僚友、共にゲーティアと戦う同胞であって、操縦士の世話をする給仕や家政婦ではない。ましてや人間にとって都合の良い道具でもない。
そう思うからこそ、甲斐甲斐しく自分の身の回りを世話しようとするフェレスの厚意を、どう受け止めていいのか文楽は分からなかった。
「まあ。腹も膨れたことだし、もう一眠りするか」
「ダメ人間すぎです文楽さん! 学校はどうされるんですか!?」
文楽は暗鬱な表情を浮かべながらぽろりと言葉を零す。
「……なんかもう、学校とか面倒くさい」
「ちょっ、ただの本音じゃないですか!? せめてもっとごまかしてください!!」
フェレスに力尽くでベッドから引きずり下ろされて、文楽は渋々椅子に座り直す。
「確かに文楽さんほどの技術をお持ちの方であれば、訓練生として一から操縦を学ぶのが億劫に感じられてしまうお気持ちも分かります。ですが――」
「いや、そういう問題でもない。事態はもっと深刻だ」
文楽が弱音を吐いてしまうのには、いかんともし難いある理由があった。
そもそも文楽達訓練生が授業を受けるのは、一週間の内の六日間。その内の三日間は基地内にある施設で戦術論などの座学を学んだり、操縦の実地訓練を行ったりする訓練生としての授業。あとの三日は、一般学生と一緒に学校へ通い学生として普通教育を受けることになっている。訓練生とはいえ、四六時中機甲人形の操縦訓練ばかりしていればいいという話でもないのだ。
「確かにこの後方でなら命の危険は無い。だが、戦局としてはむしろ絶望的だ」
「せ、戦局?」
「一応、分数の計算までなら理解できるんだ……だが彼我の戦力差を見誤っていた。あの文字式というやつは一体何なんだ? こちらの有する戦力ではあの敵を突破できる有効な攻撃方法が見つからない。負けると分かっている戦いに臨む必要はない」
「ぶ、文楽さん……お勉強、苦手なんですか?」
「簡潔に言うとそうだ。苦手というか、そもそもしたことがない」
堂々とした口調だが、表情そのものは青ざめている。
地方からやってきた転校生として訓練学校に入ってからの三日間。文楽の頭を悩ませていたのは、人間関係だとか身柄をうまく隠すことだのではなく、まず授業についていけないという問題だった。
「南部では普通教育なんて、高官の子息みたいな限られた人間しか受けられなかった。俺のような孤児は、強制的に軍へ放り込まれるのが普通だ」
孤児院を出てすぐに戦場へ送られた文楽は、教育と呼べる制度の中に身をおくのがこの数日が初めてだった。孤児院にも勉強を教えてもらう時間はあったが、教育と呼べるか否か微妙な最低限度の範囲だけだ。
「しかも訓練生は、操縦士になった時点で尉官としての階級が与えられる都合上、最低限の士官教育を受ける必要がある。操縦技術だけではなく、戦術学や戦史研究、兵器技術まで学ばなければならない」
「でも戦略などでしたら、経験豊富な文楽さんはお得意なのでは?」
「いや、まず学ぶ意味が分からない。ゲーティアが存在しない時代の戦術をいくら学んだところで今の戦場では全く意味をなさない」
「えっと……ではどうして、学校に通わないと操縦士になれないんでしょうか?」
「それは俺が聞きたい」
強いて答えを上げるとすれば、〝意味のない命令でも疑問を持たず従う〟人間を選び出し、自分のような疑い深い人間をふるいにかけるためではないだろうか。微かな反感と共に文楽はそんなことを考えてしまう。
食器の後片付けをしながら、フェレスは楽しそうに笑いを漏らした。
「……でも、なんだか安心してしまいました」
「どういう意味だ?」
「だって、英雄だなんて呼ばれたほどの方なのに、勉強が苦手だったり学校に行きたくないと愚痴を零してみたり……なんだか普通の男の子みたいです」
「な、なんだと……?」
文楽は驚いた表情で目を見開くと、問い質すような口調でフェレスに言う。
「他の訓練生たちも、同じように学校なんか行きたくないと思っているのか?」
「えっ……驚きの意味がよく分かりませんが、同じ考えの方はたくさん居ると思います」
「ではなぜ皆、学校へ大人しく通うんだ……後方の人間とは、こうも考え方や文化に違いがあるのか。理解できない」
「世の中は理解できることの方が少ないんですよ。ほら、それより早くお着替えにならないと、学校に遅れてしまいます」
フェレスは文楽の腕を掴んで彼を立ち上がらせようと必死に引っ張る。だが、まだやる気が足りていないのか、一向に動く気配がない。
とうとう諦めて手を放したフェレスは、困った表情をしながら目を伏せる。
「もう、文楽さんおっしゃっていたじゃないですか……今日は機甲人形の操縦訓練があるから、やっと鈍った勘を取り戻せるって」
「そういえばそうだったな。よし、学校に行くぞフェレス」
「あっ、あれ!? 今、いつの間に玄関まで移動したんですか! っていうか、いつの間に着替えたんですか!?」
「速やかな発進準備は操縦士にとって基本的な技能だ」
「そんな『どうだ凄いだろう』みたいな顔されましても……」
さっきまでの気怠げな表情はどこへやら、実に凜々しい表情だ。フェレスは思わず苦笑を浮かべて、一緒に部屋を出ようといそいで片付けた皿を水切りに並べる。
「文楽さん。機甲人形の操縦ができるのが、そんなに楽しみだったんですね」
「そういうお前はどうなんだ。飛べるのが嬉しくはないのか?」
「え? えっと……」
今にも玄関から飛び出しそうになっている文楽を追いかけながら、フェレスはたどたどしく答える。
「文楽さんに乗っていただけるのは嬉しいです。でも、不安の方が大きいです……『上手く飛べるかな』とか、『文楽さんのご期待に添えるかな』とか」
「心配する必要はない。俺が上手く飛ばしてやる」
「た、頼もしいですけどなんだか怖いです……!!」
妙なやる気に満ち溢れた表情で、文楽は宿舎の自室を飛び出す。
不安げな表情を浮かべるフェレスもまた、文楽の後を追うのだった。
§
機甲人形の置かれている格納庫へフェレスを一足先に向かわせた文楽は、基地の敷地内でじっと空を仰ぎながら何か考え事をしている。
「更衣室は確か東の方角で、太陽があの位置にあるから……ううん」
この分では、太陽が沈むまでに目的地に辿り着けるかどうかも怪しい。
「ねえ、ちょっと」
そんな彼の背中を突き飛ばすように、ふと後ろから声が届いた。
「あんた、もしかして《蛇遣い》じゃない?」
「なっ……!?」
不意打ちのような言葉に、文楽は猫のようにびくりと体を跳ねさせる。
彼が《蛇遣い》であると知っているのは、この学校では学長とフェレスの二人だけのはず。もし、それ以外の人間に自分の正体がバレてしまったとなれば一大事だ。隊長にもバレないように気を付けろと固く言われている。
文楽は顔を青ざめさせながら、恐る恐る振り返ってみる。
そこには真っ白な士官服に身を包んだ長身の美女が、腕組みをして彼のことをじっと見つめていた。
「なによ。やっぱりピオ助じゃない」
「げっ、ルーシィ!?」
呼び止めた相手は、昔からの顔馴染みではあった。だが文楽はそれに気付いて安心するどころか、むしろ顔をますます青くして悲鳴みたいな声を上げた。
腰まで届く鋼線を束ねたような銀色の髪に、琥珀のように透き通った金色の瞳。
そして額からは硬質な二本の角が、天に向かってぴんと伸びている。
ルーシィと呼ばれた士官服の女性は額に青筋を立てながら、怒りの籠もった様子で文楽に詰め寄った。
「死人のくせしてご挨拶じゃない、このポンコツ英雄。この美しい私の顔を見て『げっ』だなんて、何? 本当に死人にしてほしいの?」
言うや否や、ルーシィは文楽の首に腕を回してぐいっと力尽くで締め付けた。
「ちょっ、おい、放せ!! 人に見られたらどうする!?」
「羨ましがられるんじゃない? 私とこんなに密着できるだなんて、幸運に思うことね」
「お前に絞め殺されるのもお前の信者から袋叩きにされるのも御免だ!」
楽しそうに笑いながら、ルーシィは文楽の体をぶんぶんと振り回す。
腋の辺りでがっちり固定されているせいで、胸の膨らみがずっと文楽の頬に柔らかい感触を押しつけ続けている。しかし首を締め付けられる苦しさが勝っていて、気恥ずかしさを覚える余裕など微塵もない。
「ま、いたいけな英雄をいじめるのもこの辺にしとこうかしら。飽きてきたし」
「そうしてくれ。人形と違ってこっちはか弱いんだ」
やっとルーシィの腕から開放された文楽は、服の襟元を正しながら一息吐く。
この後方の基地に来て初めて会う旧知の戦友に、文楽は無意識に安堵を覚えていた。
〝傲慢〟の大罪を司る魔王〈ルシフェル〉の名を与えられた《七つの大罪》の一体目。
そして世界で最初に生み出された、人形知能という存在の第一号でもある。
「まったく……手厚すぎるご挨拶だな。お前らしくもない」
「たまにはいいじゃない。せっかくこんな格好してるんだから」
ルーシィはつまらなそうな顔で、豊満な胸で盛り上げられた軍服の襟元を摘まみ上げる。
『こんな格好』とは、彼女が着ている白い士官服のことではない。仮装人形である彼女の身体そのもののことだ。
彼女にしてみれば、仮装人形など〝よそ行き用の洋服〟みたいなものなのだろう。
「それにしても本当に久しぶりね《蛇遣い》。東海解放作戦以来だから、半年ぶりかしら?」
「その様子だと、俺が生きていると知っていたようだな」
「お父様から多少はね。でもあなた、顔は北部じゃ知られてないからいいけど、名前の方はどうするの?」
「今は、愛生文楽と名乗っている」
「ぶんらく? ブンラクブンラク……ふーん、悪くないわね。呼んであげてもいいわ」
「お許しいただけて何よりだ」
さしもの文楽もルーシィが相手となっては、全力で謙るしかない。彼女は〝傲慢〟の名を持たされた人形知能。そのプライドの高さも並大抵ではない。
「まったく……あんたが死んだって聞いたとき、本当に驚いたんだから。この私に気をもませるなんて、どれだけ不遜なことか理解してる?」
「済まない、心配をかけた」
「こ、この私が誰の心配したって!? ばかじゃないの! ばっかじゃないの!?」
「おい、角をこっちに向けるな。お前のは刺さるから痛いんだ」
「刺してんのよっ!」
ひとしきり暴れてから落ち着きを取り戻したルーシィは、ばつの悪そうな表情で一つ咳払いをしてから居住まいを正す。
文楽はどこか怪訝な表情を浮かべて、話を逸らすように他愛の無い文句を口にした。
「そっちの調子はどうだ、ルーシィ。健勝にしていたか?」
「どうかしら。私の機体のことは整備士に聞いた方が早いんじゃない」
「……人間の格好してるときぐらい、人間らしい返しをしてみたらどうだ」
「私は私らしくしているだけよ」
つまらなさそうな口調で言い切ったルーシィは格納庫の方角を振り返ると、偶然通りがかった整備士の一人を大声で呼び止めた。
「ちょっと、そこの整備士!」
「は、はいっ!? 何でありましょうか、ルーシィ様!!」
「私の機体、ちゃんとメンテできてるわよね?」
「はい、勿論であります! ルーシィ様のお機体は、我々整備員一同全身全霊をかけて整備させていただいております!!」
「そう。ならいいわ、ご苦労さま」
「もったいないお言葉です! 我ら整備士一同、ルーシィ様のお機体をお世話させていただけて身に余る光栄です!!」
「分かった分かった。ほら、行っていいわよ」
「はい! 失礼いたします!!」
整備士の男は、教本みたいに綺麗な敬礼をしてから足早に格納庫へ戻っていく。
ぞんざいに扱われているというのに満面の笑みを浮かべているのがなんだか不気味だ。
男の姿を見送ったルーシィは、文楽を振り向き事も無げに言った。
「というわけで、調子はいいみたいよ」
「お前ほどの人形になると人間を使いこなすんだな……」
「ま。今も人類が存在できてるのは、私の活躍のおかげなんだもの」
「隊長が以前、お前のことを『まるで〝オルレアンの乙女〟だ』と言っていた。『火あぶりにされないよう気を付けた方がいい』ともな」
「悪くない喩えね。でも、私の装甲は生半可な炎じゃ燃やせないわ。ふふっ♪」
「……お前に人間らしさを求めた俺が馬鹿だったよ」
人間の体と寸分違わぬ仮装人形の姿で出歩いているときも、ルーシィにとっては機械の体が自分にとって本当の肉体らしい。
彼女は自らが機甲人形という存在であることを、心から誇りに思っている。不遜すぎる性格のことを差し引いても、フェレスとは考え方に随分と差が感じられる。
どちらが人形達の持つ一般的な考え方なのか、ふと考えてしまいそうになった。
「そもそも、あんたみたいな人間の方が珍しいのよ。さっきの整備士みたいな反応の方が普通なんだから」
「確かにこの会話をルーシィ教の信徒に聞かれたら、俺は磔刑にされてもおかしくない」
「ちょっと。人を邪教の神みたいに言うのやめてくれない?」
「紛うことなき魔王の名前を背負ってるじゃないかお前」
「全然違うわよ! 一緒にしないでほしいわね」
彼女のことを特別視――あるいは神聖視している人間は、軍人民間人を問わず数多く居る。〝ルーシィ教〟という存在も、具体的にそう名付けられていないだけで、実在していると言って差し支えない。
第一の大罪こと〝傲慢〟の〈ルシフェル〉は、人類が生み出した機甲人形の輝かしき第一号。
彼女の戦いの歴史は、人類反攻の歴史そのものだ。
ゲーティアの前に為す術も無く敗北し続けてきた当時の人類にとって、彼女の存在はまさしく神にも等しき畏怖と信仰の対象となってしまったのだろう。
「やっぱり、俺もそろそろ『ルーシィ様』と呼んだ方がいいのか?」
「あなたは今のままで許してあげるわ。妹が世話になったしね」
「……正直言うとお前の顔をみたとき、殴り殺されるんじゃないかと思った」
文楽は姿勢を正して、深々とルーシィに頭を下げる。
「何よ、急に真面目くさった顔して」
「レヴィアのことだ……済まなかった。俺が、迂闊だったばかりに」
「ああ。さっきの『げっ』はそういうこと」
〈ルシフェル〉と〈リヴァイアサン〉は、どちらも《七つの大罪》の名を持つ姉妹機。人形知能である二人もまた、お互いを姉妹のように思っていた。
一発ぐらい殴られたところでおかしくはない。ぐっと歯を食いしばって黙り込んでいる文楽に、ルーシィはため息を吐いてから柔らかい声で言った。
「ちょっと、頭なんか下げないでよ。傷心の操縦士を殴ろうなんてほど、私も人間の心が分からないわけじゃないわ」
「済まない。そう言ってもらえると助かる」
「それに、一発殴った程度で『許された』だなんて思ってほしくないしね」
二人はともに戦場で、多くの人間と人形の死を間近で目にしてきた。全てを乗り越え、後ろに残して戦いの道を進んできた。
だが、ふとした拍子に足が止まってしまうこともある。
近しい人形の死を受けて、二人はまだそれぞれの歩調で進み始めたばかりだ。
「『立ち直れなくてもう戦えない』なんて甘えたこと言い出さない限り、何も言うことはないわ。悔やむ暇があるなら、あの子の分まで戦い続けることね」
「俺も、思いは同じだ。今すぐにでも戦場へ戻って戦いたいと思っている」
「ふーん……英雄とか呼ばれてるくせに、随分と不自由なのね」
「お前みたいに自由な人形の方が珍しいんだ。大体、《蛇遣い》という英雄は既にこの世には居ない。だからこうして、訓練生をやっている」
「なるほどね。訓練生からやり直せだなんてふざけた話、よく受け入れたもんだって感心してたのよ」
ルーシィはまるで自分のことのように怒りを滲ませて言う。
「でも、ほんと参謀本部ときたらふざけきってるわ。あなたの働きを考えたら、私と同等の地位が与えられたって不思議じゃないのに」
「別に地位が欲しくて戦ってたわけじゃない。それに、俺は元々正式な手続きで操縦士になったわけじゃない。何より若すぎる」
「人間って変なこと気にするのね。私なんて生まれてからまだ十年だけど少佐よ」
ルーシィはえっへんと自慢げに豊満な胸を張る。その暴力的な肢体はどう見ても二十代のそれだ。
いくら実年齢が十歳とはいえ、人形知能は生まれた時点で十歳程度の知的能力を有している。ルーシィの年齢は、人間で言えば二十歳程度の計算だ。
「ところで、お前はどうしてこんな後方の基地に居るんだ?」
「私は機体の改修作業に呼び出されただけよ。いかに精神が完璧な私といえど、肉体の方はある程度更新しないといけないものね。文句ある?」
「いや。誰もお前を時代遅れだなんて言わないし、言わせない」
「……あなたって本当、人形の扱いが上手いのね」
「睨まれる意味がよく分からないが……おっと、話し込んでしまった」
駐機場の方を見ると、既にパイロットスーツに着替え終わった訓練生達が続々と訓練機の前に集まっているのが見える。
少なくとも彼らの来る方角を辿れば、更衣室にはたどり着くことはできそうだ。
「大事な用事なの? この私と話をすることよりも?」
「次は操縦訓練の授業があるんだ。遅れると教官に睨まれる」
久しぶりに戦友と会えたのも嬉しいが、機甲人形に乗って空を飛べることも比べられないぐらいには楽しみだ。不機嫌になるのが目に見えているので、本人には言わないが。
話を聞いたルーシィは、納得した表情で事も無げに言う。
「ああ、そのこと。だったら別に急がなくてもいいわ。教官はまだ来ないもの」
「どうしてそう言い切れる?」
「だってその教官って、ここに居るんだもの」
「ここって……どこだ?」
「だから、ここよ」
ルーシィは自分の足下をびしっと指差す。
文楽は指の差す方向を追って、ルーシィの黒いブーツを見つめ、黒いタイツに包まれた長い脚を辿って目線を上げていき、起伏の激しい白い軍服を通りすぎ、そして額から二本の角を生やした美女と、目線がかち合った。
「ここって……お前、まさか。冗談だろ?」
「お父様に頼まれたのよ。この基地に居る間、訓練生を直々に鍛えてやってくれって」
「なっ……ふざけるな! お前まで俺を笑い物にする気か!?」
「人聞きが悪いわね。哀れな英雄をこれ以上苛めるつもりなんてないわ。出来の悪い生徒は徹底的に扱いてあげるつもりだけど」
ルーシィはにんまりと楽しそうな笑みを浮かべるが、文楽の表情は対照的にどんどん暗く曇っていってしまう。
「それじゃ、また後でね愛生君。私のことちゃんと『ルーシィ先生』って呼ぶのよ?」
「……『ルーシィ様』の方がまだマシだ」
げんなりした顔で呟く文楽の言葉を颯爽と無視して、ルーシィは格納庫の方角へ向けて歩き去って行くのだった。