第一章 Let Me Be With You (1)

 ファウストはメフィストフェレスに出会わなければならない。
 しかし、ファウストは破滅させられるべきではないのだ。
 

The Rest of the Robots』――アイザック=アシモフ
 


『ねえねえマスター。ボクのこと愛してる?』
「レヴィア、ライフルの残弾が少なくなってきた。弾倉マガジンを交換してくれ」
『愛してるって言ってくれなきゃしてあげないよ』
「俺は愛情の安売りはしない主義だ」
『……マスターのけーち』
 レヴィアの不満げな声と共に、操縦桿を通して右手に伝わる微かな振動。
 四の五の言いつつも指示に従ってくれたのだろう。相棒の素直さに操縦士パイロットの少年は満足げに息を漏らす。
 捨てられた弾倉が、眼下に広がる灰色をした瓦礫の海に消えて行く。
 地上は一面、倒壊した建造物とひび割れたアスファルトで満ちている。かつて多くの人が住んでいた市街地に、生命の気配は微塵も感じられない。あるのはただ、乾き切った文明の遺骸だけ。
 人類の墓標とも言うべき光景を目にしても、大した感慨は浮かんでこない。少年が物心付いた頃にはもう、世界はどこもかしこもこんな光景がありふれている。
『これで残りの弾倉はあと一つだよ、マスター』
「敵の戦車はどのぐらい残ってる?」
『索敵可能な範囲だけでも六十五。自走砲も数えようか?』
「……無視して突破した方がよさそうだな」
『懸命だね。ボク達は働き過ぎだ』
 少年が座るのは、廃墟の上空を亜音速で飛行する巨大人型機動兵器――機甲人形アーマードールの操縦席。
 装甲を深い紺色に彩られたその機体は、〝嫉妬〟を司る海蛇の悪魔から〈リヴァイアサン〉の名を与えられている。
 眼前のメインモニターに映し出されるのは、敵の戦闘機が絶えず飛び交う灰色の曇り空。
 そして側面に位置するサブモニターには、澄ました表情で少年を見つめる中性的な顔立ちの少女――レヴィアの姿が映し出されていた。

 肩の長さまで伸びた藍色の髪に、爛々と光る紅色の瞳。左の額からは、不揃いな大きさをした角が蛇の牙のように突き出し、彼女が人ならざる存在であることを示している。
 まるで空想上の悪魔や竜の化身を思わせる異形の少女。その容姿が示すように、レヴィアは決して本物の人間ではない。
 人をたぶらかす魔物のような微笑みを浮かべ、レヴィアは少年に語りかける。
『どうせなら、このままどこか遠くへ逃げてしまおうよ。愛の逃避行さ』
人形知能デーモン操縦士パイロットに軍規違反を勧めるな」
『仕方ないじゃないか。ボクたちは、そういう風に出来ているんだから』
 機甲人形アーマードールという巨大な兵器に搭載された量子仕掛けの魂――あるいは、人形それ自身。
 彼女たちは人形知能デーモンと呼ばれる自我と感情を持つ高度な人工知能AIだ。
 最新鋭の量子頭脳を依代ハードとし、まるで人間さながらの情動を持つ彼女らは、もはや一つの人工生命ALIFEだとすら言われている。
 戦場で常に肩を並べる操縦士たちにとって、彼女達の情動を生み出している入力が、内分泌系ホルモンなのか電気信号系シグナルなのか、出力が同じならば些細な違いでしかない。重要なのは信頼に足る存在か否か、それだけだ。
『軍規なんかより自己の防衛と操縦者の安全が第一だよ。この作戦、どう考えても人類の勝ち目は薄いんだ。真面目にやるだけ損じゃないかな』
「それでもこれが兵士の役目だ。お前も、本来の役目を忘れるな」
『ふーんだ。もちろんだよ』
「うぉッ!?
 レヴィアが拗ねた表情を浮かべたと同時、叩き付けるような重力が少年の全身に襲いかかる。急加速した機体が、地上から放たれた対空砲火を回避したのだ。
「いきなり加速するな! 舌を噛んだらどうする!?
『そのときはボクもキミの後を追うよ』
「……ばか、そういう問題じゃない」
 さらりと応えたレヴィアに、少年は額を押さえて呆れを示す。
 彼女たちの人形知能デーモンという名前の由来は、悪魔DEMONからではなく守護神DAEMONの方だと言われている。しかし接している身からしてみれば、前者の方が適切だと思えた。
 生半可な操縦士なら、加速の瞬間に意識を失っていただろう。〈リヴァイアサン〉の操縦士になってから既に三年。主導権という手綱を手放した代わりに、意識の手綱を握り締めることに決めていた。
 〈リヴァイアサン〉に対空砲火を浴びせているのは、電子頭脳によって制御される無人兵器だ。量子頭脳によって制御される機甲人形と違い、自我や人格のようなものは持たない。だがその分、彼らは与えられた職務に忠実だ。
 金属の甲殻と三対の脚部、角のようにそびえる頭部の高射砲。巨大な昆虫のような見た目から【甲虫型かぶとがた】と呼称されている。
 操縦桿のスイッチを押し、〈リヴァイアサン〉の右手に引き金を引かせる。数百mの遙か下方、瓦礫と鉄屑に塗れた大地に、爆炎が一つ二つと鮮やかに花咲いた。
『あ、マスター。前方に味方の地上部隊が居るよ。見える?』
「俺の目では無理だ。拡大してくれ」
 要請に応じて、レヴィアはモニターに地上の光景を拡大して表示させる。映像の中では、数人の兵士が巨大なビルの残骸に身を隠すように小さくうずくまっていた。
「送電施設の破壊任務に就いていた部隊のようだ」
『かなり少数だね。本隊からはぐれたのかな?』
「いや、おそらくあれで全員だろう。かなり傷を負っている。大半はやられたんだ」
『ああ、そっか。人間って機甲人形ボクたちと違ってもろいもんね』
 本来灰色をしているはずの都市迷彩柄の軍服は、赤色の方が目立つほど血で赤く染まっている。腕や脚を失った者も見える。あれでは撤退もままならないだろう。
 周囲には対人戦闘に特化した【蠍型さそりがた】と呼ばれる機甲兵器の姿が見える。平たい小判状の体に三対の節足。前肢にははさみの代わりに、人の胴ほどの太さをした機関砲が二門、尾には広い斜角を持つ大口径の対戦車砲が備え付けられている。
 一機で歩兵中隊一個を肉片の山に変えられるほどの殺傷性能と言われている。
 そんな殺戮兵器を相手にする地上部隊が手にしているのは、二十世紀以前に使われていたような骨董品まがいの旧式兵器ばかり。
 五百年前、北アメリカの先住民族が十二丁のマスケットを手にした騎兵隊に棍棒こんぼうで挑みかかり、滅ぼされてしまった悲劇の再現だ。
『どうする、マスター?』
「……残弾にも燃料にも、それほど余裕は無い」
『彼らはボク達と違って片道切符しか持たされていないんだ。見なかったふりして放っておいた方が得策だよ』
 機甲人形アーマードール一体の戦略的価値は、百人の兵士の命にも勝る。たった数人を助けるために、機体を危険に晒すのは決して利口な判断ではない。
 遠くに見えていたはずの光景も、高速で飛行する機甲人形アーマードールには瞬きする間に通り過ぎてしまう。見なかったふりをするのは簡単だ。
 少年は冷淡な表情のまま、感情のこもらない声でレヴィアに告げた。
「レヴィア、味方の退路を確保するぞ」
『えっ、本気なの!?
「できる限り短時間で、無駄弾を一切使わずに敵を排除する。それでいいな?」
『やだ、よくない』
 嫌がるレヴィアを無視して、少年は操縦桿を操作して機体の進路を味方部隊の方角へと向ける。
 外敵の接近に気付いた甲虫型かぶとがたの自走砲たちは、次々と三対の脚をうごめかせながら機体の角度を変え、角のようにそびえる高射砲を〈リヴァイアサン〉へと向け始めた。
『キミのそういうところ、ボクには理解できないよ』
「俺にはこうすることでしか、自分が人類の一部だと実感できないんだ……どうしても気が進まないなら、機体の推力を止めてもいい」
『呆れてるだけだよ。君もまだ、安っぽい人道主義ヒューマニズムなんて持ってたんだなって』
 自走砲の背中にある羽根のような装甲が、突如として左右に開く。だが巨大な重量を持つ彼らに、本物の甲虫のように羽ばたき飛行する能力はない。
 甲殻の内側から姿を現したのは、蜂の巣のように多量の発射口を密集させた地対空ミサイルの発射装置だった。
 過度のGを全身に受けながら、少年は余裕のある態度でレヴィアに問いかける。
「人形には、信じる神や主義はないのか?」
『分かりきったこと聞かないでよ。ボクが信じるのはいつもキミだけだよ、マスター』
「……可愛げのあることも言えたんだな」
『ひどいなあ。ボクはいつだって、キミの可愛い人形だよ』
 自走砲台から、大量のミサイルが放たれる。まるで綿毛が開くように四方八方へと糸状の噴煙が白く放射状に広がっていく。
 円筒状の外殻に破壊と殺戮さつりくを詰め込んだ無数のミサイル群。その真っ只中に、少年は地表すれすれまで機体を降下させて飛び込ませる。
『ミサイル接近。数はえっと、たぶん百ぐらい?』
「上昇と同時にプラズマフレア散布、照準は任せる」
量子妨害QCMは?』
「演算容量の無駄だ。軌道予測に回せ」
『見くびらないでよ。両方やれる』
 放射状に広がるミサイルが、〈リヴァイアサン〉の機体目がけ一点へ収束していく。
 大きく広げられた死が口を閉じる瞬間、少年は操縦桿を引いて機体を直角に近い角度で急上昇させた。
 同時に、機体の肩口から放たれた、青白く輝くプラズマの粒子が鱗粉のように舞い散る。
 地表の瓦礫を避けきれず衝突したもの、プラズマのフレアに阻まれて暴発してしまったもの。放たれた大量のミサイルは、次々と機体の後方に爆炎の花を咲かせていく。
 自走砲台の防空網を軽々と飛び越した〈リヴァイアサン〉は、その先に見える蠍型の多脚戦車へ右手に握った対戦車ライフルの照準を定める。
 砲声が六回、遅れて爆音が六つ。
「まだ一体残ってる!」
『大丈夫だよ。弾はまだあるからね』
 レヴィアは何気ない口調で言うと、多脚戦車へ弾の尽きたライフルを高高度から思い切り投げつけ、極めて原始的な手段で最後の一体を破壊した。
 絶望的な包囲状態から一転、まさしく瞬く間に命を救われた地上部隊の兵士達が、手に持った銃や擲弾筒てきだんとうを軍旗のように振りかざしながら、上空の彼らへ向けて声援を送る。
『助かった! 《七つの大罪セブン・フォール》の〈リヴァイアサン〉だ!!
『《蛇遣いアスクレピオス!! あんたこそ本物の英雄だ!!
『仲間達の仇を取ってくれ、頼んだぞーッ!!
 機体外部の集音マイクを通して届く兵士達が上げる歓喜の声と熱い応援。
 少年はどこか気恥ずかしそうに顔をしかめながら、その声を受け止める。
『何か声をかけてあげたらどうだい、英雄さん?』
「そういうのは苦手だ。お前が手でも振っておいてくれ」
『ふーん。まあ、別に良いけど』
 機体の右手を振って愛想良く地上部隊の声に応えながら、レヴィアは拗ねた声で言う。
『大人気だね。さすがは《蛇遣いアスクレピオス》、羨ましいことだ』
 そんな機体の声を受け取って、少年は真面目な口調になって言葉を返した。
「それは違う、レヴィア。《蛇遣いアスクレピオス》は俺だけの名前じゃない。俺達二人の名前だ」
『……ありがとう、マスター。ボクのためにそんな恥ずかしい台詞を言ってくれて』
「う、うるさい!! 余計なことは言わなくていい!」
『あー悔しいなあ。こういうとき涙が流せたら、この喜びを伝えられるのに』
 レヴィアの悪戯いたずらっぽい言葉に不満の色をあらわにしながら、少年は地上部隊の姿を後方に残して再び機体を加速させ始める。
 片や骨董品まがいの兵器を手に、敵うはずのない機甲兵器に立ち向かう地上の兵士達。そして片や虫を駆除するように機甲兵器を圧倒する機甲人形アーマードールと、機体を自在に操る操縦士という、時代の断層に隔てられた二つの兵器が同居する異様な戦場。
 そのいびつな戦場の姿を生み出したのは、彼らが戦っている姿無き〝敵〟の存在によるものだった。

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